老猿のオットット人生

石橋を叩いて渡れずオットットと転んで渡って七転び八起きならぬ七転八倒の人生

防具空手との闘い

2015年08月28日 09時39分41秒 | Weblog
闘道を創始した初期葛飾区と江戸川区が活動の拠点だった
江戸川区では区民会館のレクホール借りて練習してた
区民会館を借りて活動している団体が中心になり
文化祭的な行事をやりたいと区の関係者から提案があり俺さん実行委員長

1回目か2回目かは忘れたけど人集めに交流試合でもやりましょう
そんな話しがレクホールを使っていた防具空手玄和会との間に持ち上がった
ところが責任者が「自分達は試合に自信がない本部から強い人を呼ぶ」と
交流目的が交流ではなく他流試合の方向に発展してしまった

試合当日俺さん実行委員長として各団体を見て回ったりでテンヤワンヤ
試合は全部は観戦できなかったが一部だけはどうにか観戦
闘道側4人防具空手玄和会側3人の.総当り
玄和会側は当初2人の予定が闘道側の選手を見て急遽会場でもう一人参加
闘道側は一人が社会人二人が高3一人が高1の計4人選手が育ってなかった

総当りで闘道対玄和会という形の対戦は12試合
内容は10対2で闘道の圧勝2敗は玄和会の大学3年が柔道の有段者だった
闘道側の高1が背負投をかけて潰され寝技で抑えこまれた1敗

あと闘道側の高3が蹴りに固執し蹴り足を取らて投げられた
この2勝に防具空手玄和会側の観客席からはヤンヤの大喝采
寝技と投技で勝った柔道有段者の大学3年は両手を上げてガッツポーズ
俺さんその光景を見て!?となった

南郷継正氏の著書である「武道の理論」だか「武道の復権」だかには
“空手家が柔道の技で勝ったからといって空手が勝ったとはいえない”
と書いてあったのを思い出していたから

それにしても玄和会の選手が試合後に足を引きずる姿は可哀想だった
控室でズボンを脱いだらみんな両太腿は変色してミミズ腫れ
試合会場で急遽参加を決めた選手の太腿は特に酷かった
試合も酷かったけどねちょっと攻められると怯えて場外に逃げる

後年伊豆七島神津島の合宿でたまたま防具空手玄和会の団体と一緒になった
島に一つしかない武道場を半分ずつ使うことに
闘道の練習を見た防具空手玄和会の大学生何人かが陰でコソコソ批判
それを聞いた少年部が俺さんに報告‥報告なら武道場ですればいいのに

翌日泳いだ帰りの砂浜で防具空手玄和会の責任者にバッタリ遭遇
「陰で誰か批判してたらしいですけどなんなら組手をやりますか」と提案
防具空手玄和会とは一度闘って決着ついてますけどお望みなら私が相手になる
そう言ったら責任者は顔を引き攣らせ「今日東京に帰ります」
何怯えてんの俺さんよりガカイでかいのに俺さん笑った

後年弟子の一人が獨協大学に入学し
キックボクサーや極真空手防具空手玄和会の学生とチャレンジマッチをやり
その結果同大学で活動する防具空手玄和会のところに
試合目的で押しかけることになるとはこの時夢にも思わなかった



2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-02-08 00:18:58
獨協大学に入学し
キックボクサーや極真空手防具空手玄和会の学生とチャレンジマッチをやり
その結果同大学で活動する防具空手玄和会のところに
試合目的で押しかけることになるとはこの時夢にも思わなかった

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その後どうなったのでしょうか? 

気になります!

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上に同じ (Raymond Yan)
2021-12-09 11:30:12
 その後、どうなりましたか?
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