今回は3月中にどうしてもUPしておきたかった学校「桜台中学校」です。
といいますのは、来年度(4月)からお隣り「坂本中学校」と統合し、「桜台中学校」という
名称がなくなってしまうからです。
そして、学校めぐりという観点から見ても、とても興味深いのが、この地域の学校の密集度!
隣接して「桜台中学校」「坂本中学校」「不入斗中学校」「桜小学校」があります。

どうしてこのように学校が密集するということになったのでしょう?

桜台中学校→
学校のホームページを見てみますと、
1955年(昭和30年)3月20日 市立坂本中学校第4校舎として竣工
1956年(昭和31年)8月25日 市立不入斗中学校分校として2棟竣工
1960年(昭和35年)4月1日 横須賀市立桜台中学校として独立開校 とあります。
今回の統合で47年の歴史に幕を閉じることになります。
もともと生徒数のそれほど多くない沢山小学校と逸見小学校の生徒が、ここ桜台中学校へ通います。
近年の「学校選択性」により、生徒数が減少。今年度の桜台中学校の入学者は3人、
生徒数の合計は35人。一方の坂本中学校の生徒数は464人。
桜台中学校は特殊学級の生徒が多いという特徴もあります。
学区→吉倉町、西逸見町、東逸見町、逸見が丘[逸見、沢山各小学校通学区域全域]

「2004年(平成16年)6月、横須賀市教育委員会が坂本中学校と学校選択制の導入で生徒数が
激減した市立桜台中学校との統合を2006年(平成18年)4月をめどに進める方針を提示。
だが、「市が進めている学校選択制と矛盾する」などとして桜台中PTAが統合の白紙撤回を求める
署名活動をするなど、保護者側が反発したため、同市教育委員会は「生徒らへの影響を配慮する」
として統合を1年延期し、2007年(平成19年)4月に変更した。しかし、統合後の校名に
「坂本中学校」がそのまま採用されるなど、事実上の吸収合併であることが明確であり、
桜台中PTAなどは今でも反対運動を続けている。このことはニュースや新聞などで大きく報道された。」 Wikipediaより

私は今回の訪問により、桜台中学校のこのような実情を知ることとなりました。
今後、少子化で生徒数の減少が考えられます。桜台小学校のような学校統合が今後も続くと予想されます。
少子化対策や学校の選択性についてなど、市や地域の方みんなで考える必要がある問題といえそうです。
何よりも子供が元気に通える環境づくりが大切ですね。
関連サイト
google画像検索→横須賀 桜台中学校
目で見る横須賀教育史→キャンプファイヤー 昭和45年 →校舎 昭和46年
→公開授業・生徒研究発表会・体育祭 →卒業式 昭和48年
→離任式→体育祭→こちら→白樺湖キャンプ 昭和49年
mixiコミュニティ→桜台中学校
★当ブログ“横須賀のまなびや”特集は→こちら
私が訪れた時には、坂本中学校との連絡橋が建設中でした。
桜台中学校が母校である方には、学校名がなくなってしまうのは寂しいものがありますね。
3/23(金)に感謝の会(閉校式)があります。


統廃合になる学校も…地域によって事情は様々ですね。
どうして学校が密集しているのか?これはあくまでも
私の想像ですが、坂本や逸見は山が多く、学校を作る
だけのスペースを確保するのが困難なため、どの地域
からもほどよい距離であり、平地のスペースが多くある
あの場所にまとめて建設したのではないかと思います。
近年の統廃合は、坂本小と青葉小→桜小、鶴久保小と
陽光小→鶴久保小が行われました。生徒数が少なく、
今後も増加が見込めない地域では、統廃合の可能性は
ゼロとは言えないでしょうね…。
23日にお別れ会があるそうですが
私が通った校舎は木造でグランドも昔とは違います。
もうあの校舎が壊された時点で思い入れは
大分うすくなりました。
最近は逸見の町を歩く中学生も坂中の制服を着てる子が
多くてなんとなく寂しい気がしてました。
統合は悲しいけど、部活数が少ない、体育祭や
行事にも少人数ではできることが限られてきます。
子供達には教育の場にたくさんの選択肢があることは
いいことだと思います。
小さい学校は親子ともども密度の濃いつきあいが
できるのが利点でもあり、中に入れない親子には
苦しい場でもある、という部分もあります。
また特殊学級の存在も大きいですね。
昔は部活は一緒にできる子は一緒に活動したり。
同じ校舎の中で接することで世の中健常者だけではない
ことを自然に理解できていたと思います。
まー書き出しすとまだまだいろいろありますが・・・
TETSUさん、とりあげてくれてありがとうございました。
こんな中学校があったことをみなさん覚えててくださいね
学校が密集している理由は、なるほど!そういう事でしたら納得できますね。
一つの町に一つずつという考えが、覆されました。
とても異様な光景に見えますが、これも横須賀の地形ならではと考えると、面白
いですね。
登校時間には、制服の違う生徒が四方八方から集まって来て、
校舎から、隣の学校の校舎が見えたり、ちょっと変わった学校生活を送れそうで
す。
統廃合で学校名がなくなってしまうのは、やはり寂しいですよね。
そうなる前にできるだけ多くの学校をまわりたいと思っています。
コメントありがとうございます!
訪れた時には、どこの学校がどこの区域か分かりませんでした。
帰ってきてから調べて分かったのですが、イナさんの母校じゃないですか!
今からでは想像ができない木造の校舎
http://www.edu.city.yokosuka.kanagawa.jp/0me/1me/2me/215.html
こういう校舎は今ではもう見ることができませんね。
逸見の方は皆さん「坂本トンネル」経由で登校だったのでしょうか?!
ホームページを見て分かったのですが、クラブの数が少ないな、と感じました。
それはやっぱり生徒の数に因るのですね。
生徒数が少ない学校には、少ない事のメリット、デメリットがありますよね。
「学校選択性」という中で、特徴ある学校づくりが求められているのですね。
少子化という日本全体の問題もあり、一概には言えませんが、学校名がなくなってしまうのは寂しい気がします。
今通われている生徒さんは、中学校途中で、大きく環境が変わることになるなると思いますので、
坂本中学校と桜台中学校の先生や、生徒さん、PTAや地域の方々、皆さんでいい方向へ進んでいけたらいいですね。
イナさん、コメントありがとうございます!
よこすかよいとこさんが、
>どうして学校が密集しているのか?
と、おっしゃっていますが、私は、あの場所が陸軍の兵舎と練兵場で場所があったのと、使わなくなった兵舎をそのまま校舎に転用できたからだと聞いています。
今でも、坂本中学にはレンガで出来た、陸軍の隊門が残っています。
実はこの日、坂本中学校も見てきました。
学校の校門だけですが、
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/bc/c4ed28eeddf92592ba7246ffcb7a5495.jpg
なるほど、そういう事だったのですね。
この学校が集まっているこの場所は、軍の施設があって、戦後建物を学校へと転換させたのですね。
少し調べてみて、「坂本中学校」の記事をUPしたいと思います。
情報&コメントありがとうございます!
でも、第一声が
あ~悲しい~(号泣)
拝見して、あの(素敵な)3年間が、いきなり走馬燈のように思い出されました。
もう、記憶の彼方だったのに、今頃思い出すなんて不思議だな~(感慨深)
卒業してから32年も経っているのに....
取り上げてくれてありがとうございます。(感謝)
「逗子の路地裏情報」のコリドーさんでいらっしゃいますよね???
何度か拝見させていただきました。
ブログをおやめになったという激震が、余震となってこちらにも伝わってきております。
「桜台中学校」ですが、
やはり母校の名前がなくなってしまうのは、辛いものがありますよね。
今や写真でしか見る事のできない、木造校舎ですが、コンクリート校舎と違って、思い出もぬくもりがあり、温かく感じられるのではないでしょうか?!
コメントりがとうございます!
またいらしてくださいませ。
桜台中学校もついに名前が消滅です。
今日仲間で写真を撮りにいきました、今の校舎も前の木造校舎も両方入った数少ない頃の生徒でした。
やはり母校が無くなるのは寂しいものです、題材にとりあげていただいてありがとう。