gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

フロリダ半島日記ー魔法使いの肩掛け。スパニッシュ。モス

2012-09-29 19:13:20 | 日記
熱帯のような猛暑がやや過ぎ去るとフロリダも様々な祭日の季節がやってきます。
お化けの祭典ハロウィーン、サンクスギビング。デイ(感謝祭)そしてクリスマスです。
庭に高くそびえているオーク(樫の木の一種)がお祭りの季節に応じて様々な演出をしてくれるのです。近くにはユニバーサル。スタジオがあって時々花火をあます。するとこのオークの木の背後に色とりどりの花火の光が映ってまるでクリスマス。ツリーの飾り付けのようになります。このオークの木にはスパニッシュ。モス(フロリダ。モス)という灰色のような白いスカーフまたはショールのような長いコケが多くたれているのです。クリスマスにはこのスパニッシュ。モスがクリスマス。ツリーを銀色に飾り付ける綿のような雪に見えるのです。しかし、クリスマスの前にアメリカでは各地でお化けの祭典 ハロウィーンをお祝いします。このハロウィーンの時期にはこのスパニッシュ。モスはまるで魔法使いのお婆さんが肩からかけているショールに思えてくるのです。スパニッシュ。モスというのは実に不思議な植物です。最近は日本でも室内の窓につるして装飾用に用いていると聞きます。アメリカ映画では南部の風景としてよくスパニッシュ。モスの茂った木々を映写します。あの“風と共に去りぬ”の夕日の場面場面にこのような光景が展開します。
ともすれば、このスパニッシュ。モスは大きな木に寄生してそこから養分をもらっている寄生植物であると考えがちです。しかしこのツタのようなコケのような植物は実はコケとか地衣類ではないのです。スパニッシュ。モスは着生植物といって土壌に根を持たず、栄養は空気や空中のチリや雨水を自ら摂取するのです。つまりエアー。プラント(Air plant)なのです。パイナップルとは似ても似つかない風貌ですが植物学的分類ではパイナップル科の植物なのです。また立派に花を咲かせる種子植物であり被子植物なのです。ただ黄緑色の花は咲いても小さすぎてほとんど見分けられないでしょう。しかし貴方が誰かにこの小さな花をつけたスパニッシュ。モスを小さな箱に詰めてプレゼントされたら、箱を開けると瞬間的にすばらしい香りが部屋中に漂うでしょう。スパニッシュ。モスは多くの種類の小さな生物たちの住み家でもあります。この前、私がこの近くに行ったら突然、黒いラット。スネークが飛び出してきました。コウモリやハエトリグモなどのハビタット(生息地)でもあります。
スパニッシュ。モスは昔の自動車のシートの中の詰め物として、家具やマットレスにも同様に使われました。特にスパニッシュ。モスを詰めたマットレスは自然の断熱剤であり涼しく快適なのです。エアコンの出現以前は重宝されました。園芸用としては花の周りにおいて水分を維持させました。アメリカ南部の建築においても断熱や防音として、また裏庭のフェンスやワイアーに私有地のスクリーンとしてゆったりと優雅にほどこされたのです。
人間界ばかりではなく鳥類の特に鳴鳥はスパニッシュ。モスを使って巣を作ります。ウグイス科の小鳥たちは好んで使い、コウモリ類もそうです。
今スパニッシュ。モスには様々な伝説が残っています。一人のスペイン兵がインディアンの酋長の寵愛する娘に一目ぼれをしました。しかし酋長はお互いに会うことを禁じました。この禁を破ったスペイン兵を酋長は古い高いオークの木の頂上に縛り付けました。そして、酋長は“もう会わない”と約束すれば頂上から下ろすと言いました。スペイン兵はかたくなに拒み続けます。
見張りのインディアンは、酋長の娘でも誰であってもこのスペイン兵に水や食料を与えないように命令しました。スペイン兵は段々衰弱していきましたが、決して酋長の娘への恋心を捨てようとはしませんでした。この兵隊が衰弱しきった時、酋長は最後の説得をします。スペイン兵は死んでもこの愛情は続くだろうと言い切ります。そしてこの死骸は木の頂上に残したままにされたのです。見せしめと戒めのためです。間もなくして、インディアンたちはこのスペイン兵のヒゲが伸び続けていることに気がつきました。酋長の娘はこのヒゲが消え去るまで夫となる男性を拒みました。しかし、ヒゲはますます伸び続けてインディアンたちの村をはるかに越えた所まで達していました。この伝説によると、スパニッシュ。モスがすべて消え去った時初めてスペイン兵の酋長の娘への愛情はそれとともについに消えさるというのです。

フロリダ半島日記ー魔法使いの肩掛け。スパニッシュ。モス

2012-09-29 19:13:20 | 日記
熱帯のような猛暑がやや過ぎ去るとフロリダも様々な祭日の季節がやってきます。
お化けの祭典ハロウィーン、サンクスギビング。デイ(感謝祭)そしてクリスマスです。
庭に高くそびえているオーク(樫の木の一種)がお祭りの季節に応じて様々な演出をしてくれるのです。近くにはユニバーサル。スタジオがあって時々花火をあます。するとこのオークの木の背後に色とりどりの花火の光が映ってまるでクリスマス。ツリーの飾り付けのようになります。このオークの木にはスパニッシュ。モス(フロリダ。モス)という灰色のような白いスカーフまたはショールのような長いコケが多くたれているのです。クリスマスにはこのスパニッシュ。モスがクリスマス。ツリーを銀色に飾り付ける綿のような雪に見えるのです。しかし、クリスマスの前にアメリカでは各地でお化けの祭典 ハロウィーンをお祝いします。このハロウィーンの時期にはこのスパニッシュ。モスはまるで魔法使いのお婆さんが肩からかけているショールに思えてくるのです。スパニッシュ。モスというのは実に不思議な植物です。最近は日本でも室内の窓につるして装飾用に用いていると聞きます。アメリカ映画では南部の風景としてよくスパニッシュ。モスの茂った木々を映写します。あの“風と共に去りぬ”の夕日の場面場面にこのような光景が展開します。
ともすれば、このスパニッシュ。モスは大きな木に寄生してそこから養分をもらっている寄生植物であると考えがちです。しかしこのツタのようなコケのような植物は実はコケとか地衣類ではないのです。スパニッシュ。モスは着生植物といって土壌に根を持たず、栄養は空気や空中のチリや雨水を自ら摂取するのです。つまりエアー。プラント(Air plant)なのです。パイナップルとは似ても似つかない風貌ですが植物学的分類ではパイナップル科の植物なのです。また立派に花を咲かせる種子植物であり被子植物なのです。ただ黄緑色の花は咲いても小さすぎてほとんど見分けられないでしょう。しかし貴方が誰かにこの小さな花をつけたスパニッシュ。モスを小さな箱に詰めてプレゼントされたら、箱を開けると瞬間的にすばらしい香りが部屋中に漂うでしょう。スパニッシュ。モスは多くの種類の小さな生物たちの住み家でもあります。この前、私がこの近くに行ったら突然、黒いラット。スネークが飛び出してきました。コウモリやハエトリグモなどのハビタット(生息地)でもあります。
スパニッシュ。モスは昔の自動車のシートの中の詰め物として、家具やマットレスにも同様に使われました。特にスパニッシュ。モスを詰めたマットレスは自然の断熱剤であり涼しく快適なのです。エアコンの出現以前は重宝されました。園芸用としては花の周りにおいて水分を維持させました。アメリカ南部の建築においても断熱や防音として、また裏庭のフェンスやワイアーに私有地のスクリーンとしてゆったりと優雅にほどこされたのです。
人間界ばかりではなく鳥類の特に鳴鳥はスパニッシュ。モスを使って巣を作ります。ウグイス科の小鳥たちは好んで使い、コウモリ類もそうです。
今スパニッシュ。モスには様々な伝説が残っています。一人のスペイン兵がインディアンの酋長の寵愛する娘に一目ぼれをしました。しかし酋長はお互いに会うことを禁じました。この禁を破ったスペイン兵を酋長は古い高いオークの木の頂上に縛り付けました。そして、酋長は“もう会わない”と約束すれば頂上から下ろすと言いました。スペイン兵はかたくなに拒み続けます。
見張りのインディアンは、酋長の娘でも誰であってもこのスペイン兵に水や食料を与えないように命令しました。スペイン兵は段々衰弱していきましたが、決して酋長の娘への恋心を捨てようとはしませんでした。この兵隊が衰弱しきった時、酋長は最後の説得をします。スペイン兵は死んでもこの愛情は続くだろうと言い切ります。そしてこの死骸は木の頂上に残したままにされたのです。見せしめと戒めのためです。間もなくして、インディアンたちはこのスペイン兵のヒゲが伸び続けていることに気がつきました。酋長の娘はこのヒゲが消え去るまで夫となる男性を拒みました。しかし、ヒゲはますます伸び続けてインディアンたちの村をはるかに越えた所まで達していました。この伝説によると、スパニッシュ。モスがすべて消え去った時初めてスペイン兵の酋長の娘への愛情はそれとともについに消えさるというのです。

フロリダ半島日記ー魔法使いの肩掛け。スパニッシュ。モス

2012-09-29 19:11:50 | 日記
熱帯のような猛暑がやや過ぎ去るとフロリダも様々な祭日の季節がやってきます。
お化けの祭典ハロウィーン、サンクスギビング。デイ(感謝祭)そしてクリスマスです。
庭に高くそびえているオーク(樫の木の一種)がお祭りの季節に応じて様々な演出をしてくれるのです。近くにはユニバーサル。スタジオがあって時々花火をあます。するとこのオークの木の背後に色とりどりの花火の光が映ってまるでクリスマス。ツリーの飾り付けのようになります。このオークの木にはスパニッシュ。モス(フロリダ。モス)という灰色のような白いスカーフまたはショールのような長いコケが多くたれているのです。クリスマスにはこのスパニッシュ。モスがクリスマス。ツリーを銀色に飾り付ける綿のような雪に見えるのです。しかし、クリスマスの前にアメリカでは各地でお化けの祭典 ハロウィーンをお祝いします。このハロウィーンの時期にはこのスパニッシュ。モスはまるで魔法使いのお婆さんが肩からかけているショールに思えてくるのです。スパニッシュ。モスというのは実に不思議な植物です。最近は日本でも室内の窓につるして装飾用に用いていると聞きます。アメリカ映画では南部の風景としてよくスパニッシュ。モスの茂った木々を映写します。あの“風と共に去りぬ”の夕日の場面場面にこのような光景が展開します。
ともすれば、このスパニッシュ。モスは大きな木に寄生してそこから養分をもらっている寄生植物であると考えがちです。しかしこのツタのようなコケのような植物は実はコケとか地衣類ではないのです。スパニッシュ。モスは着生植物といって土壌に根を持たず、栄養は空気や空中のチリや雨水を自ら摂取するのです。つまりエアー。プラント(Air plant)なのです。パイナップルとは似ても似つかない風貌ですが植物学的分類ではパイナップル科の植物なのです。また立派に花を咲かせる種子植物であり被子植物なのです。ただ黄緑色の花は咲いても小さすぎてほとんど見分けられないでしょう。しかし貴方が誰かにこの小さな花をつけたスパニッシュ。モスを小さな箱に詰めてプレゼントされたら、箱を開けると瞬間的にすばらしい香りが部屋中に漂うでしょう。スパニッシュ。モスは多くの種類の小さな生物たちの住み家でもあります。この前、私がこの近くに行ったら突然、黒いラット。スネークが飛び出してきました。コウモリやハエトリグモなどのハビタット(生息地)でもあります。
スパニッシュ。モスは昔の自動車のシートの中の詰め物として、家具やマットレスにも同様に使われました。特にスパニッシュ。モスを詰めたマットレスは自然の断熱剤であり涼しく快適なのです。エアコンの出現以前は重宝されました。園芸用としては花の周りにおいて水分を維持させました。アメリカ南部の建築においても断熱や防音として、また裏庭のフェンスやワイアーに私有地のスクリーンとしてゆったりと優雅にほどこされたのです。
人間界ばかりではなく鳥類の特に鳴鳥はスパニッシュ。モスを使って巣を作ります。ウグイス科の小鳥たちは好んで使い、コウモリ類もそうです。
今スパニッシュ。モスには様々な伝説が残っています。一人のスペイン兵がインディアンの酋長の寵愛する娘に一目ぼれをしました。しかし酋長はお互いに会うことを禁じました。この禁を破ったスペイン兵を酋長は古い高いオークの木の頂上に縛り付けました。そして、酋長は“もう会わない”と約束すれば頂上から下ろすと言いました。スペイン兵はかたくなに拒み続けます。
見張りのインディアンは、酋長の娘でも誰であってもこのスペイン兵に水や食料を与えないように命令しました。スペイン兵は段々衰弱していきましたが、決して酋長の娘への恋心を捨てようとはしませんでした。この兵隊が衰弱しきった時、酋長は最後の説得をします。スペイン兵は死んでもこの愛情は続くだろうと言い切ります。そしてこの死骸は木の頂上に残したままにされたのです。見せしめと戒めのためです。間もなくして、インディアンたちはこのスペイン兵のヒゲが伸び続けていることに気がつきました。酋長の娘はこのヒゲが消え去るまで夫となる男性を拒みました。しかし、ヒゲはますます伸び続けてインディアンたちの村をはるかに越えた所まで達していました。この伝説によると、スパニッシュ。モスがすべて消え去った時初めてスペイン兵の酋長の娘への愛情はそれとともについに消えさるというのです。

フロリダ半島日記ー魔法使いの肩掛け。スパニッシュ。モス

2012-09-29 19:11:21 | 日記
熱帯のような猛暑がやや過ぎ去るとフロリダも様々な祭日の季節がやってきます。
お化けの祭典ハロウィーン、サンクスギビング。デイ(感謝祭)そしてクリスマスです。
庭に高くそびえているオーク(樫の木の一種)がお祭りの季節に応じて様々な演出をしてくれるのです。近くにはユニバーサル。スタジオがあって時々花火をあます。するとこのオークの木の背後に色とりどりの花火の光が映ってまるでクリスマス。ツリーの飾り付けのようになります。このオークの木にはスパニッシュ。モス(フロリダ。モス)という灰色のような白いスカーフまたはショールのような長いコケが多くたれているのです。クリスマスにはこのスパニッシュ。モスがクリスマス。ツリーを銀色に飾り付ける綿のような雪に見えるのです。しかし、クリスマスの前にアメリカでは各地でお化けの祭典 ハロウィーンをお祝いします。このハロウィーンの時期にはこのスパニッシュ。モスはまるで魔法使いのお婆さんが肩からかけているショールに思えてくるのです。スパニッシュ。モスというのは実に不思議な植物です。最近は日本でも室内の窓につるして装飾用に用いていると聞きます。アメリカ映画では南部の風景としてよくスパニッシュ。モスの茂った木々を映写します。あの“風と共に去りぬ”の夕日の場面場面にこのような光景が展開します。
ともすれば、このスパニッシュ。モスは大きな木に寄生してそこから養分をもらっている寄生植物であると考えがちです。しかしこのツタのようなコケのような植物は実はコケとか地衣類ではないのです。スパニッシュ。モスは着生植物といって土壌に根を持たず、栄養は空気や空中のチリや雨水を自ら摂取するのです。つまりエアー。プラント(Air plant)なのです。パイナップルとは似ても似つかない風貌ですが植物学的分類ではパイナップル科の植物なのです。また立派に花を咲かせる種子植物であり被子植物なのです。ただ黄緑色の花は咲いても小さすぎてほとんど見分けられないでしょう。しかし貴方が誰かにこの小さな花をつけたスパニッシュ。モスを小さな箱に詰めてプレゼントされたら、箱を開けると瞬間的にすばらしい香りが部屋中に漂うでしょう。スパニッシュ。モスは多くの種類の小さな生物たちの住み家でもあります。この前、私がこの近くに行ったら突然、黒いラット。スネークが飛び出してきました。コウモリやハエトリグモなどのハビタット(生息地)でもあります。
スパニッシュ。モスは昔の自動車のシートの中の詰め物として、家具やマットレスにも同様に使われました。特にスパニッシュ。モスを詰めたマットレスは自然の断熱剤であり涼しく快適なのです。エアコンの出現以前は重宝されました。園芸用としては花の周りにおいて水分を維持させました。アメリカ南部の建築においても断熱や防音として、また裏庭のフェンスやワイアーに私有地のスクリーンとしてゆったりと優雅にほどこされたのです。
人間界ばかりではなく鳥類の特に鳴鳥はスパニッシュ。モスを使って巣を作ります。ウグイス科の小鳥たちは好んで使い、コウモリ類もそうです。
今スパニッシュ。モスには様々な伝説が残っています。一人のスペイン兵がインディアンの酋長の寵愛する娘に一目ぼれをしました。しかし酋長はお互いに会うことを禁じました。この禁を破ったスペイン兵を酋長は古い高いオークの木の頂上に縛り付けました。そして、酋長は“もう会わない”と約束すれば頂上から下ろすと言いました。スペイン兵はかたくなに拒み続けます。
見張りのインディアンは、酋長の娘でも誰であってもこのスペイン兵に水や食料を与えないように命令しました。スペイン兵は段々衰弱していきましたが、決して酋長の娘への恋心を捨てようとはしませんでした。この兵隊が衰弱しきった時、酋長は最後の説得をします。スペイン兵は死んでもこの愛情は続くだろうと言い切ります。そしてこの死骸は木の頂上に残したままにされたのです。見せしめと戒めのためです。間もなくして、インディアンたちはこのスペイン兵のヒゲが伸び続けていることに気がつきました。酋長の娘はこのヒゲが消え去るまで夫となる男性を拒みました。しかし、ヒゲはますます伸び続けてインディアンたちの村をはるかに越えた所まで達していました。この伝説によると、スパニッシュ。モスがすべて消え去った時初めてスペイン兵の酋長の娘への愛情はそれとともについに消えさるというのです。

フロリダ半島日記―発明王、エジソンの電球

2012-09-26 16:45:01 | 日記
昨日のフロリダの地方紙のコラムを読みました。そこには、電球はエジソンが最初に発明したのではないと書いてあったのです。この意外なことばに少し驚いたのです。昨日まで私はエジソンこそが電球を発明したと思っていたからです。実はフロリダのメキシコ湾岸の町にフォート。マイヤーズというところがあります。そこに発明王エジソンの避寒別荘と実験室があるのです。今は観光客のために博物館のようになっています。蓄音機、バッテリー。など様々な発明品が陳列されていて、庭は広大な植物園になっていました。植物園には世界各地から集められた珍しい植物が植えられているのです。
私が訪問して理解したのは、エジソンはその植物や樹木から、自動車のタイヤに使うゴムの素となるものを探し、かつ、電球に使うためのフィラメントの素材もそれらの植物から選ぼうとしていたということです。
それで電球の発明はエジソンが最初ではないとすれば誰が最初の発明者なのだろうと調べてみました。すると、ジョゼフ。ウイルソン。スワン(Joseph Wilson Swan)という名前のイギリス人がいたということがわかってきました。スワンは英国の物理学と化学の学者で彼こそが“白熱電球”の発明者だというのです。その発明は1800年代の中ほどだと。そればかりではなく、1700年代からすでに多くの電気の実験がなされていることがわかったのです。
1799年、イタリアのボルタが電池を発明し、その翌年、フランス人のセナードが電流を細い線に流す実験をし、1802年には英国のハンフリー。デービが2000個の電池を並べてアーク灯の実験をしました。問題は細い線に大量の電流を流すとすぐ焼ききれてしまうことで実用化しませんでした。白熱電球のフィラメントがすぐ焼く切れてしまうということです。酸素があれば高温になりフィラメントがすぐ焼ききれることです。1820年、にスイスで酸素を少し抜く実験で点灯したらしいのですがこれも長くもたず、その後、1838年、1845年、と様々な研究者が実験しています。1854年、アメリカに移住したドイツ人のゴーベルが竹ひごを炭化したフィラメントで電球を作りました。実はエジソンが発明した年は1877-79年ごろですから、それよりも20年以上ほども前です。しかし問題はいかに長時間電球が光っているかということでした。これは、いかに酸素を上手く除去し、強靭なフィラメントを用いることができるかという2点です。これを実現したのが最初にあげたジョゼフ。ウイルソン。スワン(Joseph Wilson Swan)です。スワンは1878年に水銀真空ポンプで電球を作り、フィラメントはもめん(木綿)糸を硫酸で処理したものを使いました。この特許はイギリスで認可されます。1878年です。ところで、エジソンも1877年ごろ電球の研究を始めて2年後に錦糸を炭化したフィラメントで真空炭素電球を製造して実用化の向かいます。さてこのことでわかることは、エジソンとスワンはほとんど同時期に電球を実用化していることです。ここで問題が起こります。それは、1879年、エジソンは英国に電球の特許を申請したのです。しかし、スワンはそのころすでに電灯会社を設立していて、エジソンの電球発明は特許侵害であるとして訴訟を起こしたのです。スワンは法廷でこの証言をしたのです。そこで、私が驚いたことは、エジソンはスワン側との和解を求めて共同でエジソン。スワン会社。<エジスワン>会社を設立させたことです。エジソンの偉大なところは彼は単なる発明家ではなく実業的手腕も抜群であったことです。誰が一番最初に発明したか発見したかにとらわれなかったのです。本当に大衆の利益になることを考えていたようです。このころの電球は40時間で燃え尽きました。これでは実用化できないということでエジソンはその後も何千という種類の植物や材用をそれから捜し求めます。人間の毛もためしたといわれます。そして1880年代の中ごろ、日本の京都にあった竹からの繊維を炭化したフィラメントを作成します。その電球は1200時間も光っていたというのです。1892年、エジソンはこの会社を土台にしてゼネラル。エレクトリック(GE)社という現在でもアメリカ最大の電気会社を作るのです。電球のフィラメントは竹からセルロースになります。エジソンは電球を発明したと思っていたのですが、正確には電球を家庭でも使用できるようにし、電力を社会で利用できるようにした最初の人ということです。エジソンは生涯に、1300以上もの発明をしました。しかし、子供時代は数ヶ月学校に言っただけで、母親から教えられた基礎的教育しか受けていません。それでも、もしエジソンがいなければ、映画もレコードプレヤーも電気機関車や電気自動車もない暗い文明が続いていたことでしょう。