無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

21世紀、世界の終わりのはじまり?

2001-12-08 | 蟷螂斧:私的時事論談
21世紀の始めと言うのに、世界はますます「世紀末」の様相を呈している。

20世紀の基調は、農業社会から産業革命がもたらした工業社会への転換、その思想的・社会的表現としての資本主義、そしてこの転換がもたらした矛盾=階級対立、植民地支配、帝国主義と対決する理想としての社会主義の実験とその挫折などであろう。
二つの世界大戦もその後の冷戦も結局はこの文脈の中で起こったことだといえる。

これに対して、20世紀から21世紀への転換の基調はなんだろう、工業化社会の爛熟とさらに飛躍的、加速度的なテクノロジーの発展がもたらす急激な変化、「IT化」とか「情報化」といったレベルを超えた超テクノロジー社会とも言うべき時代への転換が進んでいる。そしてこの変化はますます加速し、とどまることを知らないだろう。

20世紀を迎えたとき、激しい工業化、資本主義化がもたらす弊害に対して、これを克服し、コントロールしようとする思想、社会主義という希望を持っていた。
社会主義の理想は100年の実験の結果、社会体制、経済システムとしては挫折に終わった。しかし、その理念が資本主義という怪物の暴走を牽制し、社会的平等、搾取の緩和などの役割を果たしたことは間違いない。

21世紀を迎えた今、資本主義はテクノロジーの爆発的な進展をも自らの武器として、勝ち誇ったように弱肉強食、欲望の際限なき膨張をあおりつつ暴走しようとしている。
しかも、人類はこれをコントロールする理念や思想を持ち合わせているとは思えない。

近代科学技術とテクノロジーの発展が、今から思えばまだまだ助走期間だった20世紀半ば、すでに「科学の発達と精神的発達のアンバランス」は露呈していた。実際、人類は手に入れた知識・技術をコントロールするだけの精神性、倫理性を欠いている事を繰り返し証明し続けている。核兵器の開発、使用がその最たるものであることは言うまでもないが、野放図な化学物質の垂れ流し、地球環境そのものを危機に陥れながらもとどまることをしらない大量浪費と他方での貧困の蓄積などなど。
人類の知識、技術は爆発的に拡大しているが、その精神的能力は古代文明時代と基本的に変わりが無いと言っても過言ではあるまい。
科学的知識やテクノロジーは、一つの発見、発明が100の新たなテクノロジーの開発につながり、ますます加速度を高めずにはいない。とすれば、人類の科学的知識、技術的能力と精神のアンバランスもまた、ますます加速度的に拡大するほかあるまい。
かつて人類が発見した知識、生み出した技術は、まず何よりも兵器に利用されたように、そしてまた知りえた知識、生み出した技術でありながら倫理的理由で封印された知識、技術がいまだかつて存在しないことを見ても、人類がテクノロジーを人類と生きとし生きるものとその基盤である地球環境を守るために見事にコントロールしていくということは、残念ながらありそうにない。
まだ年端もいかぬ幼児が最新兵器や化学物質を玩具として与えられているようなものだと言えば言いすぎだろうか?

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