福島の焼き物と窯、戊辰戦争の激戦地を行く

青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

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余話・渋沢栄一の生涯 14話  渋沢栄一展の開催について

2021年08月13日 | 渋沢栄一の生涯
余話・渋沢栄一の生涯14話  渋沢栄一展の開催について

 松宮輝明(伊能忠敬研究会東北支部長)

 連載の「青天を衝けと渋沢栄一」は、近代日本の創始者、日本資本主義の父と称された渋沢栄一の生涯を記したものです。「青天を衝け」は渋沢自身が詠んだ漢詩の一節「勢衝青天攘臂躋気穿白雲唾手征」(青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む)の意味です。
 栄一は、天保11年(1840)、埼玉県深谷市の養蚕と製藍を営む家に生まれ、幕末動乱の時代、徳川幕府の封建制の矛盾に尊王攘夷の思想となり、高崎城乗っ取り、横浜街焼き討ち事件を計画し未遂に終わり、一橋家の一橋慶喜公に出仕しました、幕臣となりヨーロッパに留学し、明治政府に出仕し、日本国の社会制度を作りました。
 来年、令和3年、渋沢栄一、若き心で挑戦を続けた男が、NHK大河ドラマ「青天を衝け」と決り、人気俳優、吉沢亮の主演で放映されます。また、渋沢栄一は、令和6年の新一万円札の肖像としても注目されています。
筆者は、伊能忠敬研究会員として、渋沢家が所蔵する伊能図の有無の調査で王子の飛鳥山、渋沢栄一史料館、井上潤館長を訪問しました。
 江戸時代、伊能図は軍事機密で、その存在も知らされておりませんでした。徳川宗家、徳川御三家、有力大名家などが秘蔵しておりました。 江戸城の紅葉山文庫(幕府図書館)にあった幕府天文方の伊能図は、戊辰戦争で一部国内外に流失しました。紅葉山文庫の伊能図は、明治となり、伊能本家、東京大学史料館に移管されましたが、関東大震災の火災で正本は焼失してしまいました。
 伊能関係者により、平成22年伊能忠敬関係史料2345点が国宝に指定されました。このたび、飛鳥山の渋沢栄一史料館(渋沢邸の別荘)の史料、パネル30枚と「渋沢栄一展、講演含を企画しました 飛鳥山のリニアールされた史料館の開館は、新型コロナウイルスで4月1日のオープンも4月27日まで延期され、名勝地、8代将軍の吉宗の別荘、飛鳥山のお花見も中止となりました。
 「須賀川・渋沢栄一展」は、新コロナウイルスの終息を待って開催したいと思います。令和元年10月、王子で渋沢栄一アンドロイド制作の記者会見が行われました。王子市の深谷市長、アンドロイド制作の寄附会社、(KK)ドトールコーヒー名誉会長、鳥羽氏、アンドロイド制作の技術指導、監修者の大阪大学大学院石黒浩教授の会見です。工学博士の石黒先生は、世界のロボット制作の第一人者、知能情報学の専門家です。アンドロイドは、外見や動作が人間に酷似する二足ロボットです。渋沢栄一は、二松学舎大学の学長で、教え子に夏目漱石がおります。
王子の記者会見でアンドロイドの夏目漱石が、恩師、渋沢先生の紹介をしました。最先端の科学がここまできたかと感心しました。令和4年、アンドロイドの渋沢栄一は、和服姿が深谷市の渋沢邸で、洋装姿が飛鳥山の渋沢史料館に展示されて観覧者の応対をします。
 慶応3年パリ万国博覧会で、ヨーロッパに渡り、文化思想と経済学を学び、新知識を吸収、帰国し大蔵省に出仕゛明治政府の国家予算を作り、国立銀行条例制定などを定めました。栄一は、大蔵卿の大隈重信に請われ、国家予算を編成します。また、ドイツのゲルマン紙幣を参考に良質の紙幣を発行しました。明治紙幣の印刷は、亜欧堂田善の銅版画の技法が取り入れられていると云われております。第一国立銀行、王子製紙、大阪紡績など500余の会社設立に関与し、日本資本主義の発展に貢献しました。実業教育機関の創設や各種の社会事業に尽力し、晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に2度もなっております。
 渋沢栄一と福島県内のゆかりの地は、岩越鉄道、郡山市では、安積疎水沼上の郡山絹糸紡績会社発電所、永戸直之介の止宿、郡山倶楽部での演説、正製社、真製社の製糸場、山絹糸紡績工場、開成山で小憩、一小亭で午餐。白河市では、白河南湖神社の建設、喜多方市では、喜多方小学校で講演、磐梯町で大寺猪苗代水力電気会社第一発電所を視察、寄宿舎で午餐、会津坂下町では坂下町郡役所で講演、福島市では堀切邸、福島富国館製糸工場を視察、いわき市では、常磐炭鉱、品川白煉瓦の設立など、県内には多くのゆかりの地があります。    


 

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