無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

日本は仏教国ではなかった?

2005-08-28 | 無明抄:こころの一人遊び
「ブータン仏教から見た日本仏教」(今枝由郎)を読む。

日本の仏教が「葬式仏教」といわれて久しいし、残念ながらそのとおりといわざるを得ないとは思っていたが、本書を読んで、これほど明解かつあからさまに日本仏教の非仏教性を指摘されると、改めて「目からうろこ」の思いがする。

とりわけ、日本には本当の意味の「僧」がいないとの指摘は正鵠を射ている。
「仏・法・僧」の三宝に帰依することが仏教徒であることの出発点、いわばクリスチャンにとっての洗礼にも等しい基本中の基本である。
「僧」とは、出家者としての戒律を守って修行に専念する者の集まりである。
しかし、日本のどこに、どの宗派に、出家者としての戒律を守っている修行者の集いがあるであろう?

勿論。皆無とはいえまい。
しかし、我々の大部分が、葬儀や法事等でお世話になる「お寺」にはいないのはまちがいない。
「寺」は、既に江戸300年の檀家制度の中で、単なる「家業」に成り果てている。
肉食妻帯し家族を持ち、事実上の私有財産と化した寺院資産を世襲する。
これはどう贔屓目にみても「出家」とはいえまい。

浄土真宗の徒であれば、肉食妻帯に踏み切った親鸞を引き合いに出すかもしれないが、しかし、それも親鸞ほどの徹底した信仰と覚悟の裏打ちがあってこそ・・と思える。
まして、自力の諸宗はどう合理化するのであろうか。

今や「仏教ブーム」と言われ、書店には仏教関連の新刊本がずらりと並んでいる。
僧籍を持つ著者の手になるものも多い。
それらがいずれも「三法帰依」を説いているのだが、これらの<僧>たちに訊ねてみたい。「僧」はどこにいるのですか?

日本人の精神構造の粗雑さというべきか、はたまた妙味というべきか・・・。


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