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フロリダ半島日記ー美しい湖

2012-08-10 19:41:17 | 日記
近くにケイン。レイクという美しい湖があります。フロリダには大小あわせて
3万近い湖があります。このことは北欧のフィンランドとよく似ているのです。どちらも多くの湖があるのですが、湖の出来方には大きな違いがあります。フィンランドの湖の場合は氷河が、ゆっくりと長い期間にわたって大地を這(は)ったのです。そして掘削した谷間がせき止められて水がたまったものです。フロリダの場合は、海底に魚の骨やプランクトンなどのカルシュームが沈殿しました。それが気の遠くなるような期間を通して固まって石灰岩となったのです。そしてある時、突然、アメリカ大陸の南端に隆起してフロリダ半島となったのです。しかし酸を含んだ地下水が半島の地層に流れて石灰岩を溶かしていったのです。つまり地下に虫歯のような洞窟ができるのです。ある時、地面がその空洞のような洞窟に滑り落ちるのです。これが、有名なシンク。ホール(sink.hole)です。フロリダの湖はほとんどがシンク。ホールなのです。さてこのケイン。レイクは地下から多くの泉が湧き出ていていつも豊富な綺麗な水をたたえています。この湖を囲むように瀟洒な家々や別荘が立ち並んでいます。名物の医師は毎朝、この湖を泳いで横断することを習慣としているのです。往復で約40~50分ほどです。医師は人々に健康のための水泳を奨励しています。時々、ハンディキャップの人々や青少年を週末に集めて泳がせたりしています。湖の一角は公園になっていたり、一般用の会員制の小さな桟橋のついたビーチもあるのです。私も時々、このビーチでくつろぐことがあります。ただ、会員制のビーチに行くにはフェンスに付けられた鍵の番号を覚えておかなければなりません。野生の白色や茶色のアヒルのカップルや親ガモが10匹ほどの子ガモを引き連れた姿も見られます。特にいつも異なった種類のサギが優雅に歩いているのです。鷹やワシのような鳥もいるのです。亀が時々頭を上げたり、カワウソのかわいい潜水もあったりします。
そして時々、新しく引っ越してきた家族が来て、様々な質問をしてくるのです。まずお決まりの質問は、“貴方はこのビーチの会員ですか?私たちも会員になれるのですか?”そして必ず念を押して聞いてくることは、“アリゲーター(ワニ)はいないだろうね”ということです。私も最初のころこの湖で“昔、アリゲーターを見かけた人がいた。”とか、“モカシンを見た。”という噂を聞いて、おっかなびっくりでした。モカシンとは毒のあるマムシのような水蛇です。しかし、その後、そのような噂は聞かなくなりました。この湖は風が強いとき、雨の降った後、と小波や陰や光が違った風情を見せてくれて心を和ませてくれます。しかし、最近、一つの問題が生じました。それはオーランド市が道路の排水用の大きなパイプをこの湖に備え付けると宣言したのです。環境汚染を心配する湖の周りの住民が数百人立ち上がって反対のキャンペーンを張りました。アメリカはほとんどの家庭に芝生があるのです。そこに最近は知らぬうちに殺虫剤がまかれるようになりました。それが雨水と共に湖に流れれば魚や鳥や植物に有害となり、湖が汚染されることになります。実は、このように汚染されてしまった手遅れの湖が少なくないのです。そういえば、私が日本の田舎に帰ったときのことです。子供時代には田んぼに接する小川にフナやザリガニが多くいたのです。父がよく大きな網を仕掛けてフナなどを採ってくれました。しかしその懐かしい小川はセメントで仕切られていて生き物は影も姿も現さなかったのです。それはショックで悲しいことでした。ホタルも日本の田舎ではもう見られなくなったと聞きます。農薬の仕業でしょうか?とにかく日本も環境汚染が進んでいるのです。
そういうことを憂いたこのフロリダの湖の住民たちの意見がとうとう市の責任者に聞かれて、私も住民たちもほっとしているのです。

フロリダ半島日記ーなでしこ。ジャパン

2012-08-09 21:15:49 | 日記
今日は朝から、なでしこジャパンとアメリカの試合のことが気になっていました。
ロンドン。オリンピックの競技をアメリカから見るというのも複雑な心境です。アメリカ人の選手が他の国の選手と競技をしていると、どうしてもアメリカの選手を応援しているのです。しかし、今回の“なでしこジャパン”とアメリカの決勝戦は不思議と澤や川澄や宮間選手たちに声援を送りたくなるのです。決勝戦の経過はインターネットの各日本の新聞が刻々と特報で様子を伝えています。“大儀見選手が左足で押し込み、日本が1点を返す!”と速報が出ています。アメリカのテレビはNBCが主にロンドン。オリンピックを大きく報道しています。しかしこの女子サッカーの決勝戦の緊迫した状況なのに、報じているのはWater Poloつまり水球の試合でした。他にも2つほどのネットワークがあります。しかしボクシングやカヌー競技のような種目が見られるだけです。他のチャンネルではオリンピックと関係のないゴルフとかテニスとか子供の野球とか他の多くのスポーツが盛んに報道されています。
昨日のマイアミ。ヘラルド紙(フロリダ最大の都市マイアミにある新聞)にコラムがのっていました。このスポーツ。コラムニストがアメリカの女子サッカーチームがカナダに勝ったテレビを見たという。そして次にアメリカ男子バスケット。チームがアルゼンチンとの試合をしているのも観戦したという。そこにはNBAのマイアミ。ヒートに所属するスーパースターのレブロン・ジェームズがプレーしていた。しかし、このようなアメリカ男子バスケットボールがこのオリンピックに(万が一)敗れても、レブロン・ジェームズの年収は20ミリオン。ドル(20億円以上)だというのです。しかしこのアメリカ女子サッカーの選手はほとんど無いに等しい給料でアルバイトをして、からくもサッカーを続けている選手もいるという。このアマチュア精神こそオリンピックにふさわしい、と記しているのです。
またあるジャーナリストはこのように書いています。
アメリカの人気はアメリカン。フットボールやバスケットボールや野球です。女子サッカーはアメリカでは日本で言えば郊外の女性たちのソフトボールという感じだというのです。もちろん、1999年の女子ワールド。カップのミア。ハムとか9万人の観衆の前で感激のあまりユニホームを脱ぎ捨てたブランディ。チャスティンなどは有名になりましたが。。
今回アメリカ女子サッカーチームは“なでしこジャパン”に勝ちました。しかし“なでしこ”が日本全国(また私のように海外からも)からすごい声援を受けているのにアメリカ女子チームは随分、かわいそうな不憫(ふびん)な選手たちでもあるのです。


フロリダ半島日記

2012-08-08 18:45:35 | 日記
自動車のタイヤがまた駄目になり、いつもの修理店へ行きました。
この店は最近大手のアフターマーケット、つまり、自動車の修理。保守などのための会社に吸収されたようです。いつものマネージャーが店頭にいて誰かに電話していました。このマネージャーはあのブッシュ大統領(ブッシュ。ジュニア)にどこか似ているので、“ブッシュの兄弟”と思っているのです。しかし、腕の刺青が自慢らしい、ややヤクザッポイところがあるのですが、信頼できる人です。しかし、なにか相当深刻そうな会話を電話でしていて私が来ているのも気が付かないようです。会話では、“ストレスで圧倒されそうになり、ビーチで一人歩いて考えたよ“というようなことを語っています。ふと、いつも店頭に張ってある家族写真を見ると、3人のティーン。エージの子供と写した写真にはいつもの夫人が載っていないのです。夫人がもし亡くなったとしても家族写真からはずすというようなことを急にするはずがないから、これは離婚だなと思ったのです。実にアメリカは離婚が多いのです。50パーセントは離婚をするといわれます。このマネージャーの詳しい事情はわからないのですが競争の激しい自動車修理会社と家庭問題のハザマに立つ“ブッシュの兄弟”に励ましと同情を送りたいと思うのです。
さて、タイヤを替えるには手数料だけで300ドルだという。新しい会社に組み込まれて値段を上げたのかと思って“もうすこし考えてみる”といってその店を出たのです。それにしてもタイヤが駄目になった、水漏れ油漏れ、トランスミッションだスターターがと要らない出費に泣かされてしまいます。しかしアメリカでは自動車は必需品であり“足”そのものです。もちろんニューヨークやワシントンD.Cなどの都会は電車やバスやと交通手段が他にもあるのですが、それ以外のアメリカの田舎は自動車がどうしても必要です。といっても何十年も故障のない自動車はないので皆、この修理の問題に泣かされながら生活しているのです。
そこで俄然、人気がでるのが、日本車です。皆の関心の目が、故障の少ないまたガソリンもあまり消費しない日本車に向かうのは当然でしょう。私もヨーロッパのシャレたハイウエーを走る日本車やアフリカの泥とほこりにまみれた道なき道をぼろぼろになっても走り続ける日本車に感動してきました。
戦後しかしアメリカに進出した日本車はハイウエーを長く猛スピードで走ることができず“日本車はアメリカでは使い物にならない”と言われたというのです。その後、このように賞賛されるまでにいたるまで、日本人の技術者たちはどれほど苦心と苦労をしただろうかと想像すると、そこには涙ながらの努力があったに違いないと感じるのです。
私の友人にブラジル系のアメリカ人がいます。彼は柔道3段で夫人は日系ブラジル人です。が二人とも日本語はぜんぜんわかりません。この友達は大手の航空会社のスチュワードをしていますが、時々自宅に帰ってくると自動車の修理に没頭するか柔道の道場に行っているのです。自動車のことになるといつも“日本車は最高だ。特にホンダはどんなに古くなってもアメリカ中ガンガン走ることができる。故障は少ないしガソリンもあまりかからない”というのが口癖です。天国の本田宗一郎氏も彼の言葉にはさぞ喜んでいるだろうと思うのです。ホンダの話題になるとこの友人とよく話したのが私の田舎の親戚のことです。この人は私の田舎のホンダのディーラーであり修理工場を持っているのです。帰国するたびに彼の店からホンダの車を借りることになっています。この親戚の男性の夢はアメリカ大陸をホンダの自動車で横断することだと言っていました。しかしいつも彼に会うたびに思い出すのは彼が小学校のころ学芸会で多くの父兄を前にして独唱したときのことです。歌い始めたはよかったのですがアガッテシマッテ無言のまますごすごと演台を降りてしまいました。多くの学友から“あれはおまえの親戚じゃなかったか”とからかわれたことがありました。しかし自動車のディーラーとなり修理工場も順調にいっているらしいのが親族の間では評判です。

フロリダ半島日記

2012-08-08 18:45:35 | 日記
自動車のタイヤがまた駄目になり、いつもの修理店へ行きました。
この店は最近大手のアフターマーケット、つまり、自動車の修理。保守などのための会社に吸収されたようです。いつものマネージャーが店頭にいて誰かに電話していました。このマネージャーはあのブッシュ大統領(ブッシュ。ジュニア)にどこか似ているので、“ブッシュの兄弟”と思っているのです。しかし、腕の刺青が自慢らしい、ややヤクザッポイところがあるのですが、信頼できる人です。しかし、なにか相当深刻そうな会話を電話でしていて私が来ているのも気が付かないようです。会話では、“ストレスで圧倒されそうになり、ビーチで一人歩いて考えたよ“というようなことを語っています。ふと、いつも店頭に張ってある家族写真を見ると、3人のティーン。エージの子供と写した写真にはいつもの夫人が載っていないのです。夫人がもし亡くなったとしても家族写真からはずすというようなことを急にするはずがないから、これは離婚だなと思ったのです。実にアメリカは離婚が多いのです。50パーセントは離婚をするといわれます。このマネージャーの詳しい事情はわからないのですが競争の激しい自動車修理会社と家庭問題のハザマに立つ“ブッシュの兄弟”に励ましと同情を送りたいと思うのです。
さて、タイヤを替えるには手数料だけで300ドルだという。新しい会社に組み込まれて値段を上げたのかと思って“もうすこし考えてみる”といってその店を出たのです。それにしてもタイヤが駄目になった、水漏れ油漏れ、トランスミッションだスターターがと要らない出費に泣かされてしまいます。しかしアメリカでは自動車は必需品であり“足”そのものです。もちろんニューヨークやワシントンD.Cなどの都会は電車やバスやと交通手段が他にもあるのですが、それ以外のアメリカの田舎は自動車がどうしても必要です。といっても何十年も故障のない自動車はないので皆、この修理の問題に泣かされながら生活しているのです。
そこで俄然、人気がでるのが、日本車です。皆の関心の目が、故障の少ないまたガソリンもあまり消費しない日本車に向かうのは当然でしょう。私もヨーロッパのシャレたハイウエーを走る日本車やアフリカの泥とほこりにまみれた道なき道をぼろぼろになっても走り続ける日本車に感動してきました。
戦後しかしアメリカに進出した日本車はハイウエーを長く猛スピードで走ることができず“日本車はアメリカでは使い物にならない”と言われたというのです。その後、このように賞賛されるまでにいたるまで、日本人の技術者たちはどれほど苦心と苦労をしただろうかと想像すると、そこには涙ながらの努力があったに違いないと感じるのです。
私の友人にブラジル系のアメリカ人がいます。彼は柔道3段で夫人は日系ブラジル人です。が二人とも日本語はぜんぜんわかりません。この友達は大手の航空会社のスチュワードをしていますが、時々自宅に帰ってくると自動車の修理に没頭するか柔道の道場に行っているのです。自動車のことになるといつも“日本車は最高だ。特にホンダはどんなに古くなってもアメリカ中ガンガン走ることができる。故障は少ないしガソリンもあまりかからない”というのが口癖です。天国の本田宗一郎氏も彼の言葉にはさぞ喜んでいるだろうと思うのです。ホンダの話題になるとこの友人とよく話したのが私の田舎の親戚のことです。この人は私の田舎のホンダのディーラーであり修理工場を持っているのです。帰国するたびに彼の店からホンダの車を借りることになっています。この親戚の男性の夢はアメリカ大陸をホンダの自動車で横断することだと言っていました。しかしいつも彼に会うたびに思い出すのは彼が小学校のころ学芸会で多くの父兄を前にして独唱したときのことです。歌い始めたはよかったのですがアガッテシマッテ無言のまますごすごと演台を降りてしまいました。多くの学友から“あれはおまえの親戚じゃなかったか”とからかわれたことがありました。しかし自動車のディーラーとなり修理工場も順調にいっているらしいのが親族の間では評判です。