鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

1994年 第2回 ヨーロッパ鉄道模型紀行  その1

2022年11月05日 | 海外旅行

海外旅行は長く行っていないし今後も行かないだろうから、昔の話になります。

ヨーロッパ鉄道模型紀行というツアー旅行が1993年にモデルバーン主催で企画され、それが第1回だった。 

その記録は私のホームページに載せています。 この第2回もホームページに載せれば整合性が良いのですが、さすがにWindowsのホームページビルダーは、パソコンの反応が遅くて書く気がしないので、こちらに書くことにします。

でも、何回かの連載になると思いますので、同じ日にこの旅行記と普通の記事の2つをアップすることになるかもしれません。

という、前置きで旅行記を書きますが、もう30年近く前のことですので、記憶は怪しいのですが、鉄道模型をメインにした旅行というのは、この旅行シリーズ以外に聞いたことがありません。 また、この時に知り合って今もお付き合いしている方が何人もいます。 ということで、こんなツアーがあったんんだと思って読んでいただけたら幸いです。 

 

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1994年 第2回鉄道模型紀行 その1

前年に行われた第1回の旅行は毎日ホテルが変わり、いろいろな列車に乗り、最後にロンドンでオリエント急行に乗る”豪華”なツアーだった。 でも、毎日ホテルを代わるのは疲れ果ててしまって、今回は フランクフルトで3泊、スイスのチューリッヒで3泊と、ホテルは2つだけで、ユーレイルパスを使って鉄道に乗り模型店を訪ねてまたホテルに戻るという設定になった。 そして目玉はRhBに乗ることだった。

今回も成田集合。 前年にも行っていたのだが、遅れたら困るので東京に一泊して成田に向かった。

今回のツアーコンダクターは佐藤さんという、ツアコンのプロだ。  前年のリピーターも何人かいて、全20名ぐらいだったろうが一気に親しい団体ツアーとなった。 

成田発 14:00のJA407は 18:20にフランクフルトに着いた。 もちろん翌日の夕方であるが、一寝入りすればヨーロッパなのだ。 宿泊は昨年と同じインターシティーホテルで、同室はSKさんだった。私よりかなり若い。ちなみに私は49歳だった。

翌日、ヨーロッパ1日目としよう

このツアーでは各自がユーレールパスを持っているので、特急の1等車でもなんでも自由に乗れるのだ。 だから、勝手にどこに行っても構わない。 ホテルを移動する時だけが一緒でないと困るが、あとは自由行動だ。

でも、この日はほぼ全員で、ニュールンベルグに向かう。 

 

駅にはこんな食堂車が停まっていた。 模型で見るものだが、赤い色で食堂車とすぐにわかる。

 

どこの駅か忘れたが、TEEの客車に103型電気機関車を繋ぐところ。 連結手が電話をしているが、103の運転士と連絡をとっているのだ。

これも前年に見た風景で、初めて見たらこの連結手が機関車と客車に挟まれてしまうではないかと心配するのだが、昨年組は落ち着いて見ている。

 

こうなるのだが、バッファがあるので連結手は潰されない。 この後連結器の鎖とネジを締めるのだ。

この特急インターシティーのコンパートメントに数時間乗ったのだが、

 

同室の仲間たちが列車内を見学に行った時に、このドイツ人と二人だけになった。 

コンパートメントで二人だけというのは気まずいものだ。 この人はまったく英語が話せないようだ。私の英語も片言なのだが、この人が通過する駅名をドイツ語で読んでくれた。 そこで、私が知っているドイツ語の単語、体の部位だが kopf(頭) や Schulter(肩)などと言ったりして、それなりに時間を潰すうちにニュルンベルグについた。

ニュルンベルグではトイメッセをやっているので、なんとか潜り込んだ。

 

こういう、ちょっとした情景が展示されているので、模型車両よりもこういうものに惹かれた。

多分、ファーラーの建物や照明などの宣伝用だったかもしれない。

 

フォルマーのレイアウトで建物がメインである。 これを見るとHOでもこのスペースで作れるんだと、感心する。

こういうものを見てきたので、ヨーロッパ型なら狭い場所でも走らせられるし、HNモジュールの基礎的な考えが湧いてきたように思う。

もちろん、車両模型もあるがそれは模型店でも見られるので情景の方に目がいったのだった。メッセを書くと切りがないのでホームページのメッセを参考にしてもらうとして、

 

皆がフランクフルトに帰るのだが、私は一人ビュルツブルグに向かう。 昨年見られなかったレントゲンの研究室を見るためだ。

ICEから降りて通勤列車を見る。 昨年びっくりした機関車が後押しをしているペンデルツークだ。 電車のような顔をしているが後ろに右に見える機関車がついていて後押しをしているのだ。 これで電車のように機関車を付け替えなくても前後に走れる。 まあ、電車なら簡単なことだが、機関車メインの国なのでこういうことをしている。

そして、レントゲンの研究室を見学しようとしたら、すでに閉まっているので明日でなければ見られないとのこと。

そこで、急遽泊まることにして駅の観光案内でホテルを聞くと街の真ん中の小さなホテルを紹介してくれた。 ドアひとつの幅しかない小さなホテルだった。 そこは夫婦で経営しているらしいが英語が通じない。

泊まりと朝食だけで良いのだが、それが通じない、そこに娘が来て英語でバスはないがシャワーだけで良いかとのこと。それで十分、朝食も頼めて、レントゲン博士の研究していた駅前の建物だけでは無くてビュルツブルグ大学の行き方も聞けて大満足。

さて、フランクフルトのホテルに戻らないことをツアーコンダクターに連絡しなくては。 公衆電話を探してホテルに電話した、 大苦労してやっと繋がったのだけれど、ツアコンの佐藤さんがまだ帰っていない。 そこで、ホテルの人に今日は帰らないと伝言を頼んだ。

夕食を食べに街に出る。 照明が綺麗だ。 でも、日本では考えられないが、普通の店は6時で閉まる。 飲食店だけ開いている。 だから、買い物は6時までにしなければならない。 当時のドイツの常識。

 

小さなレストランで夕食。 言葉がわからないのと料理名を知らないので、スパゲティーを頼む。 ドイツ語でシュパゲティーと言えば通じるからだ。 なお、この旅行では同じ理由でほとんど良いものを食べていない、スパゲティーは何度かある。  この支払いがカードだった。 現金が使えなかったかもしれないが帰国後請求が来なかったと思う。 ただ食いになってしまったようだ。

 

ホテルはこの市電の後ろあたり。繁華街の真ん中だった。

 

夜空に照らされるマリエンベルク要塞。 昨年もこの景色を見たが、明日時間があれば上まで行こう。

1日目終わり

 

つづく

 

 

 

 

 

 

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