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フロリダ半島日記ー大蛇パイソン

2012-08-16 21:14:18 | 日記
最近も、本当にフロリダは大自然に近いのだと実感しました。パーク(自然公園)に近い知人の家で夕食をとり、裏のガレージ。ドアーを開けて出た時のことです。大きなゴミ入れが横転していて、中のゴミが散乱していました。駆けつけた知人は、“これは熊の仕業だ!まだ近くにいるはずだから気をつけろ!”と叫びました。恐る恐る裏庭へ出てみると、シュロの植えてある下にもゴミが散乱しています。多分、熊がそこまで食べ物を含んだゴミを持ち出して食べていたのだろうと思って、道路を隔てた前の家の辺りを見ました。すると、かん高い犬の鳴き声が激しく聞こえてきます。これは犬が熊を追いかけているように感じました。実にそのとおりで、熊が前の家の隣から出てきました。そしてその家の玄関に居座ったのです。黒い熊でその黒い毛が不気味に光っています。大きな熊です。その家の人々ははたして熊が玄関にいることを知っているのかと心配して、知人がその家に電話をしています。私も動物園の黒熊なら見たことはあるのですが、野生の黒熊を見るのは初めてで興奮しました。その後、危害を加えることなくまた森かどこかへ行ってしまいました。もし私がもう少し早く知人のガレージに出ていたら多分あの熊クンと遭遇していたことになります。翌朝の新聞はその近くの高速ハイウエーで熊が事故にあったらしい死骸を見つけたと書いてありました。しかし、あの熊ではないようです。どうも最近、人里へ熊が来るようになったようです。1昨日のCNNのニュースによるとエバーグレーズというフロリダ最大の湿地帯で今までで最大のパイソンの死骸を発見したというのです。パイソンとはニシキヘビのことです。重さ164.5ポンド、長さ17.5フィートです
(約74キログラム、約5.1メートル)。実はこのニシキヘビは正式の名前はBurmese pythonといってインドニシキヘビの一種のようです。20~30年前からペットとして飼っていたものをエバーグレーズに捨てたものが繁殖したらしい。原産地は南アジアですが外来種としてこの環境には悪影響となるようです。すでに150000以上も繁殖して貴重な鳥類や小動物を何種類も食用としているというのです。更に鹿なども食べるというのです。
以前は身を隠した神秘的行動が多かったらしく人目につかなかったようです。この地のパーク管理者や生態学者によると、毎日のようにこのニシキヘビが見られて、ある時は一日で14匹も見たという。それでも、フロリダの人々はこの大蛇
を軽く見ていたようです。しかし、昨週、大変なことが起こったのです。それはベビーベットに寝ていた2歳の少女がニシキヘビに巻き殺されたのです。これは母親のボーイフレンドが飼っていたニシキヘビの仕業です。そういえば、これはフロリダではないのですが、ある時、ある労働者が2~3日会社に出てこなかったというのです。不審に思って同僚がアパートを訪ねると、彼が飼っていたニシキヘビが巻きつけていたというのです。2歳の少女の事を聞いて、そのことを思い出したのです

フロリダ半島日記ーリタイアー天国

2012-08-15 15:37:39 | 日記
世界的に有名な経済誌“フォーブズ”が、最近、リタイア(退職)の後、住みたいアメリカの都市25を発表しました。この25の都市は、生活費、家屋の価格、税金制度、気候、医療制度、治安問題、ボランティアのできる環境など様々な指標をもとに選ばれました。昔からアメリカはフロリダの各都市がリタイアーの夢でした。しかし、最近は、アリゾナとかニューメキシコなどの都市も挙げられるようになりました。これらの都市はほとんどが暖かい地域です。ニューヨーク、シカゴなどがあげられていないのは、冬あまりにも寒いことと、生活費がかかることもあるようです。カリフォルニア州は暖かいところですが、ここも生活費が問題のようです。リタイアーした人々の願いは、その地で、充実した交友関係を保つことであり、健康にゴルフなどのスポーツを楽しむことです。いきおい若返りを懇願せざるをえません。実は、フロリダは昔から若返りを願う地であったのです。
現在のフロリダの地に“若返りの泉”があると探検に出発したのがスペインのポンセ。デ。レオンです。彼はコロンブスの2度目の航海に同船しました。そして、カリブ海にあるプエルトリコの統治者に任命されます。そして、伝説によると、1513年、ポンセ。デ。レオンは若返りの泉を探すために3隻の舟を用意して、その発見と征服のために出航します。数ヵ月後に新しく発見した土地が、現在のフロリダ州の北東の海岸であると考えられています。その海岸近くは多くの美しい草花が咲いていたのでレオンは“ラ。フロリダ”と命名したというのです。スペイン語で、花がいっぱいという意味です。もうひとつの説は、上陸した時期がちょうど“復活祭”でありこの意味も花の過越祭ということです。結局、レオンは若返りの泉を発見できなかったのです。しかし、それから500年経った現在、このフロリダはまるで“若返りの泉”を発見したかのような元気なリタイアーした万年青年たちのコミュニティーがいたるところにあるのです。タンパはフロリダでは3番目ぐらい大きな歴史を持つ港町です。そこから少し南下した町に“サン。シティー”という町があります。ここに行ったときのことです。驚いたのは町中に老人がいるのです。スーパーで買い物をする人、道端で話しこむ人々、ゴルフカーとを乗り回す人と皆、老人なのです。まるで、老人たちだけが住む星にやってきたと錯覚しました。これは“退職後のコミュニティー”のひとつです。その他、フロリダには、“The Villages”というコミュニティーも有名です。このようなコミュニティーのパイオニア的存在がアリゾナ州にあるサンシティ(Sun City)です。このアリゾナのサンシティはデル・ウェブ(Del Webb)が創設したものです。ウェブはニューヨーク。ヤンキースなどのオーナーも経験した不動産関係の実業家です。1960年にアリゾナ州の砂漠に高齢者のみが住む町を作ったのです。その時、5軒ぐらいの家から始まったらしいのですが、今や5万人近くの55歳以上が住む町です。そこには9のゴルフ場、4のリクリエーションセンター、美術館、図書館や7000席を持つ劇場などもあります。
ただほとんどが裕福なリタイアーばかりで、子供たちや孫たちも訪問はできますが住むことはできません。犯罪はほとんどなく、住民の“足”であるゴルフカートに積んであったゴルフの用具が盗まれたことがあるぐらいだそうです。若者たちのロックや歓声や騒ぎは全くないのですが、このようなコミュニティーを日本人はどのように考えるでしょうか?日本も高齢者社会となりもしかして参考になるかもしれません。

フロリダ半島日記ーDr.Cと図書館

2012-08-13 19:16:47 | 日記
以前、近くにある図書館で、アジア系の老夫婦に会いました。中国人の夫妻でした。名前はDr.CつまりC博士です。私が日本人だとわかったらしく、小柄なやさしそうなDrは流暢な日本語で話しかけてきました。何でもこの方は、戦前、日本の東京教育大学(筑波大学の前身)で博士号をとったという。今、リタイアして一年の半分はニューヨークで生活し、寒い半年間はフロリダで生活しているというのです。息子さんはヨーロッパの有名な会社の何かの研究員だとも言っていました。もう80歳台の半ばですが、“テニスをかかさずしている”と元気そうなのです。夫人は耳が聞こえなくなってきたということで外へ一緒に出たがらないと嘆いていました。しかし、あの年齢で本当にテニスをしているのだろうかと少々眉唾的に聞いていました。しかし確かに2度ほど図書館の傍のテニスコートでその勇姿を見かけたのでおそれいったのです。それにしても、アメリカの図書館は非常にサービスがいいのに感心しています。日本でも昨年あたりから図書館は宅配サービスを始めたと聞きます。遠距離の人やハンディーキャップの人に向けての書籍の配達です。しかし郵送料は取るようです。アメリカの場合、特にこのあたりは、インターネットで宅配を要求すると何冊でも、無料で宅配してくれるのです。私の利用している分館のような図書館にはない書籍でも、中央図書館から取り寄せて小型トラックで配達してくれるのです。問題は、すぐには配達してくれないことや最新の書籍はちょっと在庫がないことなどです。それでも一度に10冊ぐらい要求してもきちんと宅配してくれることには感謝しています。ただ英語の原書が山のように積まれるとふとため息をつくことがあります。日本人が英語をスラスラと読めて書けるようになるのは何十年もかかるようです。“英語達人列伝”という本は、日本人でありながら英米人並かそれよりも達人になった人々を紹介しています。新渡戸稲造、岡倉天心、斉藤秀三郎、鈴木大拙、幣原喜重郎、野口英世などそうそうたる日本の偉人たちです。この本の著者は、“天晴れ、日本人の英語”とその各人をベタほめなのですが、本当にそれほどできたのだろうか?と疑ってしまいます。実は私も毎日、毎日、アメリカ人との会話、英語の新聞、雑誌、テレビやと英語の洪水の中で生きています。しかし、毎日、わからない英単語が最低で2~30個はでてくるのです。だから、いつもアメリカ人の友達に聞くことは、“本当に貴方はこんな単語がわかるのか?”ということです。以前、松本道弘氏が速読の英語を奨励していました。そして、わからない単語は判らないままにして、とにかく読め、といっていたように思います。しかし、私個人としては、わからない単語は徹底して辞書をひくことにしています。人様々な方法でいいと思うのです。
それにしても、私も本当に本好きで、学生時代は東京の神田や早稲田の古本屋街を朝から晩まで立ち読みをしていたのです。一軒の本屋で読みたい本を見つけると立ち読みをしました。すると、必ず店主が咳払いをして、布ハタキのようなものを持って、私のそばまで来て本棚の埃(ほこり)をはたき始めるのでした。そこであわてて、私は隣の本屋に向かうのでした。いつも昼は立ちソバかうどんでした。勝海舟の“氷川清話”を読むと、海舟も大変本好きだったようで、貧しくて本を買うことができず、立ち読みをしていたそうです。その姿を小樽の富豪の渋田利右衛門が見たのです。そしてある日、勝海舟に200両渡して、“その金であなたの好きな本を買ってくだ さい。あなたが読み終わったらば、その本を私に回してください。”と申し出たというのです。
最近、エジプトのアレキサンドリアに新しい図書館が建設されるというニュースを聞きました。ユネスコなどが1500年前に崩壊した古代アレクサンドリア図書館をよみがえらせ復元しようと計画しているようです。アレクサンドリア図書館は紀元前300年ごろ建てられたもので、世界中の文献を収集することが目的でした。古代ですからパピルスの巻物など70万巻にものぼったとも言われます。しかし虫害や火災や侵略や略奪で壊滅となりました。今回、ユネスコなどが計画している新アレクサンドリア図書館はコンピューター。ネットワークをも利用するということです。私は是非、そこへ行ってみたいと思っているのです。

フロリダ半島日記ー格安航空会社。ディズニー

2012-08-13 08:09:47 | 日記
今日は家族がニューヨークに行くことになり、オーランド国際空港へ送っていきました。最近は格安航空会社が人気なのでジェットブルー航空にしました。便利なことはコンピューターで簡単にチケットを購入できるようになったことです。ただそれとともにIT技術の知識や向上が要求されます。例えば、空港コードなどもよく知る必要があります。ジョン。F。ケネディー空港はJFK、ロサンジェルス空港はLAX,サンフランシスコ空港はSFO,ホノルル空港はHNL,成田空港はNRT,羽田空港はHND,という具合にです。その空港の呼び方によってコードがある程度わかるのです。しかし、オーランド国際空港のコードはMCOなのです。一体、どこからMとか Cというアルファベットが現れるのだろうといつも思っていました。実は、このオーランド国際空港は以前、空軍の飛行場だったのです。その名称はMcCoy Air Force Base(マッコイ空軍基地)です。これは1957年に競技飛行で死亡した司令官であったマッコイ大佐を記念した名前でした。ところで、そのころのフロリダの中央地域は湿地帯とオレンジ畑が延々と続く田舎でした。しかしそこに目をつけたのがウオルト。ディズニーです。1965年、オーランド市のホテルでディズニー社はフロリダ進出を宣言します。それから、ニューヨークのマンハッタンの2倍もの土地を購入します。これは東京の山手線の内側の1.5倍の面積です。ここに次々とマジック。キングダムやエプコットなどのディズニー“地上の楽園”が建設されます。それにつれて様々なテーマパークもはせ参じて建築ラッシュとなります。ホテルやレストランも乱立し始めます。1965年には、わずか3万人であったオーランド市周辺の人口も10年余りで25万人となり、現在は100万以上となりました。それにつれて多くの観光客が訪れるようになり、フロリダ州ではマイアミ国際空港につぐ乗客が乗り降りするようになりました。だからオーランド国際空港のコードのMCOはディズニーのおかげだから"Mickey's Corporate Office." (ミッキー。マウスの会社のオフィス)の頭文字をとったMCO だという人もいるのです。さて今日、私が空港に見送りに行くとアジア系のアメリカ人の少女たちが到着していました。空港の通路の壁には巨大なハリー。ポッターの魔法の世界の絵が書かれています。この少女たちは、歓声を上げながら、この絵を背景に盛んにポーズを取って写真を撮り合っていました。この巨大な絵はディズニーに対抗するユニバーサル。スタジオの宣伝なのです。ところどころの空港内のベンチには白雪姫とか眠りの森の美女のような格好をした少女が少々疲れた表情で休んでいます。多分、ディズニーを歩き回って来た観光客でしょう。
さて空港からの帰り道、格安航空ゆえにか早朝4時起きで少々疲れが出てきました。思えば、乗車券は空港のカウンターにもらいに行くのではなく、自動機器で自ら操作しなければなりませんでした。また、ハイウエーをドライブするには電子料金収受システム(略称ETC)は、非常に便利です。料金所で停止して一々係りの人にコインを手渡さなくてもよいのです。しかし空港の中に入って出てくる時にまごついてしまいました。ハイウエーをがんがん走って自動支払いでノンストップでいけるのはすばらしい。けれども、空港などに入ったり出たりする時には、標識を詳しく見てどこのラインに並べばいいのか、など困ることもあるのです。こういう国際空港には英語のわからない旅行者が大勢やってくるから、もっと旅人への配慮も必要です。例えばイギリスや日本からの旅行者が空港でレンタカーを借りる場合です。日本やイギリスは左側通行です。アメリカに着いたら、ここをすばやく右側通行に意識を変えることが要求されます。もちろん、アメリカ人が日本やイギリスに行った場合は反対です。私も日本でガソリンスタンドでガソリンを入れていたときのことです。突然、アメリカ人のような外国人の運転する自動車が右側に走っていったのです。驚いたガソリンスタンドで働く若者が、その後ろを、<お客さんそれは反対方向ですよ!>と大声で叫んで、手を振りながら追いかけているのを見ました。日本のような左側通行は世界では少数派なのです。ITなど便利になったようでも、まだまだ不便な世界です。


フロリダ半島日記ーコカコーラ

2012-08-11 19:03:47 | 日記
最近、ニューヨーク市長は、糖分の入った炭酸飲料や清涼飲料水を大型の容器に入れて販売することを禁止する、ことを検討しているという。肥満があまりにもひどい、というのがその理由です。もちろんマクドナルド社やコカコーラ社は「見当違い」で「恣意的だ」と大反対しているのです。それにしてもアメリカ人がコカコーラなどを飲むためのコップの大きさは、まるで馬が飲むような巨大なものもあります。この市長の言葉も無理はないとも思えます。しかしフロリダのような亜熱帯か熱帯かと思われるようなビーチで、灼熱の太陽の直射日光にあぶられ、また燃えるような砂にまぶされていると、さかんに手がクーラー。ボックス(cooler)に行きます。ボックスの中のよく冷えたコカコーラ(普通のサイズ)のキャップをあけて、そのほとばしる泡と爽やかな水がのどを潤すと気分爽快となるのです。特に熱帯のアフリカなどではまさしく“文明の象徴”のように思えたのです。主演のニカウさんが演じた“ミラクル・ワールド ブッシュマン”(The Gods Must Be Crazy)は、南アフリカ共和国のコメディー映画でした。劈頭にコカコーラのビンが空から降ってきて、それが問題を起こす、というような内容でした。コカコーラは今やアフリカやアジアや南米ではまるで近代の魔法の飲み物のようなのです。私もアフリカで下痢、腹痛のとき医師の処方箋は、“コカコーラを飲む”ということでした。アフリカでは水は貴重品であり、普通の水は煮沸が必要でした。だからコカコーラは医師のお勧めだったわけです。もちろんアフリカなどでは飲んだビンは返品しなければなりませんでした。品不足のためです。コカコーラは薬剤師のジョン・ペンバートンが発明したといわれていますから、もともと薬のようなものでもあったようです。始めて販売されたのはアメリカのジョージア州で1890年ごろのことです。さて、ご存知の多湖輝氏が以前、“企画力”という本を書きました。そこにこのような興味深い話が載っています。それは戦後間もなく、日本有数の清涼飲料メーカーのX社に初老の外国人が訪れたという。この外国人はコカコーラ社の日本担当員のMr.Sでした。この訪問の目的はX社の販売ルートを通じて、コカコーラを日本全国に販売することでした。しかしコカコーラ社はすでに2年をかけて日本全国に渡って情報を集めつくしていたのです。それでこのX社の販売ルートに目をつけたのです。ところが問題は、このX社の幹部たちが持っていたコカコーラに対する情報は貧弱そのもので、誰も飲んだ経験のある者はいなかったというのです。結局、幹部が集まって試飲会が持たれました。そして全員のカンは一様に、“薬くさい”や“しつこすぎる”でした。こうして大手のX社は申し入れを断ったのです。その後、コカコーラ社は再度徹底して調査を始めます。価格、販売ルート、容積、日本人の味覚などです。その結論は、“日本人は、先を争ってコーラを買うようになる”というものでした。そして他の中堅の会社が販売し、後に、“スカッとさわやかコカコーラ”の宣伝文句で一躍有名になりました。その味は、私も飲みましたが、日本人の好みに合うように、薬くさくなく、淡白にしてあったのです。この多湖輝氏が教訓として述べていることは次のようなことでした。それはX社の重役たちが充分な情報の裏付けなしに、自分たちの経験やカンだけで容易な結論を下したこと。そして、若者たち、つまり若年層では、嗜好の開発や変更はフレキシブル(融通性、適応性のある)であるという飲料界の常識を無視したからだというのです。といっても私はコカコーラを宣伝しているわけではありません。ニューヨーク市長の警告するように若い時と違って、糖分に気をつけて、ボトルもなるべく全部飲まないように気をつけています。ただ、今は、フロリダの暑い夏、あの冷えたコーラのキャップを開けて飲むこの瞬間を味わい楽しんでいるのです。日本のX社について書いたのも客観的な充分な情報がいつも重要である、と感じたので書き加えたまでです。