無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

「アメリカの怖さ」とは

2007-08-10 | 蟷螂斧:私的時事論談
先日の朝日新聞に、平岡元広島市長の談話が載っていた。
97年8月6日の平和記念式で、平岡氏が「核の傘に頼らない安全保障体制への努力」を政府に求める平和宣言を読み上げて席に戻ると、橋本龍太郎首相(当時)が険しい表情をしていた。式の後、橋本氏が平岡氏に近づいて「市長さんはアメリカの怖さを知らないんですよ」と言ったというのだ。
平岡氏は「何が怖いのですか」と尋ねたが答えはなかったそうだ。
答えられる話ではないということだろう。

日本の最高責任者である首相が、自国の安全保障のあり方への批判を受けたときに、最初に頭に浮かんだのが主体的な反論ではなく「アメリカの怖さ」だったということを物語るエピソードだ。

この記事を読んで、記憶の片隅に引っかかっていたもう一つの記事を思い出した。
確か数ヶ月前の、これも朝日の記事だったと思うが、「構造改革」に関する特集記事の中で紹介されていたエピソードだった。
橋本龍太郎氏が首相となり、アメリカの「対日年次改革要望書」の説明を受けたとき、「なんだこれは。まるでGHQの命令ではないか」と怒りをあらわにしたものの、むげにもできず、「前向き」な答えを作るように指示したということだ。

まるで自国の51番目の州だと言わんばかりに、自国のイデオロギーと、何よりも利害を押し付ける「対日要望」という名の「命令」。それに逆らえない日本政府。
そこにも「アメリカの怖さ」に怯える日本の政治家(多分財界も)の姿が透けて見える。

「構造改革」といい、「自主憲法」といいながら、実は「アメリカ好みの日本」、アメリカ資本の利にかなう経済構造、アメリカの軍事戦略に沿った「安全保障」体制に向けた「改革」ではないのか。(それなら、まさに「押し付け憲法」だ)
骨の髄からのアメリカ信奉者なのか、嬉々として「構造改革」だ「郵政民営化」だと「対日要望」実現に狂奔した小泉前首相と違って、橋本氏は、苦々しい思いをかみ締めながらも、なお逆らえない「怖さ」を痛感していたのではないか。

二つの小さなエピソードから、この国の深層を垣間見た、と思うのはうがちすぎだろうか。

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