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北区の富士山 「十条富士塚」都内 七冨士めぐり その5

旅のあいまに


◯「東京の富士塚の場所」はこちらクリック‼️

 

江戸時代には各地に「冨士講」が組織され

「八百八町」に「八百八講」あり

「講中八万人」とうたわれました。


「富士山に登らなけれぼ江戸っ子じゃない」と言われたほど

富士山人気は大いに盛り上がり

今でいう旅行会社のようなところが

まとまった人数を引き連れて富士山に登りました。

 

日程は大休8日間。

もちろん全行程歩きです。

帰途には物見遊山の楽しみもあったともいいますが

「一大決心の旅」であり

すべての人は行けるわけではなく、

「体力、ひま、お金」の三拍子がそろわないと

富士山には登れなかったといいます。

 

それで、町内に誰でも登れる富士山を作ればいいということで

「ミニ富士山」こと『 富士塚 』が作られました。


都内にある「富士塚」をめぐってみます。

 

 

「十条冨士神社」にある「十条冨士塚」を見にいきます。


JR京浜東北線の「東十条駅」に降り立ち向かいます。


この日は、毎年6月30日と7月1日の二日間


「十条冨士神社大祭」として盛大なお祭が行われています。


十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場所です。


参詣者は、頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが


これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。


塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。


銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されています。


鳥居や頂上の石祠など16基は明治十四年(1881)に建立されています。


形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し


半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き


中腹にも、富士山の5合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。


石段の左右には登山路の跡も残されており


人々が登頂して富士山を遥拝し

講の祭儀を行うために造られたことが知られます。 

 

下山すると、今日は盛大なお祭が行われ露店がにぎわっています。



ほら貝を持った「山伏」が、「一本歯下駄」で闊歩しています。

 

帰りは、昭和の名残る「十条中央商店街」に寄ってみます。



「アーケードの完成記念碑」を見つけました。

 

伺った富士塚は、『都内 七冨士めぐり』のひとつと聞きますが


あとの六個の富士は、どこの富士塚なのでしょう。


調べてみると分かりました。


①江古田富士(茅原浅間神社)

②音羽富士(護国寺)

③下谷坂本富士(小野照崎神社)

④品川冨士(品川神社)

⑤千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社)

⑥長崎富士(富士浅間神社)

⑦十条冨士(冨士神社)


さすがに「国・都指定民俗文化財」がずらりと並んでいます。

 

簡単に登ることができない、「高嶺の富士のパワー」

いつでも授かりたいという想いから

造って登った富士塚


当時の江戸庶民の想いを感じながら

めぐり散策してみましょう。

 

 

くリックするとジャンプします!

①東京23区に78個ぐらいもあった 富士山 ? その1~

②渋谷区の富士山 「千駄ヶ谷富士」富士塚 その2~

③足立区の富士山 「千住神社」「千住川田浅間神社」富士塚 その3~

④台東区の富士山 「下谷坂本富士」富士塚 その4~

⑤北区の富士山 「十条富士塚」都内 七冨士めぐり その5

 

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