釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

8. 『供養塔』

2011-08-04 08:21:03 | 釋超空の短歌
『供養塔』は以下の五つのうたの連作であり、私の最も愛するうただ。
思えば「愛」という言葉ほど日本離れしたものはないのだが、ここでは愛を使いたい。
この連作は以下のうただ。
***
『 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 』
                                   
『 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行くとどまらむ旅ならなくに 』    
                                   
『 邑(むら)山の松の木(こ)むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅人の墓 』
                                   
『 ひそかなる心をもりて、をはりけむ。命のきはに、言うこともなく 』  
                                     
『 ゆきつきて 道にたふるゝ生き物のかそけき墓は、草つゝみたり 』

***
このうたには作者による下記の前書きが添えられている。

『『数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立ってゐるのは、あはれである。又殆ど、峠毎に、旅死にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠して、死ぬまでの出た人のなどもある。』
***
この前書きを踏まえ、この連作を黙読するとき、私は常にある感銘にうたれる。

「命のきはに、言うこともなく死んでいく生きものたち」への作者の万感の思いは、
時間を越え空間を越え、人間ならば誰にでも感じることのできる普遍的なものだろう。

「いきもの」とか「いのち」というものは、なんと表現したらよいか、かなしいものだ。

この「いきもの」の「かなしさ」は、この連作では、ある「さみしさ」へと昇華されている。  
この「さみしさ」は私が最も共感をもし、また感銘をうける「心情」だ。

私はこの連作を黙読するたびに、このうたの向こうに何か透明で薄明の世界を常に感じている。
・・・
(うた『供養塔』の背景について)

釋超空の民俗学研究の旅がどのようなものであったかを知ることは、この人の旅の歌を読むとき私にはとても重要だ。

旅は、現在では新幹線なり車なりの旅となるのだろうが、それが良い悪いという意味ではなく、旅の仕方は、それによって歌のもつ背景や意味あいが根本的に変わってくると私は思う。

以下は、「供養塔」という歌が、釋超空のいかなる旅において作られたかを紹介した文章だ。この文章は、山本健一による解説「釋超空・人の作品」(新潮社・日本詩人全集)に掲載されている。

***
『供養塔」の歌は、超空が大正九年七月に、濃・信・遠・三の国境地方の山間の民間伝承探訪の旅の歌であった。

今でこそ、雪祭・花祭地帯として、民俗学徒は誰しも出掛けて行くが、当時は外部から隔絶された山間の別天地で、気楽な気持ちで入って行けるところではなかった。

この地方を古俗を初めて紹介した早川孝太郎が、超空の旅が随分と無茶な冒険に近いものだったことに驚いている。

一間しかない坂部(さかんべ)の宿では、一つの蚊帳の中に旅の洋傘直しと寝、宿の老爺が隻眼(がんち)だったことに脅かされたりした。

馬方の死を見たり、矢矧(やはぎ)川の橋づめに仆れている馬を見たり、美濃の搘皮(ちょひ)商人の遭難を聞いたり、険しい山道では陰惨な話の数々も聞いている。 
山道に行き暮れて野宿するようなことは、以前から度々あったらしい。』
***
「供養塔」という歌、あるいは他の釋超空の旅のうたには、上に引用した文章が、その歌の奥で通奏低音として低く重く常に響いている。
***
ここで私が連想するのは、随分昔読んだ小説『足摺岬』(田宮虎彦)。

この小説の主人公が足摺岬の宿で遭遇する人々と、釋超空が゛宿で遭遇する人々とが重なってくる。これらの人々はいずれも各人生の重荷を背負っている。

釋超空は、この重荷を「生きもの」一般にまで普遍化し、「生きものの、生きることの重荷」へと深化させているのではないか・・・そう私は思う。