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フロリダ半島日記ーコカコーラ

2012-08-11 19:03:47 | 日記
最近、ニューヨーク市長は、糖分の入った炭酸飲料や清涼飲料水を大型の容器に入れて販売することを禁止する、ことを検討しているという。肥満があまりにもひどい、というのがその理由です。もちろんマクドナルド社やコカコーラ社は「見当違い」で「恣意的だ」と大反対しているのです。それにしてもアメリカ人がコカコーラなどを飲むためのコップの大きさは、まるで馬が飲むような巨大なものもあります。この市長の言葉も無理はないとも思えます。しかしフロリダのような亜熱帯か熱帯かと思われるようなビーチで、灼熱の太陽の直射日光にあぶられ、また燃えるような砂にまぶされていると、さかんに手がクーラー。ボックス(cooler)に行きます。ボックスの中のよく冷えたコカコーラ(普通のサイズ)のキャップをあけて、そのほとばしる泡と爽やかな水がのどを潤すと気分爽快となるのです。特に熱帯のアフリカなどではまさしく“文明の象徴”のように思えたのです。主演のニカウさんが演じた“ミラクル・ワールド ブッシュマン”(The Gods Must Be Crazy)は、南アフリカ共和国のコメディー映画でした。劈頭にコカコーラのビンが空から降ってきて、それが問題を起こす、というような内容でした。コカコーラは今やアフリカやアジアや南米ではまるで近代の魔法の飲み物のようなのです。私もアフリカで下痢、腹痛のとき医師の処方箋は、“コカコーラを飲む”ということでした。アフリカでは水は貴重品であり、普通の水は煮沸が必要でした。だからコカコーラは医師のお勧めだったわけです。もちろんアフリカなどでは飲んだビンは返品しなければなりませんでした。品不足のためです。コカコーラは薬剤師のジョン・ペンバートンが発明したといわれていますから、もともと薬のようなものでもあったようです。始めて販売されたのはアメリカのジョージア州で1890年ごろのことです。さて、ご存知の多湖輝氏が以前、“企画力”という本を書きました。そこにこのような興味深い話が載っています。それは戦後間もなく、日本有数の清涼飲料メーカーのX社に初老の外国人が訪れたという。この外国人はコカコーラ社の日本担当員のMr.Sでした。この訪問の目的はX社の販売ルートを通じて、コカコーラを日本全国に販売することでした。しかしコカコーラ社はすでに2年をかけて日本全国に渡って情報を集めつくしていたのです。それでこのX社の販売ルートに目をつけたのです。ところが問題は、このX社の幹部たちが持っていたコカコーラに対する情報は貧弱そのもので、誰も飲んだ経験のある者はいなかったというのです。結局、幹部が集まって試飲会が持たれました。そして全員のカンは一様に、“薬くさい”や“しつこすぎる”でした。こうして大手のX社は申し入れを断ったのです。その後、コカコーラ社は再度徹底して調査を始めます。価格、販売ルート、容積、日本人の味覚などです。その結論は、“日本人は、先を争ってコーラを買うようになる”というものでした。そして他の中堅の会社が販売し、後に、“スカッとさわやかコカコーラ”の宣伝文句で一躍有名になりました。その味は、私も飲みましたが、日本人の好みに合うように、薬くさくなく、淡白にしてあったのです。この多湖輝氏が教訓として述べていることは次のようなことでした。それはX社の重役たちが充分な情報の裏付けなしに、自分たちの経験やカンだけで容易な結論を下したこと。そして、若者たち、つまり若年層では、嗜好の開発や変更はフレキシブル(融通性、適応性のある)であるという飲料界の常識を無視したからだというのです。といっても私はコカコーラを宣伝しているわけではありません。ニューヨーク市長の警告するように若い時と違って、糖分に気をつけて、ボトルもなるべく全部飲まないように気をつけています。ただ、今は、フロリダの暑い夏、あの冷えたコーラのキャップを開けて飲むこの瞬間を味わい楽しんでいるのです。日本のX社について書いたのも客観的な充分な情報がいつも重要である、と感じたので書き加えたまでです。