大した用もないのに人形町の得意先に顔を出すのは、その帰り道に楽しみがあるからです。人形町から馬喰町を横切って靖国通りへ出て、バイクで5分ほど走ると神田古本屋街が見えてきます。遥か靖国神社の森が日没に浮かび上がる頃が最高です。40年前に較べれば表通りの佇まいは一変していますが、靖国を望むこの怪しの日没風景は変わりません。裏通りのフィリピン大使公邸や特務機関事務所跡もいい雰囲気です。運が良ければ闇から現れる「英霊」や「諜報員」と遭遇できるかも知れません。尤も古本屋の閉店時間は早いので早々と目星をつけている店を回って「あの本」を探します。
あの本とは昭和25年頃の写真雑誌「世界画報」です。かれこれ40年以上も探していますが今だ遭遇に至りません。戦後復興期のゴミ箱のような街に住む子供にとってラジオ番組の「笛吹童子」や紙芝居の「黄金バット」は空想の入口ですが、材料が乏しく中々「風景」として結実しません。そんな時に見た「世界画報」の景勝・奇観は文字通り「自分だけの夢の風景」となります。思えば全ての行動原理はこの風景から始まったようなものですが、それ程の思い入れなのに今だ入手出来ないのは「古雑誌は古本としての価値」がないからです。当然、値段がつかない古雑誌を持ち込む人もいない、と言う按配です。それでもしつこく探すのが少年探偵団です。
探偵団は言葉をいじり回す文学より好奇心をかき立てるノンフィクションに興味がある・・・なんて言うと賢そうですが、単純にガキが「おおっ~!」「ええっ~!」と驚くあれです。と言って円盤やオカルトなんて素人臭いものではありません。このジャンルはあまり知能が高くない人が何の証拠もなく書いているので嘘八百が丸見えです。少年探偵団の狙いはあくまで「ローマ帝国崩壊の真の原因に迫る」なんて話です(歴代皇帝の毒殺と薬屋だったメディチ家の関係なんかです)。で、見つけたのは「写真の嘘」。写真や映像は嘘をつかないと思ったら大間違い、コンピュータCGがない昔から修正・編集は当たり前、たとえ修正しなくても説明文ひとつで180度違う解釈ができる恐ろしさ(面白さ)を報道カメラマンが実例で紹介しています。子供の頃に見た「夢の風景」も「作られた風景」なのか・・・そんな疑惑はこの本では判りませんでした。それでもいつか出会うかも知れない幻の写真雑誌を求めて夕暮れの古本屋街を彷徨う老探偵団・・・傍から見れば単なる痴呆と紙一重ですが・・・。
あの本とは昭和25年頃の写真雑誌「世界画報」です。かれこれ40年以上も探していますが今だ遭遇に至りません。戦後復興期のゴミ箱のような街に住む子供にとってラジオ番組の「笛吹童子」や紙芝居の「黄金バット」は空想の入口ですが、材料が乏しく中々「風景」として結実しません。そんな時に見た「世界画報」の景勝・奇観は文字通り「自分だけの夢の風景」となります。思えば全ての行動原理はこの風景から始まったようなものですが、それ程の思い入れなのに今だ入手出来ないのは「古雑誌は古本としての価値」がないからです。当然、値段がつかない古雑誌を持ち込む人もいない、と言う按配です。それでもしつこく探すのが少年探偵団です。
探偵団は言葉をいじり回す文学より好奇心をかき立てるノンフィクションに興味がある・・・なんて言うと賢そうですが、単純にガキが「おおっ~!」「ええっ~!」と驚くあれです。と言って円盤やオカルトなんて素人臭いものではありません。このジャンルはあまり知能が高くない人が何の証拠もなく書いているので嘘八百が丸見えです。少年探偵団の狙いはあくまで「ローマ帝国崩壊の真の原因に迫る」なんて話です(歴代皇帝の毒殺と薬屋だったメディチ家の関係なんかです)。で、見つけたのは「写真の嘘」。写真や映像は嘘をつかないと思ったら大間違い、コンピュータCGがない昔から修正・編集は当たり前、たとえ修正しなくても説明文ひとつで180度違う解釈ができる恐ろしさ(面白さ)を報道カメラマンが実例で紹介しています。子供の頃に見た「夢の風景」も「作られた風景」なのか・・・そんな疑惑はこの本では判りませんでした。それでもいつか出会うかも知れない幻の写真雑誌を求めて夕暮れの古本屋街を彷徨う老探偵団・・・傍から見れば単なる痴呆と紙一重ですが・・・。