スーズダリののどかな風景や文化を楽しんだ後、モスクワの東北東185km
にあるロシアの古都・ウラジーミルに行きました。1108年ウラジーミル公
が小高い丘に要塞を作り自らの名前を与えたのが、この都市の始まりとか。
12世紀半ばには、ウラジーミル・スーズダリ公国の首都となり、今回訪れた
ウスペンスキー大聖堂が建造されています。これらの建造物は世界遺産と
なっています。ウスペンスキー大聖堂をご覧ください。
ウスペンスキー大聖堂のある小高い丘からロシアの大地が広く眺められます。
遠くに発電所のような建造物が見えています。
反対側を眺めると、遠めに勇壮な騎士の像が建っていて、ウラジーミル公の
銅像でした。今回、ロシアで多くの銅像を見ましたが、フォルムが動的で、
かつその人の特徴を現す姿になっていました。単に立ち姿をど銅像化して
変化のない日本との違いをかなり認識しました。銅像は日本の文化ではない
と思いました。
今回、どこの教会、聖堂に行っても結婚式を沢山見かけました。
みんな幸せそうな賑わいで、通りすがりの渡しさえ嬉しくなる瞬間でした。
ウラジーミルの丘でも幸福な瞬間に出会いました。
ウラジーミルもかってクレムリン(要塞)で都市を外敵から守っていました。
そのゲートとして黄金の門が築かれ、クレムリンと繋がって防御していたそう
です。ところが、サンクトペテルブルグからお話した女帝「エカテリーナ2世」が、
ウラジーミルを訪問した際に、彼女の立派な馬車が黄金の門を通り抜けること
が出来なかったそうです。怒ったエカテリーナ2世は、黄金の門の両端の
クレムリンを削らして、大きな場所でも通過できるようにさせたそうです。
それが今の姿に表れています。権力者の力と、その効力について考えさせ
られます。
ウラジーミルの後、今回のサンクトペテルブルグに継ぐもう一つのハイライト・
モスクワに向いました。
にあるロシアの古都・ウラジーミルに行きました。1108年ウラジーミル公
が小高い丘に要塞を作り自らの名前を与えたのが、この都市の始まりとか。
12世紀半ばには、ウラジーミル・スーズダリ公国の首都となり、今回訪れた
ウスペンスキー大聖堂が建造されています。これらの建造物は世界遺産と
なっています。ウスペンスキー大聖堂をご覧ください。
ウスペンスキー大聖堂のある小高い丘からロシアの大地が広く眺められます。
遠くに発電所のような建造物が見えています。
反対側を眺めると、遠めに勇壮な騎士の像が建っていて、ウラジーミル公の
銅像でした。今回、ロシアで多くの銅像を見ましたが、フォルムが動的で、
かつその人の特徴を現す姿になっていました。単に立ち姿をど銅像化して
変化のない日本との違いをかなり認識しました。銅像は日本の文化ではない
と思いました。
今回、どこの教会、聖堂に行っても結婚式を沢山見かけました。
みんな幸せそうな賑わいで、通りすがりの渡しさえ嬉しくなる瞬間でした。
ウラジーミルの丘でも幸福な瞬間に出会いました。
ウラジーミルもかってクレムリン(要塞)で都市を外敵から守っていました。
そのゲートとして黄金の門が築かれ、クレムリンと繋がって防御していたそう
です。ところが、サンクトペテルブルグからお話した女帝「エカテリーナ2世」が、
ウラジーミルを訪問した際に、彼女の立派な馬車が黄金の門を通り抜けること
が出来なかったそうです。怒ったエカテリーナ2世は、黄金の門の両端の
クレムリンを削らして、大きな場所でも通過できるようにさせたそうです。
それが今の姿に表れています。権力者の力と、その効力について考えさせ
られます。
ウラジーミルの後、今回のサンクトペテルブルグに継ぐもう一つのハイライト・
モスクワに向いました。