89歳の日々

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シリア・レバノン・ヨルダン旅行

2011-03-23 18:14:24 | 海外旅行
中近東旅行のバスの中で3月11日の大地震のニュースを、
添乗員の人から聞きました。
その時は、それほどの大事とは誰も分からなかったのですが、
部屋に入ってホテルのテレビを見ると、アルジャジーラをはじめ
西、仏、独、等の各国と共にBBCやCNN等の 英語放送も総て
日本の津波、原発事故のニュースばかりでした。

山のような黒い津波に、家々はおもちゃの様に押し流され、
火事は赤々と炎を上げ、大惨事を伝え続けました。
しかしテレビの英語では詳しい事は分からずただただ 
日本はどうなる事かと心配しました。
次の日バスの中で、若い女性が言い出して、日本が元気になる様にと
「上を向いて歩こう」を皆で歌い、惨状を思い皆皆涙しました。

私共の旅はシリア、ヨルダン、レバノンを2週間ほどで廻る団体旅行でした。
津波のニュースは丁度シリアで聞きましたが、
自宅に朝から夜中まで何度携帯を掛けても通じず、
日本がどんなに混乱して通じないのかと思いましたら、シリアの国境を越えて、
ヨルダンに入った途端に皆の携帯が通じました。
(シリアは名にし負う秘密警察国家だからでしょうか?)

夫から私の携帯に、皆無事でショウルームの九谷焼の飾り皿の1枚も
割れなかったと知らせがあり、親戚からの沢山のmailを転送して来ましたので、
子どもたちや親戚の様子が分かり安心しました。
それに付けても、東京辺りでの11日の帰宅は20k歩いた・・
会社で寝袋で寝た・・水道が止まって水を買いに行く・・
JRはいつ開通するか分らない・・
家の引き出しが全部開いて泥棒が入ったようだ・・等などと
それぞれに大変だった様で、
まさしく非常時の様子を伝えていました。

帰国して、新聞で詳しく読んでいますが死者、行方不明は2万人を超えた
様ですし、原発も次第に大変な事になって行くのではないかと心配です。
家族や家を失っておられる方々の悲嘆は如何ばかりでしょう!

この様な事態に拘わらず、歴史好きの私共姉妹は旅して居りました・・・
2万枚の楔形文書が出たユーフラテス沿いの、マリ遺跡は、BC3000から、
「目には目を」で有名はハンムラビ王に滅ぼされる(BC1759)まで
北メソポタミア最大の都市国家の跡だったのをを始め、
古代史からの様々な時代の豊富な史跡を尋ねました。

(楔形文字は、まず1834年にイギリス士官ヘンリー・ローリンソンによって、
 BC5世紀の磨崖碑文が古代ペルシャ語、バビロニア語、エラム語で
 同一文が書かれているのから解読したということです。
 エジブトのロセッタの石と同じ様ですね)

一番印象深かったのは、ヨルダンのぺトラでした。
紀元前後の隊商遺跡ですが、それらが如何に富んでいたかも知らされます。
100もm高さの細い峡谷の薄暗い道を1500mくらい歩くと、
突然陽の光を浴びてバラ色に輝く「エル・カズネ(宝物殿)」が現れました。

私は始めてのロバに乗ると、急な400段もの石段をロバが駆け上がり
「エド・デイル」と言う巨大な神殿(?)に達しましたが、
「ロバに上手に乗った賞状」を贈呈したいと、ロバ主が言ったと
添乗員から知らされました。
これらのベトウインの英語はユーモアもあって上手なので
かれらは、良い商売が出来るのでしょう。

このぺトラ遺跡では終日11キロ歩きましたが、妹は400段の階段も歩いて
40分くらいで登り老いたる姉妹は元気なDNAに恵まれた事を感謝しました。

死海は思いがけずエーゲ海の様な鮮やかなブルー色で美しく、
30%の塩水なので妹と2人で手をつないでVサインをして浮きました。
腕でも何処でも、陽に乾くとべっとり塩がふいて居て、あわてて洗い流しました。

旅行社の扱う、団体旅行は殆んど初めての経験でしたが、
早朝から夕方まで沢山の史跡を訪ね、美しい5つ星ホテルも
ゆっくりする暇は余りありませんでした。

折角ダマスカス、アンマン等5000年も6000年も続いている都市にも、
2泊しているのですが、ぶらぶら街を楽しむ暇も無かったのが残念でした。
(後で分かったのですが、私共が選んだ旅行社は盛沢山訪れるのが
 特徴の処だったようです。)

でも旅行カバンも運ばずに5つ星ホテルに泊まり、
添乗員の詳しい説明を聞きながら、どんどん何処でも連れて行って貰うのは
楽して、素晴らしい経験でした。

スペイン人や、フランス人など外国の人々に逢うと、
「日本の家族は大丈夫か」と聞かれ日本は優れた民族だから、強い国だから
立ち直るだろうと慰められました。
この旅でアメリカ人と話す機会はありませんでした。
アメリカ人はアラブでは少なかったのかも知れません。

飛行機で隣の席のサウジアラビアの若者とは少しも言葉が通じないのですが、
日本人と分かると涙を流すゼスチュアをして悲しみを表すのでした。

食事はお豆や、ナスやピーナツ等をペースト状にし薄いパンに付ける
ベトウインのオードブルに、羊や牛肉とご飯の料理等で美味しいのですが、
いつも同じ様なのが難でした。
13日間に3食づつの食事ですので、都会では素敵な料理店があるですから
中華とかイタリア料理なども加えたら喜ばれると思いました。
素敵な場所での美味しい食事は旅行社の大きな魅力となるでしょう。

朝はインターナショナルなブッフエで、それは果物もケーキも何でも良かったです。
最後は食事の話で終わりました。
(帰ってすぐになりますが、明日から孫娘に会いに米国に夫婦で参ります、
こんなに外国旅行が続くのは私共には異常な事です)

蛇足ながら・・・
シリアでは前アサド大統領が30年にわたる秘密警察による独裁を続け、
亡き今は、英国にいた息子が政権を継承していますが、
現地の添乗員たちは若い大統領は善政をひいて皆に好かれていると言っていましたし
日本人の添乗員もそのように強調していました。

ユーフラテス河から巨大なダムを造り砂漠を広い農地に変えているのも見え、
経済状態も良いという事でした。
しかし今日3月23日の新聞によると、民主化を求める数千人のデモが起きて
発砲で死者も出ていると書かれていました。
前大統領は清貧な暮しだったと言われますが、30年の独裁を継承したのは
やはり無理があったのではないでしょうか。
現地の人の話を聞いても分らないものだと思いました。


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