焼き物の起源
日本で焼き物を作り始めた年代は、今のところ1万2千年前といわれている。それまで狩りで取った動物の肉を植物の葉で包み蒸して加工することをしていた人類は、土器の発明により食べ物を煮るという加工技術を知ることになる。
それは原始的な土器に見られるような粗雑なものであったが、この文化は縄文式土器、弥生式土器へと発展してゆく。人間が火をコントロールすることができるようになって文明が生まれた。縄文式土器が焼かれた温度は約500度から600度、弥生式土器が焼かれた温度は約600度やら700度である。
さらに大陸から伝えられた須恵器は千度以上の高温で焼かれた。
日本で一番古い縄文式土器は、今のところ、1万2千年前(現在の考古学の発達は縄文時代を1万3千年前とする説が有力である)と見られている。長崎県の泉福寺洞窟より出土した豆枝式土器である。この年代測定には炭素14などの放射性同位元素を使って測定されている。その他に現在の考古学の年代考証には最先端技術を駆使し、より正確なクロスチェックが成されている。近年の遺伝子工学による遺伝子地図の解明により、栗が植培され食料として食べられていたことや、稲が渡来し日本国内に伝播していった経路を克明に解析してくれる時代となった。
縄文式土器とは、粘土紐を作り輪形に積み重ねて形にし、ならした粘土の表面に縄の文様をつけたことからその名をついた。
その紋様から押圧縄文・回転縄文・棒巻き回転縄文に分けられる。近年会津の昭和村の「からむし記念館」を尋ねる機会があつた。その折会館職員の方と親しく話しをする機会に恵まれた。
焼き物談義になり昔は縄を作るのに「からむしの紐」を寄り合わせて用いたとの話をお聞した。縄文人も「からむしの紐」を使い紋様をつけたのではないでしょうか」との話をお聞し興味をおぼえた。
◎縄文式土器、郡山市妙音寺遺跡、高さ50.4㎝