老猿のオットット人生

石橋を叩いて渡れずオットットと転んで渡って七転び八起きならぬ七転八倒の人生

テコンドーとの対戦

2015年08月30日 10時04分01秒 | Weblog
江戸川闘道教室は江戸川区の葛西中学校の体育館を借りて練習してた
その日は俺さんと合気道経験者のT氏それに小学生が二人の寂しい練習風景
そこに突然20名弱の人間がドドッと体育館に入り込んできた
俺さんとT氏ポカン‥少年部二人はキョトン

指導者と思しき人物「他流試合を受け付けると聞いてきたが?」と上から目線
俺さん「やるけど全員?」と聞くと自分だけとの返事
弟子に自分の強さをみせつけたかったらしい‥待ってるのは地獄なのに・・・

さっそく闘道の練習を中止して簡単なルールの打ち合わせ
顔面パンチなし金的攻撃禁止板の間だから寝技も禁止とした
審判なしでどちらかがギブアップするまで闘うデスマッチ

俺さんいつも初めは相手の出方を見るからその日もそうした
ヒョコヒョコ動いて寄り脚の後ろ回しハイキックをやってきた
俺さんガードしたけど相手の膝が曲がって足裏が頬にペタン
途端に相手「今顔面に蹴りが入ったでしょう?」と自慢げ
後ろを振り返って自分の弟子達を見てニヤッ・・俺さん!?

「ガードしたからダメージまったくないけどそれが何か?」
相手は「ガードしても膝が曲がって相手を蹴るこれがテコンドーの極意」
俺さん無言でズカズカ接近するとムチャクチャに殴る蹴るの嵐

慌てて相手がミドルキックをやってきた蹴り足を取ると足抱え大内刈り
まともに投げると相手は後頭部は床に激突するので気を使って左に振った
相手の不遜な態度に一瞬殺意を覚えたけど理性で抑えた
相手はブラブラになった右肘を押さえすぐに起き上がれない

俺さん親切だから「だいじょうぶ大丈夫左手はまだ使えるから」と励ます
怒りマックスだと俺さん口は親切になる目には炎メラメラだけど
苦し紛れの相手の蹴り足りを取り今度は右から床に叩きつけた
テコンドーの指導者今度は左肘ブラブラで結局両肘使えず戦意喪失
俺さん言ってやった「イキがって弟子の前で恥かく挑戦するな!」って

どこでテコンドー習ったと聞いたら押上だか錦糸町だかとボソボソ
「アンタの先生連れて来い相手になるから」と言ったら
先生は日本人が嫌いだから来ないとのたまわった‥俺さん!?

俺さん何人も韓国人の弟子いるし韓国人に偏見無いけど
日本人が嫌いならなんで日本にいるの韓国に帰れば・・・
これ一般論として言った
すると「先生は戦前から日本に住んでいるのでどったらこったら」
今日の嫌韓騒動が起こるはるか昔の話しでした・・・

防具空手との闘い

2015年08月28日 09時39分41秒 | Weblog
闘道を創始した初期葛飾区と江戸川区が活動の拠点だった
江戸川区では区民会館のレクホール借りて練習してた
区民会館を借りて活動している団体が中心になり
文化祭的な行事をやりたいと区の関係者から提案があり俺さん実行委員長

1回目か2回目かは忘れたけど人集めに交流試合でもやりましょう
そんな話しがレクホールを使っていた防具空手玄和会との間に持ち上がった
ところが責任者が「自分達は試合に自信がない本部から強い人を呼ぶ」と
交流目的が交流ではなく他流試合の方向に発展してしまった

試合当日俺さん実行委員長として各団体を見て回ったりでテンヤワンヤ
試合は全部は観戦できなかったが一部だけはどうにか観戦
闘道側4人防具空手玄和会側3人の.総当り
玄和会側は当初2人の予定が闘道側の選手を見て急遽会場でもう一人参加
闘道側は一人が社会人二人が高3一人が高1の計4人選手が育ってなかった

総当りで闘道対玄和会という形の対戦は12試合
内容は10対2で闘道の圧勝2敗は玄和会の大学3年が柔道の有段者だった
闘道側の高1が背負投をかけて潰され寝技で抑えこまれた1敗

あと闘道側の高3が蹴りに固執し蹴り足を取らて投げられた
この2勝に防具空手玄和会側の観客席からはヤンヤの大喝采
寝技と投技で勝った柔道有段者の大学3年は両手を上げてガッツポーズ
俺さんその光景を見て!?となった

南郷継正氏の著書である「武道の理論」だか「武道の復権」だかには
“空手家が柔道の技で勝ったからといって空手が勝ったとはいえない”
と書いてあったのを思い出していたから

それにしても玄和会の選手が試合後に足を引きずる姿は可哀想だった
控室でズボンを脱いだらみんな両太腿は変色してミミズ腫れ
試合会場で急遽参加を決めた選手の太腿は特に酷かった
試合も酷かったけどねちょっと攻められると怯えて場外に逃げる

後年伊豆七島神津島の合宿でたまたま防具空手玄和会の団体と一緒になった
島に一つしかない武道場を半分ずつ使うことに
闘道の練習を見た防具空手玄和会の大学生何人かが陰でコソコソ批判
それを聞いた少年部が俺さんに報告‥報告なら武道場ですればいいのに

翌日泳いだ帰りの砂浜で防具空手玄和会の責任者にバッタリ遭遇
「陰で誰か批判してたらしいですけどなんなら組手をやりますか」と提案
防具空手玄和会とは一度闘って決着ついてますけどお望みなら私が相手になる
そう言ったら責任者は顔を引き攣らせ「今日東京に帰ります」
何怯えてんの俺さんよりガカイでかいのに俺さん笑った

後年弟子の一人が獨協大学に入学し
キックボクサーや極真空手防具空手玄和会の学生とチャレンジマッチをやり
その結果同大学で活動する防具空手玄和会のところに
試合目的で押しかけることになるとはこの時夢にも思わなかった



空手道との対戦

2015年08月27日 07時33分21秒 | Weblog


闘道金子選手の顔面に反則の顔面突きを入れる拳志会空手の岩美選手


10人対10人で闘った最初の事例が1978年6月11日に行った他流試合
闘道対拳志会空手道と練心会空手道の合同軍
聞く所によれば拳志会空手道と練心会空手道は他流試合を行い
敗れた練心会は拳志会の傘下に入ったとか・・・

闘道対空手道合同軍も同じ条件でやろうということになった
敗れたら相手の傘下に入るという条件ね
結果は9対1で闘道の圧勝

敗れた1敗は反則のパンチ
肩口を狙った闘道側選手のパンチが相手の首に当たった
その瞬間「反則だ!」の大合唱が空手側の応援席から
それまで闘道側米田選手のパンチでKO寸前だった拳志会平岡選手
空手側席からの「反則」の大合唱に平岡選手急に元気付き「なんだこのヤロー」

第4試合でのアクシデントで俺さん主審
「弟子は師匠写す鏡だ試合中にこのヤローは師匠の品格を下げる」
ピシャっと言ってやった‥あとで見学の父母からGJもらった(笑)
ついでに「殴られるのが怖いなら悲鳴上げてしゃがむな!」と注意
経緯はどうでも俺さん一発のパンチで闘道側選手を反則負けにした

ところが俺さん甘かった
第6試合以降は空手側主審だったがが反則のオンパレード
主審が反則を見て見ぬふりだから空手側選手はやりたい放題
挙句の果てに倒れて10秒立てなかったらKOというルール破り
主審自ら俺さんに「一分間休ませて」と提案してきた映像はYoutubeで紹介済み

第10試合は惨憺たるものだった空手側大敗が明らかだから
接近すれば顔面への反則パンチで試合にならない
こんな連中に武道や武士道を語ってほしくないね
こんなことの積み重ねで俺さん武道関係者との交流を全て断った

俺さん知るところの武道関係者ってほんとにロクナのいない
類は類を呼ぶとかいうけど俺さんもその類かな・・・

次回は玄和会空手道との対戦の経緯でも書こう
「武道の理論」とか「武道の復権」は読ませていただいたけどね

書き忘れたので追加
敗れた拳志会・練心会の空手道連合軍は
試合後一切の接触がなくトンズラした‥約束は反故ね
俺さん試合ルールも守れない連中に約束の履行は求めない

売られたなら買いましょう・・・

2015年08月22日 20時01分21秒 | Weblog
以前も一度この件ブログに書いたんだけど消してしまった
自分語りで過去のあれやこれや残しておこう
最近そんな気持ちになったので再度書くことにした

俺さん以前足立教室の練習の帰り後ろから煽られ絡まれた
普段は煽られたらサラッと変わしちゃうんだけど
夜遅くて人通りがなかったせいかしつこく粘着された

道を開けても追い越さない走れば後ろからパッシング
おまけにライト上向きで俺さん目が眩んだ
でもって危なくて走れないから俺さん急ブレーキ
残念! 追突してくれなかった! (笑)

そうこうしているうちに小菅刑務所の前を通り過ぎ
その先の信号を俺さん左折それでも相手がついてくる
相手は俺さんが逃げるために左折したと思ったらしい
俺さん帰り道いつも水戸橋渡るコースで帰る

左折した瞬間後ろからタイヤを軋ませて急加速した車
一車線なのに無理に追い越しざま「テメー車止めろ!」の罵声
俺さん素直だから云われたとおりに車を止めた‥道の真ん中
なんか「ガキが喚いてる」と“ひものオカン”にニヤリ

相手は俺さんの少し先で急停車と同時にドアがバンと開いた
全身黒尽くめの服装で何故かやる気満々で外に飛び出した相手
俺さんも「ちょっと〆てくる」と“ひものオカン”に声をかけ
車から出て相手に向かって歩き出した瞬間だった

俺さん道衣姿で喧嘩上等のオーラ発散させていたんだろうね
この時ばかりは本来のガニ股でノッシノッシ
俺さんの道衣姿に慌てた相手は車に飛び乗り急発進
猛スピードで脱兎のごとく逃げた‥DQNの判断適切

何だアイツ!? 俺さん怒りマックスだったのが
一瞬で冷めてポカン状態‥せっかく三枚におろして料理を
と目論んでいたのに‥車に戻って「逃げちゃった」と云うと
車内で一部始終を見ていた“ひものオカン”笑いながら
「お父さん怒ると鬼になるから相手怖かったんだよ」と一言

俺さん自分自身では仏の〇〇なんて思ってるのに鬼かよ・・・
ゴリラ顔であることは認めるしだから雅号は“老猿”
いつだったか葛飾教室の帰り“ひものオカン”とジュース飲んでた
そこはちょうど道の反対側に柔道の井〇道場があった

横のスナックから出てきたオッサン“ひものオカン”の道衣姿を見て
「何だ女も柔道やるのか?」俺さん「やっちゃ悪いか」とひと睨み
更に「柔道や空手より強い闘道というのをやってるんだ」とつけ加えた
するとオッサン俺さんの顔マジマジと見て「顔も強そう~」と一言

俺さん睨みつけた手前オッサンのとぼけたセリフに笑うわけに行かない
確かに俺さん顔も生き方も衣の下に鎧だからな‥オッサン鋭い!
子供の時の怪我で額と顎に消えない傷
唇は床屋のカミソリでスパッと切られた傷が今も残る
歌舞伎とは縁がないけど“切られ与三かよ”と思う時がたまにある




石庭の石

2015年08月21日 18時50分19秒 | Weblog
白洲正子氏に「名人は危うきに遊ぶ」という著作がある
俺さん好きな作家の一人だ
もしかしたら白洲次郎氏の生き方が好きなので
その延長でファンになったのかも知れない

同書の中に「伝統芸能の難しさと面白さ」という一文がある
その一文の中で庭師が語った言葉として
石の3分の2は土中に埋まっているそうだ
その埋まっている部分が大切だという話しが紹介されている

俺さんこの一文がエラく気に入った
それはともかく氏の文章を読むと何故か落ち着く
紙背に隠れた何かが心の平安を生むのかも知れない
あたかも土中に埋まった3分の2が見えない力を発揮するかのように
土中の石は見えないところに趣向を凝らす‥江戸っ子の粋に通じる

遠い昔多分弟子達と京都旅行に行った時だったろうか
龍安寺だかどこぞの「石庭」を見学した
広縁で庭を眺めた時俺さん石の3分の2については考えなかった
白砂の波のうねりに気をとられていた

今にして身を埋めた石の3分の2が
石庭の静謐を醸し出していたのだと知るに至った
遅きに失したという感は否めないが
“知る”という喜びは年齢や遅速に関わりはないだろう

ところで氏には申しわけないが俺さん本を大切に扱っていない
かといって粗末に扱っているわけでもない
本を購入した時点で読み終わったら処分しようと考えないので
心に響いたフレーズはどんどん黄色のマーカーで埋める
そういった意味で扱いが大切ではないということなのだ

本は俺さん一代の心の財産と考えているから
お気に入りの本はみんなマーカーで後日読み返す時の目印をつける
本をよく読むからといって
芥川賞とか直木賞受賞作品に目を向けるといったわけではない

過去に読んだ作品が心に響かなかったというだけのこと
今回あまりにも又吉氏の「火花」が騒がれているので
流行に乗り遅れまいと初めて文芸春秋を購入した
文章は上手だと思うけど作品の良し悪しはよく分からない

ところで俺さん生き様が石庭の石だったか?
過去を振り返って自問自答してみたがこれまたよくわからない
愚直という点では石庭の石だったような気もするが・・・
どう考えても石庭の小石3分の2土に埋まったら
小石ごときじゃごまめの歯ぎしりにもなりゃしない

土中に3分の2を埋めた石になりたいと思いつつ
ふと考えたら石になるより土に還る方が早そうだと気付いた
後に続く弟子達よ俺さん土になったら必ず諸兄を支えるから
石庭の石として土中に深く埋まる苔むす石に育ってくれ