無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

陳情一元化=「政治主導」の美名に隠れたあからさまな党略支配

2010-01-10 | 蟷螂斧:私的時事論談
私は今回の政権交代を「よりましな選択」とみなしているし、鳩山民主党のよちよち歩きを、相当不安が増してきたとはいえ、なおもう少し見守りもし、期待もしたいと考えている。
しかし、一方で、小沢幹事長主導の、あまりにあからさまな党利党略による国家、政治の引き回しには、嫌悪と恐怖を感じずにはいられない。

民主党政権は、地方や各種団体、国民からの「陳情」窓口を民主党の地方本部に一本化し、行政機関である各省庁が「陳情」を受け付けることを禁止し、しかも、そのすべてを小沢幹事長に集約し、扱いはすべて実質小沢一人の胸先三寸次第という体制を作り上げ、これが「政治主導」だとうそぶいている。

こんなふざけた話はない。
まず、いかに政権政党といえども、あくまで立法府内で政策を競い合う一政党にすぎない。これに対して各省庁を始め、行政機関は本来政治的に中立であるべき国家機関であって、国民の要望や意見を聞くのは当然の職務であり、また、国民には行政機関に意見や要望を言う権利がある。一政党にそれを禁止される言われはないし、そのようなことは許されてはならないはずだ。
勿論、政党は政党として、各方面からの意見、要望を聞き、自らの政策・政治的主張によってそれを振り分け、政策に反映するべく努めるのは当然である。
そのことと、党を通さなければ行政機関にもの申してはならないということとはまったく違う。それは、一政党が、国家の行政機関を、党利党略に基づいて支配しようとすることであり、まさに一政党が国の機関を私物化するものであるといって過言ではない。
日本国憲法は、国民に請願、陳情の権利を認めている。政党支持や思想信条に関わりなく、民主党に頭を下げてお願いしない限り政府や行政への要望ができないなどどいう、一党独裁的なシステムの強制は明らかに憲法の精神にも反する。

行政機関は行政の立場で各方面の意見を聞き、中立的、専門的な視点からの判断や政策案を政府に上げていくべきで、その上で政治家が自ら、あるいは党組織を通じて集約した意見や判断とすりあわせ、政治家として最終的な判断を行う、それが三権分立の下でのあるべき「政治主導」であろう。(「政治主導」がいかほどのものか・・という議論は今は置くとして)
自民党政権が、官僚の言いなりの「族議員政治」に堕したのは、官僚から自立した立場での判断をする能力も意思もなく、官僚のおみこしになるしかない政治屋集団に成り果てたことが問題だったのであって、官僚機構がそれぞれの立場で立案や具申をすること自体が問題だったわけではないであろう。
勿論、官僚たちは政治家を取り込み、操ろうと手練手管を弄するだろうが、それに負けないだけの力量を政治家がもつべきであって、それができないなら政治主導」など、ということ自体がおこがましいし、どんな体制にしようが、やがて同じ穴のむじなになるしかあるまい。

この小沢方式が、純粋によりよい統治機構を作ろうとする試みなどではなく、あからさまな集票戦略であることは、誰の目にも明らかである。
にも関わらず、主要メディアも含めて、「勝てば官軍、さもあらん」とでも言うような論調で傍観者的に評論する程度で、この暴挙へのきちんとした批判が見られないことに、この国のメディアの薄っぺらさを感じずにはいられない。

小沢氏は、政権交代可能な二大政党制を作り上げるのが悲願だといいながら、「自民党を焼け野原にする」と、なりふり構わず党利党略の構造を作り上げようとしている。そこから透けて見えるのは、「健全な政権交代可能なシステム」は単なる建前、きれい事で、本音は二度と政権を手放さない政治権力を作り上げようとする強烈な権力への意思だけである。
小沢氏の長年の行動からは、権力獲得、強化へのあくなき意思、マキャベリズムは見えるけれども、そうして獲得した権力でどのような社会を作りたいのかというビジョンや理念は全く見えず、彼にとって、政治とはあくまで権力ゲームであって、それ自体が自己目的であるようにしか見えない。
こういう人物は、本当に怖い。理念や理想がなければ手段を選ばない手法にブレーキが効かないからだ。
小沢氏の豪腕ぶりの秘密はまさにそこにあるのかもしれない。


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