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ROSALIND凸ヤマ翁の『Wスタな日々』

みちのくの御長寿旅バンド・ロザリンドの随想録。

UFOの巻

2010-10-11 13:56:00 | 70年代HARD ROCK奇譚
UFO
『Live !』
だよ正太郎少年!
『(@_@)・・・え?UFOって、あの・・・
 えええ?コレ何ですかあ??』


…(-_-;)だよねェ、そう云う反応になるよねえ。
普通、UFOっつうたら皆マイケル・シェンカー
だもんねェ、無理ないよ('~`;)
(何だかヤタラ更新してたら、ちっともROCK BAND関連の
 ブログらしからぬ記事だらけになったので慌てて上梓(^_^;)w)




UFO『Live !』と云えば、皆様
想起すんのはコッチだよねえ?
いぁ、確かに名曲『マザー・メアリー』
小生も大好きだよ(^_^;)?
TYAのbassレオ・ライオンズさんプロデュースの
あの特殊なリズム隊の音、大好きw

でもネ、Guitarがミック・ボルトンさんだった頃の
こっちの『Live !』こそが
凸ヤマに取っては“UFOのライヴ・アルバム”なの(^_^;)
TOPの写真は
最近になってようやく紙ジャケで
リリースされたバージョンなんだケド
アレは独盤デザインで、
凸ヤマが馴染んでるのは
『LANDED JAPAN』ってタイトル
のこっちのバージョンざんす。
日比谷野音で録音された彼等の初来日公演実況盤。
日本とドイツでしかリリースされなかったレコードらしい
から、そりゃなかなかCD化されないよね~(^_^;)

この公演、イロイロと逸話が多いのサ。
本来はスリー・ドッグ・ナイト
メイン・アクトとして来日するのの前座をUFO
が務める、って予定だったの。
当時、既に日本でも多数のHit曲が在った
スリー・ドッグ・ナイトに対して、
(まぁ元来POPバンドだから当然ですケド(^_^;))
UFOはデビュー曲『カモン・エブリバディ』
ナゼか日本とドイツでだけ まぐれ当たりした、って
だけの、英米では未だ無名の新人さん

当時UFOが どの位ペーペーだったか、と云うと
極東の異郷であるのを コレ幸いと
奇しくも同時期に来日公演してたツェッペリン
の楽屋を訪ね、サインもらった♪ってんだからww
(たぶん本国イギリスでは近づけなかったレベル?w)

それがスリードックナイトの来日ドタキャンで
急遽メイン・アクトに!

…(-_-;)なんかさ、想像付いちゃうのよ。
本国やアメリカでは反応無いのに
ドイツ以外で唯一シングル売れた東洋の島国に
初めて来てさ、前座の予定が急遽トップ・ビル
言い渡されて、たまたま同時期に居合わせた
憧れのツェッペリンに逢えて、
『ま、お前らも頑張れよ♪(o^-')b』とか
お言葉戴いちゃった若人の気持ちが・・・ネ(^_^;)。

この収録中にBassのピート・ウエイ
さんが怪我して血流しながら熱演した、とか云う話も
聞いた覚えが・・・ハリキリ過ぎてブリッジで
右手の甲でも切っただかね?

そう。このライヴ、物凄い『気迫と気合い』デス。
完全に実力を上回る演奏してマス。
“ブリティッシュ・ロック、ライヴの名盤は?”
と尋ねれば、たいがいの親爺は
FREE『Live !』を挙げると思われますが・・・
あながち間違って無いし、否定もしないけれど
凸ヤマには、このUFO『Live !』のが熱いね(o^-')b

物凄く“当時のブリティッシュROCKっぽい”サウンド
を盤に封じ込めた東芝の録音スタッフに拍手!
大した機材も無かっただろうに、お見事デス。
『日本ライヴは音悪いんだよね('~`;) 』と
散々 外タレの皆様に揶揄されてたもんですが、
コレはバッチリ(o^-')b

クリエイション、
フライド・エッグとかスピード・グルー&シンキ、
フラワー・トラベリン・バンド、モップス
と言った
この頃の和製ROCKに近い音ですけどね、確かに。

『Loving Cup』ってナンバーがもう、
コレがブリティッシュROCKで無くてナニ( ゚Д゚)!って
雰囲気満載の演奏。素敵デスo(^-^)o♪

Voのフィル・モッグさんが
1曲歌い終えて言う
『み・・・水頂戴( ゚Д゚)!・・・マイクスタンドも』
ってMCやら
『ア・・・アクションが凄いので・・・どうか
 座ってご覧になれませんか?後ろの方から
 見えなくなるので('~`;) 』
って司会者
さんのアナウンスとか、当時の雰囲気が
偲ばれて笑えます。

笑えないのが、客席の一部で
『止めろ、帰れ!』コールしてる連中…(-_-;)

スリードッグナイトのファンか( ゚Д゚)?
JeffBeckさんがソロ来日した際も
『Rock in Japan Festival』
(名称ウロ覚えw)とか銘打って、
日本側アーティストのある方がMCで
『ベックなんか関係ない、日本人だけでやろう!』
って間違ったベクトルのナショナリズム発揚してた
らしいですが、当時はどっかにそんな空気も在った
んですかねェ('~`;)?
(どなたが言ったか存じてますが、若気の至り、って
 のも在るでしょうから御名前は伏せますw)
その時代の只中に居た凸ヤマではありますが、
なんせ名実ともにマジ子供だったもんで(^_^;)

子供心に、UFOの こんな気迫の籠った会心の演奏に
対して『止めろ、帰れ!』なんて言ってる日本人
が恥ずかしく、嫌な気持ちになったものでした。

それで思い出したんですが、
先日、母が聞いてたラジオで偶然耳にした
荒井由実さんの番組がショックだったなぁ…(-_-;)

キャロル・キング
模倣から初めて、あそこまで行ったのは凄いと
思うし、中学~高校時代に周囲の女の子とかが
皆聞いて居たので、才能も認めますし
否定もしないんですが。
(プレゼントを強要?され『十四番目の月』?
 だか云うアルバムを渋々買った覚えが
 ・・・都合2枚(^_^;))

その番組に誰か すかした男性ゲストが来てて、
どうやら御二人で“Piano・ROCK”について
語ってらした。Procol Harum
の曲が掛けられ、あら良い御趣味ですコト、と
耳を傾けて居たのですが。
話題が、それこそTYA(TenYearsAfter)
Procol Harum
武道館ジョイント・コンサートに触れて。小生も
『o(^-^)oうんうん知ってる♪“青い影”で
 みんなが表拍の手拍子するから、
 ゲーリー・ブルッカー
 が怒って止めさせて、
 恥ずかしかったんだよネ♪』

って喜んだ。

そしたら( ゚Д゚)

Procol Harumのピアノ聴きに
 行ったのだから、TYAん時は席を離れてましたね』
『そうそう、私達の好きなpianoを穢さないで!ってw
 私も通路に出てた♪』

っての聞いて愕然。(T_T)嫌いになりました。
いあ“お客さん”なら自由だけど、あんたら玄人
でしょうが('~`;) そんな失礼な
“アタシはこっちが好きだから”主張、
要らなくネ( ゚Д゚)?
アルビン・リーレオ・ライオンズカワウソす(T_T)

そんなんで良く日本音楽会の重鎮大御所
やってられるネ?
・・・え?今は苗字違う?・・・( ゚Д゚)シラネ!


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