浅田次郎さんの傑作小説「蒼穹の昴」の舞台、北京の紫禁城には一度、出張の
際に駆け足で訪ねたことがあります。幸せなことに、一度でも自分の眼で見て
体感していることは、そこを舞台に描いた小説やドラマを大変身近なものと
してくれます。「蒼穹の昴」は紫禁城を主たる舞台としているために映像化は
困難と作者の浅田さんも思っていたそうです。ところが、その紫禁城をまるまる
そっくりに作り上げた模擬紫禁城が別の地に出来たことから、この蒼穹の昴の
撮影も可能となったそうです。
私自身は、実際の紫禁城を訪れた際には、その壮大さに驚き、かつ映画
ラスト・エンペラーの心を思いつつ回ったものでした。こおろぎの鳴く姿を
王座に見たものです。

西太后や光緒帝や溥儀は、どういう思いで清王朝の末期を歩んだのでしょうか
龍の道は栄光の崩れる道だったと感じたのでしょうか。

この当時の中国は大きく帝国主義の欧州各国に領土を侵略され、日本もそれに
負けずに侵略していったのです。日本本土は、そういう侵略の経験はないの
ですが、中国という大国はそういう侵略された歴史を持っています。
その痛みの違いを歴史小説は教えてくれます。
「蒼穹の昴」を読み終えた後、司馬遼太郎さんの「韃靼疾風録」を読み始めて
います。歴史から学ぶことは大変重要だし、人間を知る意味でも読んでいき
たいと思っています。
際に駆け足で訪ねたことがあります。幸せなことに、一度でも自分の眼で見て
体感していることは、そこを舞台に描いた小説やドラマを大変身近なものと
してくれます。「蒼穹の昴」は紫禁城を主たる舞台としているために映像化は
困難と作者の浅田さんも思っていたそうです。ところが、その紫禁城をまるまる
そっくりに作り上げた模擬紫禁城が別の地に出来たことから、この蒼穹の昴の
撮影も可能となったそうです。
私自身は、実際の紫禁城を訪れた際には、その壮大さに驚き、かつ映画
ラスト・エンペラーの心を思いつつ回ったものでした。こおろぎの鳴く姿を
王座に見たものです。

西太后や光緒帝や溥儀は、どういう思いで清王朝の末期を歩んだのでしょうか
龍の道は栄光の崩れる道だったと感じたのでしょうか。

この当時の中国は大きく帝国主義の欧州各国に領土を侵略され、日本もそれに
負けずに侵略していったのです。日本本土は、そういう侵略の経験はないの
ですが、中国という大国はそういう侵略された歴史を持っています。
その痛みの違いを歴史小説は教えてくれます。
「蒼穹の昴」を読み終えた後、司馬遼太郎さんの「韃靼疾風録」を読み始めて
います。歴史から学ぶことは大変重要だし、人間を知る意味でも読んでいき
たいと思っています。