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フロリダ半島日記ー大リーグと日本人選手

2012-08-24 17:31:55 | 日記
松井秀喜選手とイチロー選手のアメリカ大リーグでの活躍は実に立派なものです。戦前、1934年(昭和9年)にベーブルースやゲーリックの米メジャーリーグの選抜チームが来日しました。日本の選抜チームとの対戦の結果は、米大リーグが18戦して無敗でした。この試合のなかで当時17歳の沢村栄治投手は、唯一ゲーリックにホームランを打たれただけで、1点に抑えたのです。沢村はベーブルースなど有名な選手たちを三振にとりました。
実は沢村は私の田舎の隣町の宇治山田(現在の伊勢市)出身で郷土の英雄でした。
残念なことは第二次大戦で兵隊にとられて、その豪腕を手榴弾などのために使われて戦死したのです。沢村はもし当時、渡米していたら、大リーグで大活躍できたと思うのです。
戦後、日本で最高の投手といわれた江夏豊投手も大リーグに挑戦しましたが、そのころ36歳という年齢もあって夢破れたのです。
沢村投手の悲願を達成してくれたのが野茂英雄投手です。“トルネード投法”と呼ばれたり、奪った三振の多さから“ドクターK”というニックネームをつけられました。ドジャーズ、ブルワーズ、タイガース、レッドソックスなどで華々しく投げて、2005年にはタンパベイ・レイズに移って日米通算200勝を達成したのですが、その1ヵ月後に解雇となります。松井秀喜選手の場合も野茂の解雇と何か似ている気がします。
7月24日、タンパベイ・レイズのマドン監督が夜ホテルの自室に松井を呼んで、“戦力外通告”を行ったのです。監督自身“非常につらかった”ということです。フロリダの地元紙“タンパベイ。タイムズ”は同日付の紙面で、レ軍で引退した有名選手を特集。そこに松井を“最新の注目選手”に挙げたのです。少し、早とちりではないかと感じるのです。しかし、何とも、日本的にいえば方丈記や平家物語の無常という気持ちもします。
思えば松井秀喜選手がニューヨーク。ヤンキースに入団の時は、ニューヨーク中が沸き立っていたのです。人気のトークショーで、Regis Philbin、が“ゴジラ”の到来と松井選手を大喜びでスタジオに迎えていました。そのころ日本人もこの松井の大リーグ入りは大変な関心の的でした。友人の息子がそのころフロリダに遊びに来ました。是非、松井選手を一目見たいのだというのです。
ニューヨークに行かなければ会えないよと言ったのです。
しかし、それでもフロリダのタンパには、ニューヨーク。ヤンキースのキャンプで使う球場があることを思い出しました。この球場はマイナー。リーグのタンパ。ヤンキースの本拠地なのです。松井選手にはそこで会えなかったのですが、マイナーリーグの試合のようなものを見てきました。数人のヤンキース。ファンの観客に松井選手の事を聞いてみたのですが、皆、口々に大きな期待を寄せているようでした。実はそのヤンキースの球場の近くにトロピカーナ・フィールド(Tropicana Field)という有名なドーム型のスタジアムがあるのです。タンパベイ・レイズ(旧デビルレイズ)の本拠地球場です。野茂英雄投手や松井秀喜選手がその球場で野球をしたということは感慨深いものがあります。