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「タイムバール」少年探偵団の時代

元少年探偵団、現ダメ社長が「記憶と夢」を語ります。

風景どころの話

2009年01月27日 | Weblog
頭に来た!たまにブログを書いてアップしたら「メンテでサービス停止中です」なんて言われて、原稿が「保存」されることなく消滅です。だからいつまでたってもコンピュータは信用されないのさ・・・おっと、気を取り直してもう一度。人間はやらない理由はすぐ見つかります。冬になるとブログ数が減る話です。しかし、その原因に気付いたのはつい最近です。単に寒かったからです。寒いとバイクに乗る回数が減るだけでなく、寒くて「風景どころではない」からです。風景がブログの材料である以上「仕入量」が減ればブログも減る道理です。こんな当たり前のことに60過ぎて気付くのは寄る年波のせいかも知れませんが、ここで止めないのが老少年探偵団。今度からは「より暖かくして」バイクで出かけることにします。そうすればまた違った風景の空想世界が味わえる可能性があります。「いいよな~!その年でガキみたいな真似ができて・・・」なんて言われるのは決まって仕事や人生に追われて「風景どころではない」人達からです。ちょと待て!それは少し違うぞ明智君・・・。

電車に乗って、或いは街を歩いていて真っ赤な夕日や流れる雲も見てうっとりしている人は稀です。たぶん田舎でも同じでしょう。さて、そんな人達が「余裕」を作って行楽や観光に出かけるとどうなるか・・・決まった場所で、決まった写真を撮って、決まった名物を食ってバスやマイカーに戻る・・・「立ち止まらないで下さい!先へ進んで!」なんて言われながら「珍獣」や「名画」の前をモゾモゾと通過する・・・どう見ても風景や対象を「味わえる」筈がなく、お金を使って、疲れて帰ってくる・・・さぞ不満かと思えば結構満足しているらしいと知ったのも最近です。要するに「何をどう味わったのか」ではなくて、「どこで、何をしたのか」と言う「事実」が大事なのです。ジンバブエやアフガニスタンや北朝鮮ならともかく、この日本で「夕焼け」も「雲の流れ」の二度とない地球の風景を、しかも無料で楽しめるのに「眼中」にないのは、「余裕=時間やお金」の問題ではありません。「回路=受信能力」の問題です。

世界中にいる明日どころか今日の食物もない人間から見れば、日本を含めた先進国の連中はモノやお金や時間に恵まれて当然、幸せだと感じているのかと思えば不満タラタラです。簡単な話で他人が幸せの尺度になっているからです。その尺度はマスコミや商人が作ったものです。夕日や雲を見てうっとりされたら商売にならないからです。意地悪い神様なら「はいっ!モノもお金も時間も与えました。それであんたは幸せになったかい?」とメンチを切るところです。今や「お金を稼ぐ能力」ではなく、「幸せだと感じる能力」を試されていると言う怖い話でした。

愛は地球を救うか

2009年01月20日 | Weblog
前のブログからいつの間にか2週間・・・頭が駄目になったか(痴呆)身体が駄目になったか(死亡)いずれにしてもロクな判断はされないし、このブログの住人は仕事で忙しいなんて弁解が通用する相手ではありません。そこで「時間」の話から・・・とかく老人は「1日が長く、1年が短い」と言われますが、考えてみればおかしな話です。何もすることがなく、死期だけは近づく・・・この段階で人生としては「既に死んでいる」と考えるべきで勿論、本人も周囲も楽しくありません。

楽しいのはこんな「死人」にたかって薬漬け・検査漬けで医療費を稼ぐ連中だけです。消費税値上げの話以前に、20兆円を超えるこうした医療の無駄と、10兆円を超える外郭団体・天下りの無駄を失くせばいいのに、マスコミもグルになって国民を騙している・・・騙されている国民も阿呆です。70歳過ぎて「老後」の心配をしてどうなる?60歳まで一生懸命働いたのなら後は好き勝手やって「ポックリ」逝くのが本人は元より、家族、国家のためになることに気付かないのは面妖の限りです。

尤も「死神」から見れば「いつお迎えがくるのか」と怯えている年寄りの方がとり憑きやすいのは確かです。ガキの頃から遊ぶことしか考えていない「老少年探偵団」なんかにうっかりとり憑こうものなら「おっ!珍しいもんがとりついてるぞ。頂き!」なんて「捕獲」されて悪用されるのがオチです。本当は死んでいる筈なのにその「自覚」もなく、いい年こいて遊び回っている人間には何を言っても無駄です。「愛」は地球を救うかも知れませんが、少なくとも「遊び」は「死神」を排除するような気が・・・合掌。

楽しい重労働

2009年01月05日 | Weblog
珍しく妖怪共とのバトルの夢もなく穏やかな元旦でしたが、2日目に「そろそろお迎えに行くからな・・・」なんて死神の囁きです。そうすると何故か昔の記録でも整理・整頓でもしようかと言う気になります。前回、死神に囁やかれた時には沢山の写真を整理・編集して雑誌のようにまとめました。今回は15年前から録り溜めた海外映像です。バカでかいビデオカメラ全盛の時代に「片手」で扱えるSonyの小型ビデオカメラは携帯性抜群で、相棒がイタリアの田舎道に落として壊すまで大活躍でした。軽くて小さいと言うことは何も考えないで「録り流す」と言うことで、勿論いい映像なんか撮れる筈がない・・・と思っていたら意外な結末です。

よく映画の中で昔の8ミリ動画を再現するシーンがあります。アングルも動きもカタカタ、無音でモノクロ・・しかしその「ぎこちなさ」が「個人の濃密な記憶」を感じさせると言うアレです。要するに映像そのものより、撮影した時の「気分」が手を経由してカメラの動きに「反映」している訳です。その証拠に、映像を見るだけで「この時は寒くて急いでカフェに突進したな」その温度感まで昨日の事のよう思い出します。当然、体験した当人だけが知ることで、そこが他人の評価を前提にした「プロの作品」との違いです。早い話「演出も思惑も不要、自分だけが判ればいいのさ」なんて少年探偵団的な独断と自由に満ちた編集作業が楽しくない筈がありません。

動画の情報量は膨大で、作業は全ての映像をパソコンに取り込む→不要部分をカット・結合→記録を確認しながら字幕を入れる→各種調整→DVD用にファイルを変換→処理時間は1テープで約8時間・・・この間に次の旅先に関する資料や情報を整理すると言う按配です。苦痛にならないのは楽しいからです。そう言えば昔、学生の頃にバイトでやってた引越作業の最中に、いきなりアルバムを広げて「こん時は大変だったんだよ」なんて話し出すばっちゃんを思い出します。こちらもチップ欲しさに「へぇ~!」と相槌を打ってばっちゃんを喜ばせたものですが、今度は自分の番になって「色んな所へ行ったもんだよ」と動画を見せても「へぇ~、随分ヒマだったんですね」なんて言われてお終いかも・・・