釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

2. 『きずつけずあれ』

2011-08-02 13:18:19 | 釋超空の短歌
そもそも、私が知っている歌人は釋超空だけ。

それも、私がこの人を知ったのは、大学受験雑誌「蛍雪時代」に、この人の詩がたまたま掲載されており偶然にそれを眼にしたからだった。

それは私が大学受験に失敗し一年間浪人していたときだった。
その年は、あのキューバ危機があった年だったのでよく憶えている。
(これで我が歳がハレた!) それにしても現在も「蛍雪時代」という雑誌はあるのだろうか。)

この受験雑誌に掲載されていた奇妙な名前の人の詩に私は妙に惹かれたのだった。

私はそのとき工学を目指して受験勉強していたから、この奇妙な名前の人については全く知らなかったし、その人が折口信夫という高名な民俗学者だと知ったのは随分後になってからだった。

大学に入学してからも、この詩は私の頭の片隅から消えることはなかった。

そういうこともあって、たまたま、本屋でこの人の詩集を見つけて買ったのが、新潮社の日本詩人全集「釋超空・会津八一」(昭和43年初版)だった。 

今から思うと随分「老人じみた」詩に我が青春時に惹かれたものだと苦笑ものだが、
やはり気に入っているのか今ではほとんど暗誦できる。

その詩は以下の「きずつけずあれ」だった。
***
 わが為は 墓もつくらじ-。
 然れども 亡き後(あと)なれば、
  すべもなし。ひとのまにまに-

   かそかに ただ ひそかにあれ

  生ける時さびしかりければ、
  若し 然(しか)あらば、
  よき一族(ひとぞう)の 遠びとの葬(はふ)り処(ど)近く-。 

  そのほどの暫しは、
  村びとも知りて、見過ごし、
 やがて其(そ)も 風吹く日々に
 沙(すな)山の沙もてかくし
 あともなく なりなんさまに-。

  かくしこそ-
  わが心 しずかにあらむ-。

 わが心 きずつけずあれ
 

1. 私はうたは全くの門外漢で・・・

2011-08-02 13:07:35 | 釋超空の短歌
私はうたは全くの門外漢。
そもそも私の在職中の仕事は電子回路の設計をしていた。

従って、いわゆる「うた」とは全く無縁の世界に住んでいた。ですから、これから日記する(と言っても毎日とは限りないが)釋超空のうたの解釈は全くの素人の勝手なもので誤りも多々あると思う。

ただ、この釋超空という人のうたは、半世紀ほど前、ある受験雑誌で知り、その後
私の持っている唯一の詩集『釋超空・会津八一』(日本詩人全集・新潮社)を折にふれてパラパラとめくりこの人のうたや詩に親しんできた。

仕事とは無縁の世界であるが故に、わが心の癒しにもなってきた。

これから気の向くまま、この人の歌や詩の感想、というより連想を書いていこう。

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私は現在、在職中に少しばかり習得とくしたインタープリターBASICを使って
奇妙なフラクタル的画像を作って遊んでいる。

おひまな方は以下をご覧あれ。
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