チリチリリン

風にゆれる風鈴のように
こころ休まる音を届けたい

転院できる?

2017年02月27日 | なすびの花

どうも主治医と退院支援室の話がかみ合わない。主治医には覚悟してみたいに言われて、家族にも連絡し顔を見に来てもらっているのに、支援室では転院の話を持ってくる。どっちなの? どうなってるの? 話が見えないのでもう一度説明をお願いしました。

つまり、母の容態は回復は望めないものの、栄養剤と抗生剤の点滴と酸素吸入で安定している、医療的には今現在何もすることが無い。そうなると救急病棟から移動の話が出てくる。移動するにあたっては、同じ病院内ではなく、こちらの希望する自宅近くでかかりつけ医師のいる病院に転院させましょうということらしい。

もとより、電動自転車でも片道40分の移動は結構きつくて、帰り着くと椅子にかけたままウトウトして、何もしないまま夕飯時になってしまうこともあるくらいだから、目と鼻の先にある病院への転院は願ったり叶ったりです。

お願いしますと返事をして、弟に連絡しました。「長くなりそうですね...」

確かに、起き上がれるようになり食事もできるようになるのならいいのだけれど、ただただ栄養剤で生かされている状態が続くのかなと複雑な思いもあります。それでも意識があって、話しかけに返事もできるうちは、支援センターと介護サービスも使っている病院なので、顔を出してくれるケアマネもヘルパーさんもいることだしと転院を心待ちにしています。

ちょっとホッとしたので帰り道の、遅くなった昼食に、一人しゃぶしゃぶしてしまいました。

 


大丈夫...

2017年02月27日 | なすびの花

 

プランターから、オレンジ、イエロー、パープルの人参の間引き菜、フィノッキオ、ミニ大根を抜いてきて、アンチョビを効かせたソースで朝食にする、一人だけの贅沢な朝ごはんです。11時からの面会時間に合わせ、10時過ぎに病院に向かうのが日課になりました。

点滴につながれ酸素マスクをつけられた母ですが目を開いている時も多く、おはようと声をかけると「大丈夫だよ」と答えます。意識がはっきりしているのかと思うと、その後なんども「大丈夫」を繰り返すのでうわごとを言っているのかと思う時もあります。

「今日は朝早く畑に行ってジャガイモを植えてきたよ、イロイロな種類を20個ばかりね」 反応がありません、畑仕事には興味がないみたいです。

時々「体が重い」とか「だいぶ良い」とか、時に「いい加減にして!」と叫んだりします。今の自分の状態に腹を立てているのかなと思います。

昨日は娘も来て、私と話をしていると「大丈夫だよ」 

「大丈夫だから帰っても良いということ?」「喋っていてうるさい?」

「居ても大丈夫だよ」

看護師さんが定期的に回ってきて、体の向きを変えたり、乾いた口を湿らせたりしてくれます。昼食に中抜けをして、病室に戻り3時まで過ごして帰ります。

我が家からは一本道で6キロ自転車で40分弱ですが、この道が産業道路で大型車が多く歩道もあったりなかったり、走るのにとても緊張します。最近は道を調べて、遠回りでも歩道が整備された道を走ることにしました。

 

 

 


一人分の買い物

2017年02月26日 | ふうりんの音

二週間ぶりにスーパーに食品の買い物に行きました。

アメリカ産の真っ赤な白雪姫に出てくるようなリンゴが一つ、アボカド一つ、ミニ豆腐3個セット、納豆、小さなパックの牛肉、一番小さなボトルの焼肉のタレ、ハム、牛乳、食パン、シメて1700円なり。野菜は自家栽培で間に合います。

一人になったら買い物ってこんなに少なくて、お金も使わないんだなぁ...

 


西洋ナバナと聖護院大根

2017年02月25日 | 美味しい話

      

 

病院への行き帰りに畑に寄ります。イタリア野菜のサレント(西洋ナバナ)は4、5本しか植えてないのに大株になって、どんどん蕾が膨み、毎日4、50本も収穫できます。朝の目玉焼きにも、夜の味噌汁にもナバナが登場します。

今日こそは産直で買ってあった聖護院大根を料理してしまわなければと半分をブリ大根に煮付けました。半分でも大鍋にいっぱい、一人では食べきるのに何日もかかりそうです。夕飯に温めるときにナバナも一緒に入れて青みにしようと思ってます。

我が家はブリ大根には砂糖の代わりにジャムを使います。魚の臭みを消すためです。いちごジャムはビジュアル的にちょっと?だけど、リンゴでもアンズでもなんでもOK、少し酸味のある方がグッドです。今日は青梅のジャムにしました。

そろそろ春の畑仕事を始めなきゃだけど、ちょっと落ち着きませんね。

 


命の終わり?

2017年02月24日 | なすびの花

母が呼吸困難に陥り個室に移されました。点滴やその他のコードに繋がれた母は一挙に10歳も年取ったようで、主治医に話を聞きに行きました。

ついこの間まで、私と同じものを同じだけ、なんでも美味しいと食べていたのに、入院した途端に食べることもできないような寝たきり老人になってしまったのは何故なのか理解に苦しみます。

主治医も家族に連絡を取ろうとしていたところだと話してくれました。塩分・ミネラル不足で倒れたのはきっかけで、実際は体はもう限界まで生きてきた、病気ではなく老衰だというのです。あとはいつまでとは言えない、寿命が尽きるまで...

家族は次々に顔を見に来ています。話しかければウンウンと頷きます。意識があるのか、声に反応して機械的に答えているのかわからない状態です。

食べることが大好きだったんです、点滴につながれたままではなく、なんとか自分の口で好きなものを食べて逝かせてあげることはできないでしょうか? 多分飲み込むことはできないという答えでした。

命の終わりを見つめています。