89歳の日々

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オノ・ヨーコさんと私(下)

2010-12-14 21:24:43 | 日々
         抹茶碗に書かれたサイン
さて、金沢の料亭「山の尾」でお食事を頂いておりました時に、ヨーコさんは
「石川県のそばは富山県ではないかしら?」と尋ねられ、「富山の何処かには
安田善次郎の銅像やお墓があるのですが,訪ねられますかしら?」と聞かれました。

私共は前年の1987(昭和62)年に夫が九谷焼の会社を継ぎ、一緒に石川県に参りましたばかりで、
富山の事など少しも知らなかったのですが、たった一人の知人がおりました。

野原さんは有名な銘木屋さんで、私共は石川県加賀市に家を建てるに当たって
利賀村で古民家を見せて頂いたことから知遇を得ました。
その後「2,5mの楠の玉藻も美しい食堂のテーブル」やBlogのトップの写真に見える
「九谷美陶園の大きな木製の看板」を作って頂きました。
いずれも彼が伝統工芸作家に頼んでお安く作って下さったものです。
素朴な立派な方で白州雅子氏や東大寺の清水公照氏など著名な方々も何度も訪れられたようです。

私共は古民家の材料で家を建てたかったのですが、解体、運搬には大変なお金がかかると
思い断念したのです。
残念でしたが今の家は心をこめて設計し今に至るまで気に入って住んでおります。
・・・蛇足はここまでにして・・・

ヨーコさんから頼まれ、その富山県の唯一の知人・野原さんに電話をしましたら
明朝まで調べてあげましょうと言われ、次の日私共は富山市に向かいました。

野原さんに何から何までお世話になり、ご案内頂きました
ご存じかも知れませんが、ヨーコさんのひいおじい様は安田財閥の創始者で
その方が富山市のご出身だったのです。
東京大学の安田講堂を寄付された方でもあります。

ひいおじい様が産湯をつかったという井戸はその屋敷跡と共に在って、そこは
今では児童公園になっていました。

安田生命ビルの1階には創立者安田善次郎氏記念室があり、ヨーコさんが探しておられた
胸像にもお会いになられました。
安田家のお墓も調べて頂き、すぐ向かいました。ご先祖のお墓でお詣りをなさり
私には、お寺さんにお布施をお渡しして欲しいと頼まれました。

こんな風に女学生の頃にイギリスに渡ったヨーコさんにも日本人の風習がしっかり
残っていらしたように思いました。(実は私とほぼ同じ、1歳年上の方なのです。)

ヨーコさんと二人で肩を抱いたか、腕を組んだか・・
そんな写真も弟さんが撮って下さいましたが、
それを送って頂いておりましたらお見せで出来ましたでしょう。

次の日の午後、札幌での緑の週間の記念か何かの為に、ヨーコさん一行は
小松から札幌に発たれ、これで「ヨーコさんと私」の話は終わりです。
BLOGのおかげですっかり忘れてしまわない内に書き留める事が出来ました。

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