『 をとめ居て、ことばあらそふ声すなり。
穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ) 』
***
いままでみてきた釋超空のうたには、「をとめ」が登場するうたが二つあった。
それらは下記のうただ。
『をとめ一人 まびろき土間に立つならし。くらきその声 宿せむと言ふ』
『邇摩(にま)の海 磯に向かひて、ひろき道。をとめ一人を おひこしにけり』
掲題のうたを含めて、これらの三人の「をとめ」には共通点があるように私は思う。
その共通点は、まさに 『穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ)』だと私は感じる。
私は男性だから女性のかたがどう思うか分からないが、「をとめ」と聞いたとき男性は、(と男性一般に広げるのは誤りだろうから、少なくとも私は)その「をとめ」に何か不気味なと言うと語弊があるが、ある謎めいたものや原初的なものを感じる。
おそらく人間の根源的なものは女性、とりわけ「をとめ」と表現される処女にあるような気が私はする。男性は所詮の女性の属性の断片に過ぎないのではないか。
掲題のうたには、『ことばあらそふ声すなり』とある。
何をあらそっているのだろう。
何をあらそうにせよ、あらそっているのは男性たちに違いない。
その、あらそいの圏外で、ぼんやりと佇んでいるのは・・・『穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ)』 のような「をとめ」である。
当然、人間実存の探求者である釋超空の関心は、この「をとめ」にある。
男性と女性とは、この宇宙での実存の次元が異なっているのだから。
(高低を定義ぬきで言えば、女性は男性より高次元の存在なのだ)
穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ) 』
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いままでみてきた釋超空のうたには、「をとめ」が登場するうたが二つあった。
それらは下記のうただ。
『をとめ一人 まびろき土間に立つならし。くらきその声 宿せむと言ふ』
『邇摩(にま)の海 磯に向かひて、ひろき道。をとめ一人を おひこしにけり』
掲題のうたを含めて、これらの三人の「をとめ」には共通点があるように私は思う。
その共通点は、まさに 『穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ)』だと私は感じる。
私は男性だから女性のかたがどう思うか分からないが、「をとめ」と聞いたとき男性は、(と男性一般に広げるのは誤りだろうから、少なくとも私は)その「をとめ」に何か不気味なと言うと語弊があるが、ある謎めいたものや原初的なものを感じる。
おそらく人間の根源的なものは女性、とりわけ「をとめ」と表現される処女にあるような気が私はする。男性は所詮の女性の属性の断片に過ぎないのではないか。
掲題のうたには、『ことばあらそふ声すなり』とある。
何をあらそっているのだろう。
何をあらそうにせよ、あらそっているのは男性たちに違いない。
その、あらそいの圏外で、ぼんやりと佇んでいるのは・・・『穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ)』 のような「をとめ」である。
当然、人間実存の探求者である釋超空の関心は、この「をとめ」にある。
男性と女性とは、この宇宙での実存の次元が異なっているのだから。
(高低を定義ぬきで言えば、女性は男性より高次元の存在なのだ)