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「タイムバール」少年探偵団の時代

元少年探偵団、現ダメ社長が「記憶と夢」を語ります。

迷わず迷う

2009年08月31日 | Weblog
圧勝した鳩山さんの顔が浮かないのは「嬉しさ」を噛み殺していると言うより「票の獲り過ぎ」でこれから起こる「反動」を想像しているのかも知れません。いくら予算の無駄遣いを見直して国民の暮しを良くするなんて言っても、役人(OB)と利権屋が懐に入れている何十兆円の「無駄」を吐き出させるなんて、その役人共を票田にしている民主党には無理な話です。一人では何の力も度胸もないのに群がるとシロアリやイナゴのように怖いのが役人・官僚です。自民惨敗と言っても森元総理のような「愚物」が当選したのも、官僚に強いからではなく「飼い慣らされて」地元に予算を持ってくることを選挙民が知っているからです。しょせん政治家は「民度」の反映と言う訳です。そんなことより老少年探偵団を喜ばせる研究発表です。

「道に迷うと回る」は本当・・・。道に迷うと、同じ所をぐるぐる回ると昔から言われているが、ドイツのマックスプランク研究所が何人もの被験者に目隠しをしたり、ドイツの暗い森や月のないサハラ砂漠を歩かせる実験でこれを確認。日常慣れた場所では目隠しで実験したが、真っ直ぐ歩けるのは最大20メートルまで。距離が長くなるにつれて円を描いてしまう。要するに人は何かの手掛かりがないと、方向や身体バランスの感覚のずれを修正できず、ズレが次第に大きくなるため(時事通信29日)。なるほど・・・探偵団が、上目黒の同じ場所に3度も戻ったのは、わざわざ目印になるような建物や風景がない場所を選んで、ロクに周りを見ないでフラフラ「自転車徘徊」なんかしていたせいか・・・なんて感心するような探偵団ではありません。

もう一段深い理由がある・・・それは脳のどこかに「迷ったら元へ戻りたい」本能のような回路があるのでは・・・と考える訳です。意識としては「まっすぐ目的方向」に進みたい・・・でも本能は「逆方向に進んだら3倍も疲れるぞ!」なんて脅すので本能の「顔を立てて」最悪でも元に戻るのさ・・・その証拠に本当に戻りたくないなら右と左にそれぞれ「蛇行」すればいいのに「(反)時計回り」にしか進まないじゃん・・・。何だかバカバカしくなってきました。

目的と結果

2009年08月21日 | Weblog
前回は自転車老人の「非日常体感走行(徘徊?)」・・・1時間以上もかけて三軒茶屋どころか同じ場所に3回も戻りながら挙句の果てに渋谷近くまで行ってしまった「濃い体験」でしたが、今夜も懲りずに「最終地点・三軒茶屋」目指して出発です。当然、今回も同じ道は通りません。さすがに1時間も急坂を上り下りするのは避けたいので前回より「1本」北よりの路地に入ります。最悪に備えてドリンク、電池、タオルなどをボックスに積込み済みです。「迷子」になるために準備万端、気合を入れると言うのも妙な話ですが、あくまで非日常感覚と健康のためです。

「迷うための条件」の一つは「似たような風景」と「複雑な道」です。この目黒の下馬一帯は金持ちの屋敷があるでなく、かと言って貧乏人のあばら家もなく、要するに面白くも可笑しくもない家並みが坂に沿ってくねりながら、ダラダラと続いています。時折、鬱蒼とした樹木が覆いかぶさっているのも江戸時代の田舎を彷彿とさせます。そんな「論評」を加えながら走っていると、突然、前方に明かりが見えます。商店街のようです。

こんな「路地裏」に商店街・・・!?まあ、避ける訳にはいかないので、早いとこ横切って再び「闇の彷徨」に戻るべく左右の安全を確認しがら・・・その左側を見た時です。「・・・!」目と鼻の先に大通りがあって車の洪水です。そして大きな交通標識・・・「三軒茶屋」と書いてあります。「・・・?」時計を見ると家を出て18分しか経っていません。出発時計の勘違いと思いたいところですが、今夜に限ってぴったり10時半出発でした。何のことはない、「彷徨う」ために走っていたら「最短距離」で目的地に着いてしまった訳です。何の足しにもならない体験ですが、無理やり教訓じみて言えば「結果は良くても目的と違うと嬉しくない・・・と言うことは目的を完遂すれば結果は二の次さ」・・・孤独で貧乏な年寄りは「結果」ではなくて「目的」だったと言うお話です。何だかな~。

妄想と空想

2009年08月17日 | Weblog
「蛙を熱い湯に入れてもすぐに飛び出るが、少しずつ熱を加えていくと逃げずに死んでしまう・・・」こんな怪しげな諺が好きな老少年探偵団は実際にガキの頃、仲間と「雨蛙」で実験したことがあります。その頃は容易に手に入った固形燃料(今でも温泉宿でお目にかかるアレです)で大きな空きカンに予め捕獲しておいた雨蛙の1匹目(2匹用意しました)を入れて水を沸かします。蛙は水の中でじっとしています。1分位経過した頃でしょうか。蛙はまるで風呂から上がるようにカンの縁まで登ってきて、そのままピョンと跳ねていなくなりました。

そのうちカンから湯気です。たぶん50度程度でしょう。「頑張れよ!」なんて言いながら2匹目の蛙の「投入」です。「やっぱな・・・」雨蛙はあっという間に「昇天」です。「茹で上がった蛙」は近くにいた猫の食料になりました。「先生には黙っていような」・・・確認し合って実験終了です。要するに「変化の乏しい日常に埋没していると大きな変化に気付かず、手遅れになるぞ」と言う戒めですが、昨夜これを「実体験」する羽目になりました。

老少年の住まいは目黒区は柿の木坂ですが、時々運動を兼ねて三軒茶屋まで自転車で飯を食いに行きます。所要時間は約30分。勿論、探偵団らしく毎回違う道を通ります。特に夜の10時を過ぎると人も車も消え去って大好きな「非日常感覚」が味わえるからです。警察から見たら「不審者」に違いありませんが何故か今だ「職質」されたことはありません。さて今回です。「・・・・・?」妙な気分になったのは20分くらい経ってからです。道が「少しずつ」曲がっているのです。人間は「右折・左折」は憶えていても曲がりの「R」には弱いものです。やがて真っ暗な坂道を「曲がりながら」登ったり下ったり・・・起伏が多い地形なら当然のことですが、何と同じ場所を「3回」も通る「究極の非日常」を味わうことになりました。山での遭難者が何度も同じ場所を回る・・・「この感覚だったのか」と実感しました。結局、1時間も「遭難」した挙句、出たのは三軒茶屋どころか渋谷の山手通り。しかも目的の飯屋は盆休・・・。

身体はヘトヘト・・・でも運動になったので○。「遭難」も非日常的な感覚を味わうことが目的だったのでこれも◎。こうして真の空想少年は身体を張って「材料」を仕入れているのです。ここが「妄想」との違いです。下品な例ですが作家の野坂昭如の「性体験が豊かなほどマスターべションが高まる」と言う「哲学」と同じです。老少年は品がいいので、もし1ヶ月もブログの更新がなければ「知らない場所で空想に殉じた」・・・尤も新聞の片隅には「自転車徘徊老人、路地裏で孤独死」なんて出る筈です。


ノリピーの掟

2009年08月10日 | Weblog
いつの間にか「終戦記念日」と言うようになった「敗戦記念日」が近づくにつれ気が重くなります。特に今年はNHKが如何なる動機か一兵卒や一市民の体験証言に力を入れて、当然乍ら本人が語る体験談は悲惨の限りです。あと10年もすれば体験者は死に絶えてしまうので貴重な証言記録は絶対必要です。「たまにはマスコミも良い事をするじゃないか」・・・と言いたい処ですが、もし戦争に勝っていたらこんなに愁傷な態度で反省するかどうか疑問です。

その証拠にマスコミが「なぜ無謀な戦争を始めたか」「何故泥沼化したのか」「どうすれば回避できたのか」といった本質に迫ることはなく、「テーマ」としてあっても、己の面子のために何十万人という兵隊を無駄死にさせた無能な指導者達を責めるだけで、それを煽ったマスコミ自身の責任に触れることは稀です。気が重くなるのは「丸腰」でも声高らかに「平和」を叫んでいれば戦争は起こらないと思い込んでいる国民のお目出度さと、それを煽っているマスコミの今も昔も変わることのない図式です。「絶対に戦争は無くならない」という本質から出発すれば現実的な手が打てるのに・・・やれやれと思っていたらノリピー事件です。

たかが覚醒剤・・・でも、それをやったのが「酒井容疑者」というのが「ギャップの美」です。恐れ多くも「皇后様」がパチンコ屋で「台」を蹴飛ばすほどのインパクトがあります。或は「吉永小百合」がレース場で「まくらんかい!」なんて怒鳴る光景を想像して浮き浮きします。これが売春婦上がりでヤクザの女房だった「細木数子」が「阿片」を吸っていても全然面白くありません。可愛い顔をしながら一皮剥くと「自己顕示欲とストレスの塊だった」と言うのがミソです。それを判らずに「えっ~!ノリピーが?信じられな~い!」なんて半分嬉しそうに驚く姉ちゃん・おばさん!身体と頭をお大事に・・・合掌。

宇宙の掟2

2009年08月03日 | Weblog
驚異的な世界新記録を連発して戦後復興期の日本人を勇気づけた「フジヤマのトビウオ」古橋さんの大往生・・・これで国際宇宙ステーションの「若田」さんの帰還が霞みました。何しろ戦争に負けてスッカラピン、乞食同然の生活状態の中で、憎っくきアメリカ人に勝つ事ほどの興奮はなかったからです。あの「力道山」もヒーローでしたが、所詮「見世物」・・・それでも興奮したものでしたが古橋さんは水泳と言う「ガチンコ」で問答無用の強さを見せつけて本場アメリカ人を唸らせた・・・ここが話しの肝です。

当時、親父も「見たかヤンキー共め!」なんて溜飲を下げていましたが、当のアメリカ人が「フジヤマのトビウオ」と敬意を込めて呼ぶようになると「アメリカ人も案外素直じゃないか」なんて吹かしていたのを今でも憶えています。この気分は恐らく日本全体のものだったに違いなく、その後の日米の急接近を考えると当時の国際情勢はともかく、古橋さんの活躍は正しく日米の架け橋になったとも言えます。

そこへいくと「宇宙ステーション」はどこか怪しげなものを感じます。40年前、人類が月面着陸に成功して世界が沸いた時(実は日米だけが祭り状態)、かの山本夏彦翁は「何用あって月へ」と題して宇宙開発に潜むアメリカの胡乱さと相変わらず浮かれまくるマスコミの体質を冷ややかに見つめていましたが、本質は今も変わっていません。「遠い将来の人類のために」なんて聞くとまるで「地球を救う」かのようですが、既に危機状態の地球に間に合う筈がなく、実体は軍事開発利用であるのは明白・・・なんて目くじら立てるより老少年探偵団は「もう一つの宇宙」に目を向けています。「脳内宇宙」です。

どう考えても140 億個の脳細胞があるのに「使っている」のは0.何%と言うのはおかしい・・・「取り出し方法」が判らないだけでその脳細胞のシナプスには過去何億年の「記憶」があるに違いない・・・「夢」や「空想」と言った脳の挙動はそんな脳宇宙への誘惑かも知れません。「痴呆?」・・・まあ、新しく作っているサイトを見てから言ってもらおうか、明智君。