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「タイムバール」少年探偵団の時代

元少年探偵団、現ダメ社長が「記憶と夢」を語ります。

深海の掟

2007年10月29日 | Weblog
あれっ!今度は知らない間に7日間も過ぎています。この分では知らない間に1年、更に知らない間に死んでいた・・・なんてことになりそうです。痴呆の前兆とも思えますが、昭和23年頃、午前中に世田谷の代田で三輪車で遊んでいたのに、午後に上野松坂屋で発見されて以来、時々時間が飛ぶので、たぶん宇宙人に体内時計を操作されたのかも知れません。こうなるとあの「浦島太郎」の話も見直す必要があります。今まで、海亀を獲ろうとして海に引きずりこまれて溺れた時に、脳に異常をきたして「竜宮城」に行ってきたなんてホラを吹いたのかと思っていましたが、それなら急に白髪の老人になるのも変です。

もしかしたら浦島氏はジャック・マイヨールを上回る異常な肺活量の持ち主で、探索ロボットを海亀と間違えてしがみついていたら、宇宙人の海底基地にたどり着いたのかも知れません。邪悪な宇宙人や海底人なら彼は直ちに抹殺されて魚のエサになっていた筈ですが、頭のいい彼らは考えます。要するに、ここまで辿り着く欲張りで肺活量のある漁師がいると言うことは、今後も似た奴が現れるかも知れない・・・それなら秘密を「隠す」より「変換」させること、更に深海には恐ろしい世界があることを「見せしめ」ることです。こうして「基地」は「竜宮城」なんて荒唐無稽な話になり、しかも玉手箱を開けた際に何らかの毒ガスにやられて記憶がとんで頭の毛が白くなった・・・。「副作用」ではなく「ばちがあたった」と思わせるのがミソです。子供の頃、空想話をすると「めったなことを言うもんじゃない!」なんて制止する年寄りがいましたが、今から思うと、あの耳が長いじいさんは宇宙人の手先だったに違いありません。

賞味期限の掟

2007年10月22日 | Weblog
赤福よお前もか!と思っていたら今度は比内地鶏の偽装です。ここでもマスコミは肝心な話をすることなく「隠蔽」とか「摘発」とか「食の安全」なんて刺激的な言葉を使って「素直な」大衆を不安にさせます。知らない人が見ればまるで「毒」でも入っているかのようです。それなら何故、今までそれを食べている客のほうから「味がおかしい」「匂いが変だ」と気づかなかったのでしょうか。気づけば食べ物だけに店にクレームをつけます。つけなくても二度と買わなくなって売上は落ちます。それが売れすぎて偽装をした、しかも長い間バレなかったのはその程度では味に変化がないか、客の味覚がバカになっているからです。

こんな制度がない昔は、みんな自分の五感で判断して殆ど間違いはありませんでした。生物に備わった優れた本能を退化させたのは、しょせん「補助」にすぎない制度やシステムが一人歩きを始めたからです。これで儲かるのは国民や消費者を守るフリをして天下り先を増やそうとするのも役人とシステム業者です。お上のやることだから間違いないと長い間信じ込まされている「素直な」人が圧倒的に多いので、本能を研ぎ澄ます努力より、見ただけで判る「楽な判断」に頼ります。「賞味期限が1日過ぎたので捨てました・・・」なんて人は「表示義務」で食の安全は確保されていると本気で思っています。何を基準に賞味期限を決めているのか、保存条件によって味はどう違うのか、身体に「害」が及ぶのはどこからか・・・こうした基本的な感覚はゼロです。なぜかマスコミもこの最も重要な情報を知らせません。

業者がどんな手段を使っても儲けようとするのは古代からの習性で、味が変わらず健康に害がなければいいじゃないか、と考えるのは自然です。だからこそ客の側も「そう簡単には誤魔化されないぞ」と味覚を鍛えてガチンコ勝負をしていた訳です。すると作り手の側からも「よし、それならうるさい客を腕で黙らせてやる」なんて利益より品質で勝負する「職人」が出てきて最後はひとつの文化にまで高める・・・かっての「赤福」もそうだったのに、バカな大衆とこれにつけ込む業者と役人のせいでいいものがどんどん失われていく・・・なんてケチをつけながら賞味期限が10日も過ぎた肉まんを味わう元少年探偵団のおじさんでした。

遊びの掟

2007年10月19日 | Weblog
エスカレータで頭を挟まれた、ブランコの鎖が切れて放り出された・・・子供の事故が後を絶ちません。その都度、遊具メーカーや行政があわてふためいて謝罪そして使用禁止・・・殆ど亀田親子と変わらない知能の低さです。こんなところにも人間の「生物能力の退化」を認識できない「頭でっかち化」現象が現れています。地球温暖化より遥かに深刻なのに警鐘を鳴らす人がいないのは面妖です。子供が「じゃれる」原点は危険に取り囲まれている生物にとって生存の基礎である「襲う」「逃げる」の訓練です。ガキが危ない遊びをしたがるのはその基礎能力を高めようとする本能です。

ところが如何なる理由か、近頃の大人はその訓練を妨害します。「危ないから止めなさい」と言うのは子供の身を案じるより、事故になった時に自分に襲い掛かる精神的負担を避けるためです。メーカーや行政は己の責任回避が最優先です。本来「安全な遊具」なんてある筈はなく、更に「正しい使い方」に従って遊ぶ子供はいません。何が起こるか判らないから「遊び」です。大人の想像を超えた操作や挙動をするのが「まともな子供」です。昔の子供は今より遥かに危ない状況で遊んでいて少なくとも我が地元では事故死はゼロでした。簡単な話で、ガキ大将や兄貴分が「どこまで危いか」を熟知していたからです。「赤チン少年」はそんな危険を見切り、迅速に対応する訓練に励む象徴でした。

いくら「マニュアル」や「決まり」を作ろうが、「君子危うき」に近寄らなくても、危険は向こうからお構いなしに襲ってきます。危険を素早く「察知」し「回避」する能力を身につけるのは必須なのに、これと逆行しているのは地球人のフリをして人類を滅ぼそうとしている宇宙人の仕業に違いありません。

粋の掟

2007年10月18日 | Weblog
「バカは死ななきゃ直らない」と言いますが、本当のバカは死んでもバカです。喋ってボロが出ないよう頭を丸めて意気消沈のフリをした息子と、反省の欠片もなく報道陣を睨みつけて「こうなったのはお前らのせいだ」と言わんばかりの親父・・・隣で代弁に必死な金平会長が滑稽です。予想外の世論の反感に驚いて、このままでは飯の食い上げになると危ぶんで、とりあえず記者会見で謝罪のフリをしようと言う態度が見え見えで結局は逆効果でした。親父が何度も口に出した「とりあえず」と言う言葉がそれを表しています。この連中が救いがたいのは「負けたからこうなった」「行き過ぎた反則でこうなった」と言う態度です。問題になっているのは規則以前の「あまりにも下劣な人間性」なのに全く気づいていません。

昔はこうゆう人間を関西では「極道」、関東では「下郎」と言いました。我々が子供の頃はこうした連中が沢山いて子供にとって恰好の「識別教材」でした。しかし如何なる理由か今は「差別」と「識別」の区別がつかない「エセ人権屋」の言葉狩りのせいで、人間(生物)にとって最も重要な「識別能力=判断能力」が失われつつあります。大体われわれ大衆には大した判断力がある筈もなく、「大事な判断は誰か判断力のある人にまかせよう」と言う丸投げでエライ目に遭う歴史を繰り返しています。それでも「生きた教材」の外見と挙動から多少の判断能力は備えていたものです。

近頃はその判断も怪しくなってきたと思ったら久々の「極道=下郎」の登場です。「人間の品性には上下がある」と言うごくまっとうな事を明らかにした、と言う意味ではこの親子は役に立ったと言えます。また人間には「教養」が必要なことを明らかにしたことも「貢献」です。惜しむらくはあの会見で「わしらは確かに下品やが、それを銭儲けのネタにしとるお前らマスコミはもっと下品やないけ!」と大見得を切ればハイカラでしたが・・・。

光と闇

2007年10月14日 | Weblog
それにしてもテレビと言うのは「嫉妬」と「顰蹙(ひんしゅく)」を絶妙に配合して茶の間に提供してくれます。パチンコ屋に見受けされた無能タレントの豪華結婚式に続いて、今度はボクシングです。チンピラ親子を調子付かせてインチキ試合で「怪物」に仕立て上げ、結局は「プロ」を相手にボコボコにされた途端、手のひらを返したように「ボクシングを汚した」「スポーツを汚した」と叩きまくるマスコミは悪質です。ここでも「マスコミは二度稼ぐ」と言うセオリーは健在です。始めは気味の悪いほど持ち上げ、どこかでひっくり返ると今度はこれでもか、と叩いて大衆のストレスを気持ちよく「発散」させます。風船を思いっきり膨らませて、針で破裂させる快感と同じです。

瞬間視聴率が40%を越えたことでもその「破裂力」の大きさが窺えます。なにしろ豪華な皿に盛られた大便のように「おぞましい親子」に多くのボクシングファンは吐き気を催してストレスは臨界点に達していた筈です。しかも最後はプロレス技まで繰り出して自爆したのは立派です。これが全て計算ずくならこの親子は天才的な芸人ですが、事実は「地」のままでしょう。本人達は「ヒール(悪役)」として振舞っているつもりかも知れませんが、「ヒール」とは憎たらしいほど「強く」て同時に「悪の美学」を感じさせる存在です。知能が低い躾けの悪いガキには無理だし、ガチンコのボクシングには「ヒール」は不要です。大阪の西成あたりでじっとしていればただの「チンピラ」ですんだのに、屈折した親父となりふりかまわぬTBSのせいで「ゴキブリ」どころか「汚物」にまで落ちたのは自業自得で、それでも相当の報酬を手にしたことを思えば、収支は黒でしょう。

どんな世界でも「光」があれば「闇」があるのは当然で、これを「けしからん」などど言い出せば光も褪せていきます。特に「興行」とか「芸人」なんて世界は昔は堅気の人間とは無縁な世界でした。それが電波興行師(テレビ)が「」を「文化人」に仕立て上げてから境界線が曖昧になりました。今回も下品極まりない人間に大金をかけてスポーツを見世物以下に賤しめ、立派な人間もいるのに「こんな下品な人間が羽振りをきかせるのは、さすが大阪」と思わせたTBSの罪は小さくありません。

時間の掟

2007年10月10日 | Weblog
相変わらずちょっと寝るとすぐ4、5日も経過している現象が続いています。単なる「痴呆」と見なすのは素人で、これは誰かが秘かに時間を盗んでいるに違いありません。もしそんなカラクリを発明した人間がいたら、絶対に発表しないでしょう。ノーベル賞を取って名声と何がしかの懸賞を手にするより、時間がいくらあっても足りない指導者や金持ちに売った方が遥かに「見入り」がいいからです。本当に「うまい話」は発表しないものです。それにしても、名声やお金があって現役で活躍している連中は例外なく「不公平感」を持っています。

それは「こんなに一生懸命頑張ってもいずれ死ぬ」と言うことです。しかも人一倍どころか100倍も頑張っているので確率として死期が早まる筈です。我々から見れば「それだけ有名になって稼いだんだから充分じゃないの」と思いますが、そんな小成に甘んじるような人間ではないから一流なのでしょう。ロクに働きもせず、朝からパチンコにうつつを抜かしている人間と同じように死ななければならないのは確かに「不公平」です。そんな愚にもつかない人間から金を巻き上げて何の芸もない「芸能人」を6億円結婚式なんて大金を叩いて「身請け」するようなパチンコ屋が後を絶たないのは社会の不幸です。

確かに「時間を浪費している人間(世の中の役に立たない人)」から時間を剥奪して「時間がいくらあっても足りない人間(社会の役に立つ人)」に割り当てるカラクリが可能なら、年金問題なんて吹っ飛ぶし、何十兆円もの無駄金が節約できる・・・理屈はそうですが実際にはそうならないでしょう。何千年間も頑張る1%の人間とぶら下がっている99%の人間で成り立っているのは、頑張っている人の「不公平感」と引き換えに名声とお金を与えて、「だから僕達を食べさせてね」と言う仕組みがうまく働いているからです。本当に頑張っている人を尊敬しなければならないのはこうした理由からです・・・と言うのが、60を過ぎてもバイクで地中海走破なんて道楽にうつつを抜かして、真っ先に「社会の役に立たない人」に認定されそうな元少年探偵団のおじさん達の「見解」でした。

ワルの掟

2007年10月05日 | Weblog
悪さがバレても卑しい顔に変化のない円天のおっさんとは対照的に、たまたま弟子を「かわいがったら」死んでしまったために「傷害致死」に問われている相撲の時津風親方の顔はいささか当惑気味です。「みんなやってるのに何で俺だけが・・・」そんな不条理を噛み締めているようです。偏向報道を真に受けて「暴力を振るうのは良くないと思います」なんておばさんの意見は悪い冗談です。およそ「格闘技」と言うのはルールのある「暴力」です。こんな世界で飯を食おうという連中がまともである筈がなく、99%地元の「ワル」です。こうゆう連中を暴力団にやらずに「スポーツ」の世界で矯正して立派な運動選手にするのは並大抵ではありません。

昔から記事で飯を食おうという学生は喧嘩が弱い分口先が達者と言う特性から、「権力」とか「暴力」とか「力」がつくものは何でも悪いと言う先天的アレルギーをもっているようです。では骨の髄から反権力かと言うと実は権力の保護を受けているのは「国家は今も弱者に冷たいようです・・・」なんて弱者の味方を装いながら億を越える年収を得ている「キャスター」がザラにいることから明らかです。彼らがいくら稼ごうが「努力」と「運」の結果で文句をつける筋合いではありませんが、その「正義面」は悪質です。有り金を全て作品づくりにつぎ込む「作家」と似て非なるものです。

そんなマスコミの報道に一喜一憂する「視聴者」も円天の「被害者」と紙一重だ・・・なんて悪態をついている我が少年探偵団も他人事ではありません。何年か前の同窓会での話しです。誰が言い出したのか「そう言えば、俺らでお縄になったヤツも落ちぶれたヤツもいないな・・」「・・・」その時別の団員がつぶやきます。「詐欺を働くほどの才覚がないってことだよ・・」「・・・」ここまでくると次の台詞は明らかです。「落ちぶれたヤツがいないってことは、最初からみんな落ちぶれているって訳だな!」ここで爆笑になるのが悲しい探偵団の性かも知れません。

ボロと円天

2007年10月04日 | Weblog
ニュースで初めて耳にする言葉は楽しいものです。「円天」と言うから新しい「天むす」か何かと思ったら見るからに怪しげなおっさんが悪さの道具にしたネットマーのことでした。古くは「ねずみ講」から様々なインチキ話が登場して大金を集める様は「楽をして儲けよう」という救いがたい大衆の愚かさもさること乍ら、不思議なのはこれらの首謀者なり教祖が判で押したように「卑しい顔」をしていることです。勿論、悪さをしたから悪く見えるということもありますが、お縄にならなくても「絶対的に卑しい風体」というものがあります。我々が子供の頃は「あいつは怪しい」「こいつは悪さをする」という具合に大人に教えられてほぼ間違いはありませんでした。当然、子供はなぜ判るのかに興味を持ち、人間の仕草や挙動に注意を払うようになります。

それがいつの頃かエセ人権屋が登場して「人を見かけで判断してはいけません」「どんな犯罪人にも人権があります」なんて騒いで動物の基本的能力である「観察力」を奪い去りました。「ボロは着てても心は錦」なんて言葉は真っ赤なウソで、本当に錦の心を持つ人間を周囲が放っておく筈がありません。それでもボロを着るのを止めないのは本人の意思です。みすぼらしい恰好をしているくせに土地の名士から「先生」なんて呼ばれるのは確かにハイカラです。我々が同じことをしたら石をぶつけられるのがオチです。

但し「逆は真なり」かも知れません。円天のおっさんも高価な背広を身につけていても心が乞食であるのは「教養」「人格」「愛情」のどれも全く感じられないことによります。当然この会長は昭和53年にも詐欺容疑で三重県警に逮捕された「実績」があり昔なら打ち首の人間です。もう年なので今回の悪さが「最後のお努め」になりそうですが、今度は子分共がカタチを変えて悪さをするのは絶対に間違いありません。何故なら「愚かな被害者」が今か今かと待ち構えているからです。やれやれ・・・

数学の掟

2007年10月02日 | Weblog
浮世離れと言う意味ではこれほど浮世離れした世界もありません。数学の世界です。宝くじの当選確率なんて下世話な話ではありません。21世紀の今日まで何人もの天才数学者が挑んで誰も完全に証明することができない難問が3つあるそうです。リーマン予想,ポアンカレ予想,P=NP問題と言うもので、昨日、NHKのBSで放送していたのは、1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」。「・・・」この段階で我々素人の意識は遠のいていきます。

むしろ不思議なのは「素人に説明するのは絶対不可能」と言われている超高等数学をなぜ「みなさまのNHK]が放送するのか。案の定何を言っているのか判りません。苦し紛れの説明はこうです。船に一本のロープを結んで、地球を一周して戻ってくる(勿論仮定の話)・・・それからそのロープを手繰り寄せて無事に回収できれば地球は丸い。もし地球に穴が開いていてそこを潜ってくればロープは回収できない・・・。そりゃそうだ!でも穴の縁を回ってくればいいじゃないか、は駄目。途中に穴という空間があるから・・・。ここで話はお終いです。視聴者の知的好奇心を煽る試みは失敗です。

小学校で「マゼランは船を西に進めて、ぐるっとアフリカを回って戻って来て、地球が丸いのを航海で証明しました」なんて教わったのは4年生の時です。先生は地球儀を回しながら説明しますが、面白くも何ともありません。子供は始めから地球儀が丸いのを知っているし、別に丸くない弁当箱だってヒモをぐるっと回せます。その放課後です。わが少年探偵団の一員がボソッと言いました。「でも、これだって元へ戻ってくるよな・・・」手には当時珍しいドーナッツを持っています。確かにドーナッツの輪をぐるっと回れば元に戻ります。「おおっ~!」ガキ共は感動します。話の内容ではなく、そのハイカラな食品に対してです。「ぐるっと回って元へ戻れるのは球体の証明にならない」と言う「深遠な位相幾何学モデル」はたちまち4等分されて、ガキ共の胃の中に消えていきました。

懐かしい信号

2007年10月01日 | Weblog
あれっ!いつの間に4日も過ぎていたのでしょうか。ブログを4日さぼるとロボットから文句がくるようになっているので気づきました。朝まで仕事をして、それが昼まで、午後まで、夕方までと少しずつ伸びて、どこかで元に戻ると日にちが判らなくなります。なぜこんなバカな事をしているかと言うと、頭がハリケーン状態の時に、あの「ささやき」が聞こえるからです。「コンタクト」です。相手の星は不明ですが確かに地球外生命体からのメッセージです。

子供の頃から人は小さな変化=目の前のことには気づいても、とてつもなく大きな変化には気づかない、と言う直感のようなものがあって、それが時々作動するのです。たいていは頭をぶつけた時とか、意識が溶けてボーとしている時です。自分から頭をぶつける訳にはいかないので、徹夜なんかして頭を豆腐状態にするとあの懐かしい信号を感じると言う按配です。外見からは単なる痴呆老人かも知れませんが、痴呆のふりをして地球の未来に関わる信号をやり取りしているのかも・・・ほら!そこに進化の俯瞰図が見える・・・この辺で止めた方が医学的によさそうです。40時間寝てない老人の文章でした。