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フロリダ半島日記ーDr.Cと図書館

2012-08-13 19:16:47 | 日記
以前、近くにある図書館で、アジア系の老夫婦に会いました。中国人の夫妻でした。名前はDr.CつまりC博士です。私が日本人だとわかったらしく、小柄なやさしそうなDrは流暢な日本語で話しかけてきました。何でもこの方は、戦前、日本の東京教育大学(筑波大学の前身)で博士号をとったという。今、リタイアして一年の半分はニューヨークで生活し、寒い半年間はフロリダで生活しているというのです。息子さんはヨーロッパの有名な会社の何かの研究員だとも言っていました。もう80歳台の半ばですが、“テニスをかかさずしている”と元気そうなのです。夫人は耳が聞こえなくなってきたということで外へ一緒に出たがらないと嘆いていました。しかし、あの年齢で本当にテニスをしているのだろうかと少々眉唾的に聞いていました。しかし確かに2度ほど図書館の傍のテニスコートでその勇姿を見かけたのでおそれいったのです。それにしても、アメリカの図書館は非常にサービスがいいのに感心しています。日本でも昨年あたりから図書館は宅配サービスを始めたと聞きます。遠距離の人やハンディーキャップの人に向けての書籍の配達です。しかし郵送料は取るようです。アメリカの場合、特にこのあたりは、インターネットで宅配を要求すると何冊でも、無料で宅配してくれるのです。私の利用している分館のような図書館にはない書籍でも、中央図書館から取り寄せて小型トラックで配達してくれるのです。問題は、すぐには配達してくれないことや最新の書籍はちょっと在庫がないことなどです。それでも一度に10冊ぐらい要求してもきちんと宅配してくれることには感謝しています。ただ英語の原書が山のように積まれるとふとため息をつくことがあります。日本人が英語をスラスラと読めて書けるようになるのは何十年もかかるようです。“英語達人列伝”という本は、日本人でありながら英米人並かそれよりも達人になった人々を紹介しています。新渡戸稲造、岡倉天心、斉藤秀三郎、鈴木大拙、幣原喜重郎、野口英世などそうそうたる日本の偉人たちです。この本の著者は、“天晴れ、日本人の英語”とその各人をベタほめなのですが、本当にそれほどできたのだろうか?と疑ってしまいます。実は私も毎日、毎日、アメリカ人との会話、英語の新聞、雑誌、テレビやと英語の洪水の中で生きています。しかし、毎日、わからない英単語が最低で2~30個はでてくるのです。だから、いつもアメリカ人の友達に聞くことは、“本当に貴方はこんな単語がわかるのか?”ということです。以前、松本道弘氏が速読の英語を奨励していました。そして、わからない単語は判らないままにして、とにかく読め、といっていたように思います。しかし、私個人としては、わからない単語は徹底して辞書をひくことにしています。人様々な方法でいいと思うのです。
それにしても、私も本当に本好きで、学生時代は東京の神田や早稲田の古本屋街を朝から晩まで立ち読みをしていたのです。一軒の本屋で読みたい本を見つけると立ち読みをしました。すると、必ず店主が咳払いをして、布ハタキのようなものを持って、私のそばまで来て本棚の埃(ほこり)をはたき始めるのでした。そこであわてて、私は隣の本屋に向かうのでした。いつも昼は立ちソバかうどんでした。勝海舟の“氷川清話”を読むと、海舟も大変本好きだったようで、貧しくて本を買うことができず、立ち読みをしていたそうです。その姿を小樽の富豪の渋田利右衛門が見たのです。そしてある日、勝海舟に200両渡して、“その金であなたの好きな本を買ってくだ さい。あなたが読み終わったらば、その本を私に回してください。”と申し出たというのです。
最近、エジプトのアレキサンドリアに新しい図書館が建設されるというニュースを聞きました。ユネスコなどが1500年前に崩壊した古代アレクサンドリア図書館をよみがえらせ復元しようと計画しているようです。アレクサンドリア図書館は紀元前300年ごろ建てられたもので、世界中の文献を収集することが目的でした。古代ですからパピルスの巻物など70万巻にものぼったとも言われます。しかし虫害や火災や侵略や略奪で壊滅となりました。今回、ユネスコなどが計画している新アレクサンドリア図書館はコンピューター。ネットワークをも利用するということです。私は是非、そこへ行ってみたいと思っているのです。

フロリダ半島日記ー格安航空会社。ディズニー

2012-08-13 08:09:47 | 日記
今日は家族がニューヨークに行くことになり、オーランド国際空港へ送っていきました。最近は格安航空会社が人気なのでジェットブルー航空にしました。便利なことはコンピューターで簡単にチケットを購入できるようになったことです。ただそれとともにIT技術の知識や向上が要求されます。例えば、空港コードなどもよく知る必要があります。ジョン。F。ケネディー空港はJFK、ロサンジェルス空港はLAX,サンフランシスコ空港はSFO,ホノルル空港はHNL,成田空港はNRT,羽田空港はHND,という具合にです。その空港の呼び方によってコードがある程度わかるのです。しかし、オーランド国際空港のコードはMCOなのです。一体、どこからMとか Cというアルファベットが現れるのだろうといつも思っていました。実は、このオーランド国際空港は以前、空軍の飛行場だったのです。その名称はMcCoy Air Force Base(マッコイ空軍基地)です。これは1957年に競技飛行で死亡した司令官であったマッコイ大佐を記念した名前でした。ところで、そのころのフロリダの中央地域は湿地帯とオレンジ畑が延々と続く田舎でした。しかしそこに目をつけたのがウオルト。ディズニーです。1965年、オーランド市のホテルでディズニー社はフロリダ進出を宣言します。それから、ニューヨークのマンハッタンの2倍もの土地を購入します。これは東京の山手線の内側の1.5倍の面積です。ここに次々とマジック。キングダムやエプコットなどのディズニー“地上の楽園”が建設されます。それにつれて様々なテーマパークもはせ参じて建築ラッシュとなります。ホテルやレストランも乱立し始めます。1965年には、わずか3万人であったオーランド市周辺の人口も10年余りで25万人となり、現在は100万以上となりました。それにつれて多くの観光客が訪れるようになり、フロリダ州ではマイアミ国際空港につぐ乗客が乗り降りするようになりました。だからオーランド国際空港のコードのMCOはディズニーのおかげだから"Mickey's Corporate Office." (ミッキー。マウスの会社のオフィス)の頭文字をとったMCO だという人もいるのです。さて今日、私が空港に見送りに行くとアジア系のアメリカ人の少女たちが到着していました。空港の通路の壁には巨大なハリー。ポッターの魔法の世界の絵が書かれています。この少女たちは、歓声を上げながら、この絵を背景に盛んにポーズを取って写真を撮り合っていました。この巨大な絵はディズニーに対抗するユニバーサル。スタジオの宣伝なのです。ところどころの空港内のベンチには白雪姫とか眠りの森の美女のような格好をした少女が少々疲れた表情で休んでいます。多分、ディズニーを歩き回って来た観光客でしょう。
さて空港からの帰り道、格安航空ゆえにか早朝4時起きで少々疲れが出てきました。思えば、乗車券は空港のカウンターにもらいに行くのではなく、自動機器で自ら操作しなければなりませんでした。また、ハイウエーをドライブするには電子料金収受システム(略称ETC)は、非常に便利です。料金所で停止して一々係りの人にコインを手渡さなくてもよいのです。しかし空港の中に入って出てくる時にまごついてしまいました。ハイウエーをがんがん走って自動支払いでノンストップでいけるのはすばらしい。けれども、空港などに入ったり出たりする時には、標識を詳しく見てどこのラインに並べばいいのか、など困ることもあるのです。こういう国際空港には英語のわからない旅行者が大勢やってくるから、もっと旅人への配慮も必要です。例えばイギリスや日本からの旅行者が空港でレンタカーを借りる場合です。日本やイギリスは左側通行です。アメリカに着いたら、ここをすばやく右側通行に意識を変えることが要求されます。もちろん、アメリカ人が日本やイギリスに行った場合は反対です。私も日本でガソリンスタンドでガソリンを入れていたときのことです。突然、アメリカ人のような外国人の運転する自動車が右側に走っていったのです。驚いたガソリンスタンドで働く若者が、その後ろを、<お客さんそれは反対方向ですよ!>と大声で叫んで、手を振りながら追いかけているのを見ました。日本のような左側通行は世界では少数派なのです。ITなど便利になったようでも、まだまだ不便な世界です。