福島の焼き物と窯、戊辰戦争の激戦地を行く

青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

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武者小路実篤の絵の師斎藤徳三郎の生涯(12)

2018年01月11日 | 斎藤徳三郎の生涯

 増渕元秀と松宮輝明

 須賀川出身で昭和15年生まれ。少年時代裏千家の茶をたしなむ母のお茶を味わい、茶道具を手にして育った。また、東京の叔父は長唄界で活躍し、芳村社中の芳村伊左衛門を襲名し、若山富三郎・勝新太郎兄弟の兄弟子であった。松竹歌舞伎で芳村社中の一門のリーダーとし長唄、三味線を演奏し活躍していた。永福町の叔父は清水建設の建築設計家で数寄屋作りを得意とした。叔母は鳴子のこけしの名工大沼新兵衛(佐多稲子の小説・『人形の家』のモデル)の娘なので古典的ものに興味を持ち育った。

 昭和33年福島県立須賀川高校を卒業後、茨城大学に入学し水戸で4年間過ごした。その間、焼き物に興味を持ち、度々笠間の窯元を訪ね歩いた。

昭和38年大学卒業後福島県立須賀川女子高校の教壇に立ち物理・化学の講義をした。隣町・長沼に江戸時代初めに焼かれた古長沼焼きがあることを知り、「福島県の古窯の調査と復元」の研究をはじめた。化学的証明は日本大学工学部の高木昭教授の指導を受けた。釉薬・陶土の分析は菊池美子助手(後教授)が担当した。また、昭和46年陶芸の技を学ぶために大堀相馬焼窯元長橋明孝の元に弟子入りした。

◎増渕元秀氏との出会いで神奈川県美術展に出展

 

須賀川女子高校・安積高校・母校須賀川高校で化学の教師として教壇に立ちなから工芸美術についても講義した。昭和55年増淵元秀は牡丹園の開花時期に須賀川を訪れてた。そして突然松宮の自宅を訪ねてきた。

◎増渕元秀作の大作

「この町に焼き物を焼く者がいると聞く。どんな焼き物か見せくれ。」偉丈夫で色メガネを掛け黒の作務衣着の姿に圧倒され妻の冨久子が座敷に招きいれた。

◎増渕元秀親子と光男さん(冨美子さんの婿)

 元秀との出会いにより作品は大きく変化した。それは、今までのロクロ成型の円形や楕円形の器から、造形的な作品への変化であった。生命が吹き込まれた作品が生まれた。

 日輝展・一水会展・新槐樹社展・神奈川県展等に出展し続けた。 昭和60年には「長沼焼き考」「やきもの探訪」を基に、「ふくしまの焼き物と窯」を執筆出版した。同時に光風会展・新工芸美術展・日工会展に出展し現在は日工会会員となり、叩きの技法で日展に大作を出展し活躍している。


◎指定3人展会場(須賀川市産業会館)

◎増渕元秀作重量50キロの大作

恩師斉藤徳三郎・増淵元秀の精神「自然の摂理によって人は生きている。」との教えに従い制作している。釉薬の研究により作りだされた色彩鮮やかなロクロの作品と、叩きの技法を取り入れた「生命誕生」の造形作品に定評がある。

◎須賀川市制50周年記念行事協賛「斎藤徳三郎・増渕元秀・松宮輝明三人展」のテープカット


 ◎指定3人展鑑賞に訪れた茨城在住の増渕元秀先生親族

 ◎指定3人展でテープカットをいただいた須賀川美術協会小豆畑清種会長

◎指定3人展を祝いホテル虎屋での祝賀会で挨拶する深谷幸弘須賀川市商工会議所会頭

 

 ◎指定3人展を祈念して須賀川市に増渕元秀作、松宮輝明作を寄贈する

左は指定三人展実行委員会事務局長畑岡邦久氏

 

 ◎須賀川市制50周年記念「指定3人展」を記念し須賀川市に寄贈された増渕元秀作品

「須賀川市立博物館」に展示

 

 

 ◎須賀川市制50周年記念師弟3人展を記念し須賀川市に寄贈された松宮輝明作品

「須賀川市立芭蕉記念館」展示

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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