旅のあいまに
江戸時代には各地に「冨士講」が組織され
「八百八町」に「八百八講」あり
「講中八万人」とうたわれました。
「富士山に登らなけれぼ江戸っ子じゃない」と言われたほど
富士山人気は大いに盛り上がり
今でいう旅行会社のようなところが
まとまった人数を引き連れて富士山に登りました。
日程は大休8日間。
もちろん全行程歩きです。
帰途には物見遊山の楽しみもあったともいいますが
「一大決心の旅」であり
すべての人は行けるわけではなく、
「体力、ひま、お金」の三拍子がそろわないと
富士山には登れなかったといいます。
それで、町内に誰でも登れる富士山を作ればいいということで
「ミニ富士山」こと『 富士塚 』が作られました。
都内にある「富士塚」をめぐってみます。
「朝顔市」で知られる「下谷(したや)」の一角に
「小堅照崎神社」があります。
鳥居の左に立派な「下谷坂本富士」がそびえています。
安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりです。
こちらの「下谷坂本の富士塚」は、富士講の「一派入谷東(山東)講」によって
文政11年(1828)、「小野照崎神社」の境内に築造されたもので
高さ約5㍍、直径約16㍍、塚全体を富士の熔岩でおおっています。
塚の上の登山道に「合目石」を建て、一合目の岩屋に役行者像
五合目付近に富士講の祖と崇められる藤原角行(1646年没)の像をまつる石祠を置いています。
ちなみに、下谷坂本富士の「下谷坂本」というのは旧町名で
現在の下谷、北上野、入谷界隈にあたります。
毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に山開きが行なわれ
この時だけ登頂できます。
浅草や河童橋商店街の買物の帰り、ぶらっと寄ります。
開山日ではないと門があかず、なかなか登頂できません。
今度は、日を合わせ伺いましょ。
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③足立区の富士山 「千住神社」「千住川田浅間神社」富士塚 その3~
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