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フロリダ半島日記―― 感謝祭(Thanksgiving Day)の光と影

2012-11-26 12:51:53 | 日記
感謝祭(Thanksgiving Day)が終わりました。このお祭りの起こりはこのような経緯があります。1620年9月イギリスを出航した清教徒を乗せたメイフラワー号が今のマサチューセッツ州のプリマスに到着しました。2ヶ月もの長い航海でした。しかしその冬は厳しい寒さが続到来しました。多くの死者を出したのですが、残った人々は無事冬を越すことができました。それは、インディアンのワンパノアグ族の助けがあったからです。そして翌年の1621年の秋は穀物の収穫があって感謝の祭りを神に捧げました。その時、そのインディアン達も招待したのです。特に七面鳥(Turkey)の丸焼きなどが出されたようです。この祭りが国民的な祝日になったのはリンカーン大統領の時からのようです。悲惨な南北戦争は家族や兄弟や親族を引き裂いての戦いとなりました。それを修復するためでもあったようです。現在はアメリカ中に散らばった親族が飛行機や自動車でこの感謝祭に集まってくるのです。そのように旅行をする人々は約4000万人に登ります。普通、感謝祭の食事は七面鳥料理が中心なのです。2007年に食べられた七面鳥(Turkey)は2億7千羽といわれます。私たちは、今回は親族の同意で七面鳥(Turkey)の料理ではなく、若鶏のチキンに詰め物をした料理を主体としようということになりました。それにしても、アメリカやカナダで行われるこのお祭りには、何億もの七面鳥が食べられるかと思うと全く驚くのです。いきおい、食後はその骨などは愛犬に食べさせるので、多くの犬がノドに骨が刺さって獣医行きは大流行となるようです。                                 しかし私はいつもこの感謝祭(Thanksgiving Day)の食卓に並んだ数々の食事を見るとフト貧しいアフリカの国々を思うのです。私たちが以前住んでいたアフリカは年中飢餓状況でした。人々は2~3日、食事ができないのは当たり前という有様でした。アメリカは実は食料が有り余って、こっそり何処かへ捨てているということも聞きました。感謝祭(Thanksgiving Day)などにアフリカ人が参席すると一体どの様に感じるだろうかと思うのです。アフリカに住んでいたころニューヨークの会議に出ることがありました。参列したアメリカ人たちはその時のパーティーに出された食事を一口食べて、すぐゴミ箱に投げ捨てていました。その時、裕福なアメリカと飢餓のアフリカのあまりにも極端な違いに唖然としたことを今も覚えています。しかし、アフリカを離れてアメリカに住んでこの飽食の生活に慣れてくると貧しい人々のことを忘れがちになります。心すべきことだと自戒するのです。
感謝祭(Thanksgiving Day)の食卓を囲んで話に花が咲きます。以前カナダ人で最近アメリカ人になった(アメリカ国籍を取った)親族の一人は少年時代に七面鳥の飼育の世話をした思い出を語っていました。極寒のカナダでは七面鳥や鶏の世話は大変だというのです。冬には絶えず暖かい鳥小屋に入れなければ凍死してしまうらしいのです。また七面鳥の子供は自分でえさを食べることがわからないという。親鳥が教えるわけではないので、この人の少年時代は七面鳥の世話に明け暮れたそうです。カナダでも感謝祭(Thanksgiving Day)はあるようです。しかしアメリカのようなインディアンとの食事会というような歴史ではなく、純粋に穀物の収穫を神に感謝するということのようです。またアメリカのは11月の第4木曜日ですが、カナダは10月の第2月曜日だそうです。
食卓がニギヤカニなって誰かが食べたチキンの骨を取り上げて皆の前につまんではしゃいでいます。Wishbone、ウイッシュ。ボーンです。この骨は鳥類の胸にあるサコツのことです。Y字形になっています。15世紀のヨーロッパではウイッシュ。ボーンは天気予報に使われたともいわれます。最近は、身を食べた後のこの骨を二人の人が各々小指でこのウイッシュ。ボーンを引き合って、破り、長いほうの骨をとった人の望みがかなうといわれます。こうして感謝祭(Thanksgiving Day)は終わったのですが、考えてみるとこの北アメリカ大陸にはもうインディアンたちはいなくなっているのです。しみじみ哀感も。。。。。。。。