福島の焼き物と窯、戊辰戦争の激戦地を行く

青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

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タイトル 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話)  コロナと共存した生き方①  マメタイムス新聞掲載

2020年05月27日 | 新型コロナウイルス
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話) 
コロナと共存した生き方①
マメタイムス新聞掲載
令和2年5月25日(月)
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師(化学)
松宮輝明




新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話)  コロナと共存した生き方①

2020年05月23日 | 新型コロナウイルスの歴史
タイトル 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話) 
サブタイトル コロナと共存した生き方①
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師(化学)
松宮輝明

新型コロナウイルスの発生のメカニズムは未だ解りません。今後、抗体検査を実施し「国内パスポート」を発行し、経済を復興させることになります。
東京大学先端科学技術研究センター長、児玉 龍彦教授(東大アイソトープ総合センターセンター長、分子生物学)の研究報告に「新型コロナウイルスは進化し70余種類に変化した」との論文があります。
犬、猫などに感染していることなども解ってきました。新薬の開発を急ぎ新たなウイルスの攻撃に備え、日本は、医学、科学教育に特化した教育に転換する必要があります。
新型コロナウイルスは、世界の歴史の転換点、私達の「地球船、ノアの箱舟」には、約73億人(世界人口)が乗り込んでおります。
2050年には、97億人に増えると予測され、さらに2100年には、112億人が地球船に乗り込むことになります。
現在、1位中国、14億3千万人、2位インド13億6千万人、3位米国3億3千万人、4位インドネシア2億7千万人です。
大量のエネルギーを使い産業を発展させました。大気の自然界の二酸化炭素の含有量の350PPMでしたが、400PPMとなりました結果、「気候変動」が起き、自然環境や人の暮らしに、大きな被害をもたらし、「気候危機」と云われています。
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地球は、太陽からの熱が海や陸を暖め、そして地球からも熱が宇宙に放出されてバランスを取っています。温室効果ガスは、大気中にある二酸化炭素(約80%)やメタン、フロンです。温室効果ガスがまったく無いと、太陽の熱が全部宇宙に逃げてしまい地球の平均気温は氷点下19度まで下がってしまいます。
温室効果ガスは、たくさんの生きものが住みやすい環境を作り、地球にとってなくてはならないガスなのです。
しかし、温室効果ガスが増え過ぎると、気温が上昇し地球全体の気候が変化します。二酸化炭素の排出量の急激な増加は、18世紀の産業革命以降。石炭や石油などの化石燃料を燃やし、エネルギーを得ました。その結果、大気中に排出される二酸化炭素が急速に増加、これが現在、地球温暖化を引き起こしました。20世紀の100年間には、温暖化が急激に進み、世界の平均気温は約1℃上昇しました。日本は地域により1,5℃上昇したとの報告がります。
地球温暖化では、極地方の標高の高い地域ほど、気温の上昇率は高くなります。今後、異常気象の発生する頻度が高まり、大型台風が発生します。昨年の阿武隈川が氾濫した台風19号は地球温暖化によるものと云われております。
 また伝染病を媒介する蚊やウイルスなどが、生息域を広げる恐れがあります。温暖化の深刻な被害は、貧しい途上国に住む人たちには、貧困や格差の問題が起きました。
二酸化炭素排出量は、50年前に比べると、3倍以上、100年前に比べると約12倍にまで増えています。森林破壊や農業の排出量も少なくありません。森林の伐採や火災、農地を造成するための土地改変等による二酸化炭素の排出量は、農業での施肥が元で排出される温室効果ガスは、全排出量の1/4になります。
森林や海洋など地球上の自然が、1年間に吸収する二酸化炭素の量は、約半分の180億トンほどです。一方で、世界中の国々が排出する排出量は約340億トン。自然が吸収できる許容量をはるかに超えています。
 この排出と吸収のバランスをとることは、地球の未来がかかっています。二酸化炭素の排出を削減しなければ、地球温暖化は止めることが出来ません。新型コロナウイルスと共存するためには地球温暖化を抑えることなのです。



写真 730億の人類が乗船している地球号の全景








新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その8)

2020年05月16日 | 新型コロナウイルスの歴史
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その8)
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明

政府は、5月14日、緊急事態を8ッの都道府県を除き解除しました。各県知事に新しい生活の指針の判断を任せました。
新型コロナウイルスに感染した芸能人の志村けん、岡江久美子,元外交官岡村幸夫氏など著名人が亡くなり、コロナウイルスの脅威を感じました。
100年前のスペイン風邪では、日本内地、朝鮮、台湾を含め74万人が亡くなりました。日本内地の人口が5600万人で、東京府で一日の死亡者は200余名です。
死亡者、死亡率は、日本内地で45万人(0.8%)、朝鮮23万人(1.4%)、台湾5万人(1.3%)でした。

原敬総理、内田内大臣、高橋大蔵大臣も感染し、明治天皇の侍従長、徳大寺実則などの政治家や、皇族では竹田宮恒久王(明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏の曾祖父)も薨去されています。演出家の島村皐月、新劇女優、松井須磨子、山川健次郎の妹、鹿鳴館の華、大山捨松も亡くなりました。歌人の与謝野晶子の12人の子ども達も感染し,晶子が政府に抗議の声明文を出し話題になりました。

 福島民報は、大正7年11月1日付で「流行性の悪感冒各駅を襲う、福島運輸事務所轄内のみにて約200余名。欠勤は従業員の一割に当たった」。2日付には「出勤中の軍隊に 流行性感冒猛威を振ふ」、3日付には喜多方で「罹[り]病、将卒60余名、寺院に収容される」。 学校も休校となる。4日付には「安積中学校、福島高女学校、休校す」「伝染の猛烈なる事空前也」とあり、250人中感染者は127人を数えた。
 9日付で「感冒悪性となり、死亡者続出す、若松市民3分2、2万人罹病」と感染が拡大。12日付「引き続く死人 火葬場は大混雑」「野口博士母堂逝く」と、野口シカの死亡を伝えています。 翌年2月12日付は「県下の流行感冒 死者800人に達す」。
茨城県では、茨城県の死者数は約7620人との記録があります。
 岩手県盛岡市を襲ったスペイン風邪は、市内の各商店、工業を休業に追いやり、多数の児童が欠席し、学校は休校とした。6日の岩手日報紙面は「罹患者2万人を超ゆ 各方面の打撃激甚なり 全市困惑の極みに達す」と報道しています。フォームの始まりフォームの終わり
 秋田県、秋田魁新報、1918年11月26日「県は翌大正8年2月の通知で、わずか数カ月の間に県内で25万人が感染し、3200人が亡くなり赤痢、コレラよりさらに恐るべし、未曽有のありさまを呈したり」と県民に伝えています。

スペイン風邪の病原体であるH1N1型ウイルスは、当時の光学顕微鏡で見ることが出来ず、人類がウイルスを観測できる電子顕微鏡を開発したのは1930年代です。 
 ヒト、モノが航空機という、船舶よりも何十倍も速い速度で移動できるようになった現在、新型ウイルスの伝播の速度はスペイン風邪当時とは比較にならないものです。だが100年前のパンデミックと違うところは、私たちの医学は驚くほど進化し、そして当時、その原因すらわからなかったウイルスを、直接観察することが出来がることで。人工的にウイルスすら制作できる技術力を持っています。
新型コロナウイルスの第2波が秋に来ます。新型コロナウイルスは東大の研究によると、動物の猫にも感染が見つかりました。
動物に感染するとコロナは進化し、強い毒性を持ちます。人から動物、そして人に感染する様になります。
新たに進化した「新興感染症」に備えなければなりません。



写真  会津藩士山川健次郎(東京帝国大学総長)の妹、津田梅子とアメリカ留学、大山弥助(巌)と結婚し、鹿鳴館の華と称された。津田梅子「津田塾」の開設に貢献し、スペイン風邪に感染し亡くなる。


◎与謝野晶子、12人の子どもがスペイン風邪に感染しました。








NHK,文部科学省への提言 マメタイムス新聞掲載、 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)

2020年05月15日 | 新型コロナウイルスの歴史
NHK,文部科学省への提言
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)
令和2年5月14日(木)
マメタイムス新聞掲載
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明




◎須賀川は牡丹の街今年は、新型コロナウイルスで閉園、自宅の牡丹は満開(令和2年5月14日撮影)


◎庭のヤシオつつじ(令和2年5月14日撮影)






NHK,文部科学省への提言 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)

2020年05月05日 | 新型コロナウイルスの歴史
NHK,文部科学省への提言
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明

安倍総理は昨日5月4日(日)午後6時、「新たな非常事態を宣言」し、5月31日まで緊急事態を引きの伸ばすと述べました。そして「新たな生活様式を」提示しました。
教育問題の新たな提言がなされるかと期待しましたがありませんでした。しかし、学校での学習についての方向についての提言がなされませんでした。文部科学省からも方向性の提言は現在の時点ではありません。

100年前のスペイン風邪の終息には3年かかりました。新薬が開発され感染者、隠れ感染者に投与されない限り、進化による造られた新型コロナウイルスが3種類(武漢型、広州型、欧州型)が存在すると云われております。

中国の研究者チームは3月4日に、新型コロナウイルスについて論文「国家科学評論」に発表しました。
「新型コロナウイルスは二つの型に分類でき、感染力に差があることが分かった。 ウイルスのサンプル103例の遺伝子配列を調べ、うち101例を「L亜型」か「S亜型」に分類した。約70%がL型。L型の方が感染力が強いとみられ、湖北省武漢で爆発的流行が起きた時期に多く確認され、1月初旬以降は減少した。 S型はコウモリから検出されたコロナウイルスに遺伝子的に近く、古い型とみられる。一つの型にだけ感染する症例が大半だったが、武漢への旅行歴のある米国の患者1人は、両方の型に感染した可能性があった」との論文です。

(感染者の増加が夏まで減少しても、新型コロナウイルスの第2波は秋、今年の10月に来ることが考えられます。南半球は6月、7月、8月が冬季です。新インフルエンザ、新型コロナルスが日本に上陸します。
「人の移動を止めない限り、北半球に再上陸して感染者が蔓延します」。「感染者をふやさないためには、人の移動を止め、隔離することなのです」。
日本放送協会NHKは、番組の編成を早急に検討し、教育課程の各教科の番組を主とし、自宅で学習する児童、生徒にNHKの教育テレビ、NHK学園の放送など、NHKの全てのメディアを使いオンライン授業を始めるべきだと思います。
21世紀は情報の時代です。経団連など未来の人材をそだてる学校教育に前面的に参画、協力すべき時期かと思います。

セーヌ河からウイルスが見つかり、人→物→人に感染すること。物に10日間ウイルスが生存すること、犬、猫ペットに感染していることなど、を攻撃することなどな臓器そして新型コロナウイルスの疑似抗体の新薬はウイルスだけではなく、健全な臓器、肝臓、腎臓などを攻撃することなどの情報があります。DNA,RNEのメカニズム,ラセン構造が解らない学生、生徒では未来の日本は未来は生まれません。日本の大学は、理系専攻の学生が3割、アメリカでは6割の専攻です。先進国な位置付けと自負する日本は、医学、科学教育に転換する必要がります。中国にマスク、タブレット、工業製品を依頼するので心ももとない国家です。
筆者の従妹(東京農工大学教授・免疫学博士、農工大馬術顧問)、甥(名古屋大学工学部准教授・分子生物学博士)でウイルスを研究しております。
東大の児玉龍彦教授の研究報告の様に、このたびのコロナウイルスの発生のメカニズムが未だ解らず、解明には時間がかかるとの見解でした。
このたびのコロナウイルスな発生は、世界の歴史の転換点になると思われます。

今後の対応について、提言をいただいております。
一部紹介をします。
「一年延期したオリンピックですが中止のほうがよいと思っていますが。仮に沈静化したとしても、世界中から関係者が日本に集まれば日本を介して再び広がる可能性が十分あります。来年になって中止となった場合、経済的ダメージは計り知れません。早い決断で損切りし、コロナ対策に専念することが大切と思っています。
やめる決断はやる決断よりはるかに大変ですが。マスク、アルコール消毒液まで未だに不足している現状は経済大国と言われた国とは思えません」。

「知らないうちに日本も相当劣化していたのだと思い知らされました。情報化社会では人、物、情報がとてつもなく早い速度で移動しています。
コロナもそれにのって拡散しております。情報化社会を作り挙げた人間は今や制御不能に陥ってようです。
しかし、コロナをおさめるには情報力(新薬開発、クラスタの発見などなど)に頼ることです。そして、人の移動を止、隔離すとことだと思います」。

「自然に生きる。人は神の摂理により生きることではないでしょうか」。
コロナウイルスの感染の終息をはかるには、真理の探究、学問、科学、若者が真剣に学ぶ社会をつくることなのです。

筆者の先祖、弥彦村観音寺の松宮雄次郎は、松宮屋敷が東軍の本陣となり、北越戦争で河井継之助と同盟を結び1000名の聚義隊(観音寺隊)を率い西軍と戦いました。弥彦村の松宮屋敷は西軍に焼き払われ、会津落城後も戦い、米沢藩に落ち延びました。高田藩預かりとなり明治2年許されて、弥彦村に戻りました。焼け落ちた松宮屋敷の仮住まいの中で、新しい村造り、国造りを考えました。

北越戦争で敗れた長岡藩は分家の三根山藩(弥彦村の隣、3万石)から米100俵の寄進を受けました。長岡藩では、藩士に米を分け飢えをしのごうとの提案が多く、藩の意見は紛糾しました。
小林虎之助は、「米100俵は食べれば、またちまち無くなるが、教育にあてれば明日の千俵、万俵になる」と諭しました。「長岡藩の子弟のためとに米100俵を、未来を担う子供たちの教育資金に充て、三根山藩の温かい気持ちにこたえたい」と主帳しました。
そして米は全て売り払い270両余りの代金で,国漢学校の書籍代や用具代などの資金に使われ、学校設立の基金となりました。教育の成果により、明治以降、越後長岡から多くの優れた人材が輩出しております。

新型コロナウイルス、ご自愛下さい。


◎自宅の椿は満開です。(令和2年5月4日撮影)

(つづく)