釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

非文系的雑談5: 大数の法則の不思議(2)

2011-08-09 07:55:04 | 非文系的雑談
核物理学入門も学校の講義にあって、私は、一応、受講しているのだが、今や、全くの白紙状態。否、受講時も、ほぼ白紙だったが、今、覚えているのは、この講義の先生が、講義の途中、ぼんやりと、校舎の外の風景を見ていた、その姿だけ。

私は、その後、社会人になり、折につけ、ブルーバックスなどで、量子力学の素人向けの本を読んだりしているのだが、一向に理解が進まず、いつまでたっても白紙状態は変わらない。まぁ、所詮、頭が悪いのだから仕様がないが。
***
『ホロン革命』(アーサー・ケストラー著、工作舎)に「大数の法則の不思議」の典型例として放射性物質の崩壊についての記述がある。

『一個一個は予測不可能な放射性原子が、全体としては完全に予測可能な結果を産む』という事実が、それだ。

一個の放射性原子が突如崩壊をはじめる時間点は、理論的にも実験的にも、全く予測不可能なそうだ。それは、温度とか圧力とかいった化学的、物理的な要因にも影響はされてはいない、とのこと。

つまり、それが崩壊する時間点は、その原子の過去の履歴にも、現在の環境にも依存していない。そこには、一切の因果関係は存在せず、まったく「気まぐれに」崩壊が始まる。

しかし、しかしだ、放射性原子の全体をみてみると、そこには、ある規則が存在する!!半減期がそれだ。半減期というのは、物体中の全原子のうち半分の原子が崩壊するのに要する時間のこと。(今回の原発事故で、この半減期は話題になった)

そして不思議なことは、この半減期は、完全に予測可能だ、ということ!!

一個一個の原子の崩壊は、他の原子がどうなっているかには全く影響されていないというのに、なぜ、原子全体となると、完全に予測可能な性質が生ずるのか?

個々と、その全体との、この奇妙な関係は、なにゆえに生じるのか?

統計として、あるいは確率として、そうなるんだよ、という回答は、それこそ、ミもフタもない回答だ、と私は思ったりする。
科学は、この世の現象に対して、HOWを説明するだけであって、WHYに対しては説明しない、という話を耳にするときがある。

そうかも知れない。リンゴは何故落ちるのか? それは、ニュートンの力学の法則故さ。それは、そのとおりだろう。 しかし、それでも、なぜリンゴは落ちるのか? という疑問は消えない。ちょうど、2枚の鏡の中間にあるモノが永遠に反射していくように、いつまでも疑問は消えない・・・。疑問の永遠の連鎖。

WHY? WHY? WHY? ・・・・・・・・

非文系的雑談4: 大数の法則の不思議(1)

2011-08-09 07:52:29 | 非文系的雑談
統計とか確率とかは、私は全く門外漢だが、面白い学問だと思う。

『ホロン革命』(アーサー・ケストラー著、工作舎)という、これ又とても面白い本がある。この本の終わりのほうの章で、大数の法則の不思議について書かれている。

この本によると、以下の事実があるという。

・ニューヨーク保険局の統計によると、人に咬みついた犬の数の一日平均値は、
1955年は、75.3匹
1956年は、73.6匹
1957年は、73.5匹
1958年は、74.5匹
1959年は、72.4匹

・19世紀のドイツ陸軍で、兵隊を蹴って殺した騎兵隊の馬の数についても、同様な統計的信頼度みられたという。

この二つの例は、ポアソンの式と呼ばれる確率理論式に従っているそうだ。

また、イングランドとウェールズの殺人犯の数も、同様な統計の法則に従っているそうだ。

さらに又、第一次世界大戦以後の、各10年間の殺人犯の数は、人口100万につき、以下のとおりとなるとのこと。
1920~1929年は、3.84人
1930~1939年は、3.27人
1940~1949年は、3.92人
1950~1959年は、3.3人
1960~1969年は、約3.5人

こうした奇妙な例は、確率が有しているパラドックス的性格を、よく示している、とのこと。

すなわち、個々の出来事自体は、独立(無関係)なはずなのに、全体(統計)としてみると、ある統計の法則に従っている!!!
いったい、これは、なぜなのか?

数学者:フォン・ノイマンは、この確率が有しているパラドックス的性格を、「ブラック・マジック」と呼んだそうだ。

このパラドックスとは、以下の事実とのこと。

『確率の理論を使えば、きわめて多くの出来事について、その全体的な結果がうす気味悪いほど正確に予測できるのに、個々の出来事は予測不可能なのである。言い換えれば、われわれは「ひとつの確定を生みだす、きわめて多くの不確定性」あるいは、法則性をもった全体的結果を生み出だす、幾多の無秩序な出来事、とあい対しているのである。』

しかし、問題は、これがパラドックスであろうとなかろうと、大数の法則は、現実に確かに働いているのだ!!

いったい、いかにして?

13. 『旅を来て 心つつまし・・・』

2011-08-09 07:40:39 | 釋超空の短歌
『旅を来て 
  心 つゝまし。
   秋の雛 買へと乞ふ子の 
顔を見にけり 』
***
旅に出た作者の心は今は静謐なようだ。

たまたま、「秋の雛 買へと乞ふ」子たちに遭遇した。

貧しい身なりの子供たちである。
親が作ったのか自身で作ったのか、稚拙な「秋の雛」だが・・・おそらく、それを売って生計の足しにしているのだろう・・・作者の子供たちを凝視する視線は勁(つよ)い。

哀れみの視線ではない。静謐な心から発せられるその視線は、貧しい子供たち、というより、この世の弱い「いきものたち」への凝視だろう。