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「タイムバール」少年探偵団の時代

元少年探偵団、現ダメ社長が「記憶と夢」を語ります。

軽薄短小の掟

2009年05月29日 | Weblog
目下、「軽薄短小化作業」に嵌っています。大袈裟に言えば未来のライフスタイルに一石を投じる作業・・・なんてのは嘘で溜まりに溜まった電気製品とその「関連品」の処分です。何しろ「電気」と名がつくものは新製品が出るとすぐ買うので当然、置場所に困ることになります。バイク仲間には女房の目を盗んで千葉の田舎に一軒家を借りて買い集めた製品やバイクを隠していた奴もいましたが、これはこれで面倒。老少年は幸か不幸か暫く製品をイジると飽きてくるので結局、人にあげることで何とか「回転率」を維持していましたが、どうしても溜まる一方の「モノ」があります。「CDやDVD」です。

大昔のオープンリールテープの面倒から開放したのがSonyの「カセット」。次に好きなテレビ番組が録画できる「ビデオデッキ」・・・オマケのエロビデオに釣られて買ったはいいが、片っ端からテレビ番組を録って気がつくと・・・部屋中「テープ」の山です。めったに見ることもないのに捨てるに捨てられない・・・家電屋の陰謀は留まるところを知らず今度は「CDとDVD」です。CDはLPレコードより小さく、DVDはビデオカセットより遥かに小さく「これなら気兼ねなく録画できますよ」・・・腹一杯飯を食った後に美味しそうな「ドルチェ」を見せられたようなもので成り行きでゲット・・・ここにも落とし穴です。

小さく薄くなったとは言え、DVDも溜まってきます。すると以前録画したビデオカセットがやけに目につきます。「あのカセットの山をDVDに収めたら相当余裕ができるぞ」なんて悪魔の囁きに負けて最新の製品を買ってダビングを始めたのが運の尽き・・・アナログの宿命で2時間のテープをDVDにダビングするのに「2時間」かかります。数百本のテープを半年かけてDVDに・・・仕事の合間ではなくダビングの間の仕事です。部屋からあの忌まわしいビデオカセットが消えて、その10分の1のスペースにDVDが収まった時「苦労が報われたな!」なんて感慨に浸ったものでがそれもつかの間。人間の心理とは不思議なもので「新たに生まれた10分の9」を使いたくなります。その10分の9がDVDで埋まるのに半年はかかりませんでした。

賢い人間なら「スペースが生まれるから埋めたくなる。よってこれ以上スペースを生まないこと」と悟るところですが、電気屋はそんな甘くありません。意表を突く製品を登場させます。「大容量ハードディスク」と「フラッシュメモリー」です。「1TB」のハードディスクには20万曲(mp3)・・・これが7000円台です。フラッシュメモリーは「切手より小さく」厚みも「1円玉」・・・32GBなら音楽が8000曲、動画が100時間以上入ります。これが4000円・・・携帯万能プレーヤーが20,000円。過去累計1000万円も使ったAV機器の「質量」が3万円!・・・と言う訳で今度は「CDとDVD」→「ハードディスクとフラッシュメモリー」へのいつ果てるともない転送作業です。鼻先にぶる下げられた人参の色が違うだけで永遠に走り続ける駄馬と変わりありません。家なんかなくてもこの「小さなリビング」さえあれば何時でも何処でも気持ちのいい音と映像が味わえるのさ・・・やがて直接「脳」に埋め込む製品が登場するかも。「電源」は勿論、興奮エネルギー。気の短いお父さんには最適ですが「パスワード」を奥さんに知られたら・・・。プチン!

電力の掟

2009年05月27日 | Weblog
気違いに刃物の北朝鮮の核実験・・・広島市の対応は「2度目の核実験を受け広島平和記念資料館は26日、前回「959日」になっていた核実験からの経過日数を示す「地球平和監視時計」を「0」にリセットした」・・・「日本も核武装すべきだ」なんて反応より知性的です。どうせ白人大国を相手に戦争を仕掛ける度胸も能力もなく放って置けば自滅するのに・・・おっと!リセットの話でした。ブログを暫く書かないと「もう10日過ぎてますよ」とおっせかいなロボットからの「催促」です。これは特別会員になると色々な物忘れを注意してくれるサービスの一環です。この「催促」と「電源コード不要技術」と「千葉の強盗殺人放火事件」の話を無理やり一緒にするのが老探偵団の癖です。

今日のNHKでも「あの煩わしい電源コードから開放」なんてやってましたが、最も切実なのは年寄りだけの家。何しろ40年以上も前の扇風機を平気で使う神経なのでタコ足配線で埃だらけのコンセントは火事寸前。自分達だけが焼け死ぬならともかく周りを巻き込むので厄介です。半分痴呆なので説得しても無駄です。よって今回のような技術で物理的に手を打つのが一番。勿論、健康(徘徊)監視や防犯にも役立ちます。早い話が年寄りに「GPSを兼ねた身体異常感知器」を身につけてもらえば「本人」がいつ、どこで、どんな状態にあるのか、どんな異常が発生したかを「電波」で知ることができます。

昔から「無線機」があるじゃん・・・と言うのは駄目。アフリカの動物だって取り付けた無線機の「電力」が無くなれば追尾不可能です。年寄りがいちいち充電する筈がなく、故に「自動充電」の意味はとても大きい訳です。・・・が、どうもその原理である「高周波誘導」とか「強結合共振」なんて怪しげな言葉を聞くと本当の目的は違うところにあるのでは、と空想します。確かにモノや身体からの電磁波を感知できれば「本人の異常」だけではなく「周囲の異常」も判る筈で、結果として強盗や殺人事件の「抑止」になるし、やがて事件現場の「植物」や「建物」から「事情を聞く」なんて事もあるかも知れません。裏を返せば完全なる監視社会の到来と言う訳です。一昔前なら「なあに、どんな装置だって電源を切ればこちらのもんさ」なんて余裕でしたが、その電源が永久に自動充電されたら社会の根源はどうなるのか・・・「やっぱ電気泥棒が増えるかもな」・・・どうしても深い話にはなりません。合掌。

平日の掟

2009年05月18日 | Weblog
ブログを見たのか愚息から電話でツーリングへのお誘いです。「都心で負け惜しみを言っているより遠くへ行こうぜ」と言う訳です。どうせ毎日が日曜日なので時間は問題ありませんが老少年のHONDAスクーターと奴の最新HONDA-CBRとでは走行ペースが合う筈がなくしばし沈黙・・・「ペースは親父に合わせるからさ。目的地は伊豆の網代温泉の海岸の露天風呂。しかも魚の上手さで評判の宿だぜ。」
こちらの心理を読みきっているようです。「そ、それなら出かけてみるか」内心は久々のツーリングに浮き浮きしながら20年前は仲間と毎年出かけた伊豆半島の風景を反芻したものです。

当日(5/15)は天気は良好。風も冷たく温泉にはいい按配です。東名の松田で降りて小田原から西湘バイバスで熱海まで。そこから一般道で網代温泉まであっと言う間です。連休明けなのか平日(金)のせいか道もガラガラ、街道沿いの売店も休みか廃業、熱海の街も人影は疎ら・・・まるでヨーロッパの田舎のよう・・・と言いたいところですが実体は大違いです。特に地中海の町々が何十年ぶり訪ねても変わらない佇まいと人影であるのは、結果としてそれが「生活の安定」に繋がることを知っているから。一方、日本ではちょっとブームになると寄ってたかって新商売を始めて過当競争・・・しかも施設はセンスが悪く安直・・・ブームが去ると・・・残るのはブチ壊された風景だけ。・・・なんて露天風呂に浸かって海を眺めながら偉そうに講釈を垂れる気分は最高です。魚も上手く風呂と合計で1人2500円。

大渋滞の中を何時間もかけて、高くて不味い飯を食うことに較べたら時間+お金だけでも4倍の得です。勤め人はそうは行かないんですよ・・・と言うのは真っ赤な嘘。組織や会社で当人がいないと困るなんて人はせいぜい100人に1人。暇な奴を順繰りに平日行楽させてリフレッシュしてもらったほうが全体のプラスになると思うのですが・・・。これからは「どこへ出かけた、何を買った、何を食った」かよりも「どんな状況でそれをしたのか」の方に価値が移るに違いない・・・かな?

連休の掟

2009年05月07日 | Weblog
高速料金の割引効果で道も観光地も大渋滞・・・これを避けようとして早めに引き揚げるマイカーでまた渋滞・・・多寡だか数千円を浮かすために、イライラ・クタクタ・・・中には悲惨なトイレ地獄に見舞われた悪臭車も少なくない筈で(秘かに大人用のオムツも売れたかも)、そこまでして何の「見返り」があったのか面妖の限りです。昔の「トイレットペーパー騒ぎ」にも通じる愚かさでとても中国人を笑えないぞ・・・なんて高いところから悪態をつけるのも毎日が連休の老少年探偵団ならではの「特権」です。

こうゆう時は緑が鮮やかなガラガラの都心をバイクで走るのが一番。まるで自分の庭を巡回しているような気分です。気に入ったカフェを見つけたら執事(世間ではウエイターと言います)に言いつけて極上のエスプレッソを運ばせます。駐車監視員も休みなのでバイクも堂々と路上に置けます。少し店内に注意を払うと「大衆」が消えた風景を楽しんでいる中高年の客が多いことに気付きます。どこか「知的」に見えるのは贔屓目かも知れませんが少なくとも「人の行く裏に道あり花の山」には違いありません。

しばし「非日常」の風景を楽しんでから「またお待ちしてます」なんて可愛い「女給」さんの声を背に、ガラガラの道をゆっくり走って帰ってくると言う按配です。費用はお茶代・ガソリン代込みで500円前後(何しろリッター30キロ走るので)・・・お金を使わなくても優雅な時間を過ごせると言う話ですが単なるホームレスと紙一重のような気がしないでもありません。