本当は「黄門の記憶」としたかったのですが、音読みすると倒錯の世界を連想するので、印籠にしました。印籠が昔の携帯薬入であることを知らなくても、「これが目に入らぬか!」とかざすと悪人共が恐れ入るミラクルボックスであることは皆知っています。今回は仮面ライダーの先輩にあたるこの妖しい物体についての話です。
水戸黄門は忠臣蔵と並んで時代劇の定番でした。自分が子供の頃はあの月形龍之介が黄門を演じて一世を風靡しました。因みに忠臣蔵の吉良上野介をやらせたら、その憎たらしさで月形龍之介の右に出る者はないと言うのは衆目の一致するところです。従って、月形黄門様が悪人共をやっつけるのは印籠に頼らなくても、あの強面だけで充分だと子供心に納得した訳です。つまり、当時は「印籠」と言う小道具はなく、テレビ時代の1969年のナショナル劇場で初めて登場した。これが話しの肝です。
テレビがある茶の間には年齢、性別、知能の垣根を超えて全ゆる人がいます。全ての人に判りやすく、面白いドラマを作ろうとすると「水戸黄門」はひとつの究極かも知れません。さんざん待たせた挙句、一定時間がくると必ず秘密兵器が炸裂して悪人共をやっつけること力道山の空手チョップや仮面ライダーと同様です。初めから出せば余計な手間がかからないのですが、それでは商売になりません。現実社会で権威に立ち向かう根性のない善人に代わって、助さん角さんが悪人共を「こらしめる」つまりは「正義の暴力」で気が晴れると言う訳です。そろそろ話をまとめる時間です。
要するにテレビの「水戸黄門」は人間を限りなく痴呆化する電波装置だと言うことです。本来無法者であるべき悪人共が権威の象徴である「印籠」に恐れ入る訳がないし、本当の悪人なら「権威を騙る偽者め」と言って3人連れを闇から闇へ葬ってしまうハズです。ありもしないミラクルパワーに頼ろうという短絡的感覚は正に山本夏彦が言う「茶の間の正義」です。あの「印籠パワー」は今は「宣伝」とか「情報」とかに名を変えて正義好きで無防備な茶の間に降り注いでいます。早く目をさましましょうね、地球が太陽に呑み込まれる前に・・・。
水戸黄門は忠臣蔵と並んで時代劇の定番でした。自分が子供の頃はあの月形龍之介が黄門を演じて一世を風靡しました。因みに忠臣蔵の吉良上野介をやらせたら、その憎たらしさで月形龍之介の右に出る者はないと言うのは衆目の一致するところです。従って、月形黄門様が悪人共をやっつけるのは印籠に頼らなくても、あの強面だけで充分だと子供心に納得した訳です。つまり、当時は「印籠」と言う小道具はなく、テレビ時代の1969年のナショナル劇場で初めて登場した。これが話しの肝です。
テレビがある茶の間には年齢、性別、知能の垣根を超えて全ゆる人がいます。全ての人に判りやすく、面白いドラマを作ろうとすると「水戸黄門」はひとつの究極かも知れません。さんざん待たせた挙句、一定時間がくると必ず秘密兵器が炸裂して悪人共をやっつけること力道山の空手チョップや仮面ライダーと同様です。初めから出せば余計な手間がかからないのですが、それでは商売になりません。現実社会で権威に立ち向かう根性のない善人に代わって、助さん角さんが悪人共を「こらしめる」つまりは「正義の暴力」で気が晴れると言う訳です。そろそろ話をまとめる時間です。
要するにテレビの「水戸黄門」は人間を限りなく痴呆化する電波装置だと言うことです。本来無法者であるべき悪人共が権威の象徴である「印籠」に恐れ入る訳がないし、本当の悪人なら「権威を騙る偽者め」と言って3人連れを闇から闇へ葬ってしまうハズです。ありもしないミラクルパワーに頼ろうという短絡的感覚は正に山本夏彦が言う「茶の間の正義」です。あの「印籠パワー」は今は「宣伝」とか「情報」とかに名を変えて正義好きで無防備な茶の間に降り注いでいます。早く目をさましましょうね、地球が太陽に呑み込まれる前に・・・。