釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

33. 『牽(ひ)かれきて 子らと遊べる馬の子は・・・』

2011-08-27 07:17:04 | 釋超空の短歌
『牽(ひ)かれきて 子らと遊べる馬の子は、
       おのれ みじかき尾を ふりにけり 』
***
釋超空うたをみていると、馬がよくでてくる。
この掲題のうたは下記のうたが先ず連想してくる。

『 笹の葉を喰(は)みつ々 口に泡はけり。
   愛(かな)しき馬や。 馬になれる子や 』

このうた『笹の葉・・・』については既に書いた。

この二つのうたの光景は幸せで愛らしく温かい。
作者の微笑も感ぜられ、とても、のどかだ。

生の時間の流れがこのまま凝縮し永久に固定できれば、どんなに、この世は住みやすい幸福な世界だろう !!

しかし、作者は、というより我々は、『供養塔』をも凝視しなければならない。
生とは、なんと残酷であろうか。
時の流れとは、なんと残酷だろう。

『供養塔』の以下の二つのうたの馬は、かっては、無邪気に『みじかき尾をふり』また『口に泡は』いていた子馬であったことを思うと、私は『時のながれ』ほど不条理なものはないと思う。 繰り返すが、この世の生は、なんと残酷だろう。

『 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 』
                                   
『 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行くとどまらむ旅ならなくに 』 

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