89歳の日々

home: http://kutani-mfg.jp

     スペイン旅行(4)マドリッド  海外旅行

2011-10-29 23:14:18 | 海外旅行
          マイヨール広場

サンチャゴやレオンに行くには、飛行機がマドリッドに寄るので
帰路に 此処にも2泊しています。
レオンからは新幹線に乗りましたら400k位が 3時間で着きました。

マドリッドでは17年前に夫婦で来た時と同じようにソルの辺りに宿をとり、
人々で賑やかな同じマイヨール広場で昼食を取りましたが、
今は簡単な食べ物を選んでいますね。
夕食に前と同じレストラン「ボチーン」の予約を今回は取られませんでしたが。
(宿は「ホテルイントールパラシオン サンマルチン」は手頃な値段の割に
便利で良い.籠の様なエレベーターがあるなど昔からのホテルが改装され
新しいチエーンホテルになっている)
 
以前と全然違うのはシニアの私共はのんびりしている事でしょう。
前回はプラド美術館も良く調べて見たり、王妃芸術センターでゲルニカを
見に行ったり忙しい旅でしたが今回は月曜で美術館は休みでしたし。

まえは王宮に行かなかったので王宮までぶらぶら歩いて行き
東洋趣味の部屋で伊万里の壺見たり、ゴヤの王夫妻の絵を見たりした後
素敵なマイヨール広場でのんびり昼食をとりました。
途中の店を覗きながら宿に帰り、ゆっくり昼寝して夜9時からレストランで
フラメンコ見ながらの夕食に行きました。
男性ダンサーは特別素晴らしく凄い拍手でしたが、彼は孔雀のように
自慢気でした。帰ると12時になりました。
ここでは普通でも食事が終わるのは夜11時でシエスタが必要なのでしょう。

町を通っても買いたい物もないので、ぶらぶらするばかりでしたので、
次の日は観光バスに乗りマドリッドを一回りしました。
すぐそばのソル広場での観光バスでは12ヵ国のイヤホンがあり
日本語でも説明を聞けました。
首都のの古い時代の立派な建物や綺麗な街並みの設計者の国籍等を
詳しく説明していました。
日本ではここはだれが設計した街ですとかは聞きませんね。

夜9時も過ぎると街中のレストランの前の広場に沢山のテーブルが出て
人々で賑やかです。私共が入ったレストランの若い主人はアイルランドで
英語を習ってきたと言い「アイルランドなまりって凄くない?」聞くと
「アイルランドの英語学校が一番素晴らしいよ」言うのです。
隣のアメリカのグループと一緒になって食事を楽しみました。
スペインやイタリアは楽しくて美味しい国ですね。

後で17年前のスペイン旅行のメモ読むと王宮にも行っていて、
「何たる悪趣味!」と書いていました。
以前訪れても、始めてと思って見物しているので年は取りたくないものです。









 スペイン旅行(3) レオン 海外旅行

2011-10-29 21:21:05 | 海外旅行
                         レオンのパラドール
ペイン北部にあるレオンは2000年程前のローマ時代からの町で、
堂々とした城壁が今も残っていますが10世紀頃にはレオン王国の
首都だったそうです。町並みも整い 公園が広がる小さな綺麗な街です。

(私共夫婦はサンチャゴからレオンまで300k位を鉄道に乗りましたが
6時間程もかかり、1等車だったのですがまあ普通車と違いは無い様でした)

レオンのサンマルコス修道院は現在パラドールとしては最も素晴らしいと
定評の所です。16世紀からの建物で階段がデザインになっている
エントランスや、中庭のアーチごとに立派な石像が飾られたり、
豪華な雰囲気です。私共はここで2泊致しました。
建物に付属して教会があり、ちょうど結婚式で新郎新婦もスペインの美男美女
を囲んで、お祖母様やお祖父様も入って何度も何度も写真を撮っていました。

外側のお庭を散歩するとパラドールの奥のポプラ並木のある庭に面して
高層マンションがあり、何と借景が良い居かしらと思いましたら、
バラドールの増築の部屋のようでした。

ちらりとパラドールにも新築があるように聞きましたので、私達は
用心して「歴史的建物で眺めの良い部屋」と希望に書きました。
でも、部屋からの眺めは特には良くはなかったですが。

レオンとサンチャゴのパラドールに泊まる日本からのツアーは
いずれも1泊で毎日来られるそうです。
食事も日本人に合う少量になっているようでした。

1組の日本人のツアーは夕方遅く着かれそのままの服装で食堂に
来られましたが、サンチャゴに行くキリスト教の巡礼目的の人達でした。
途中バスク地方のザビエルの生家(お城の様な貴族の家)に寄って
来られたそうです。さぞかし素晴らしい旅だったと思います。

私達は2食付きの「ハーフボード」と言うのでホテルを予約したので
毎回オードブル以外各自が2種類のお料理と1種類のデザートを選びました。
折角上等なお料理を勿体ないのですが、多すぎて半分は残してしいました。
可愛い実習生がとても親切で夫は一緒に写真を写したり楽しい食事でした。
円高もありますが、2泊以上にのお客にこのハーフボードというのが
2食付きでサイトでお安く予約できました。
スペインは果物もビーフのハム類も美味しく朝のブッフェも見事です。
特に雲丹の入った小さいパンはナポリ風と書いてありました!

歩いて行ける所にスペイン三大聖堂の1つやガウデイの建物等もあり、
公園や川沿いの並木が美しい街でした。(人口20万人くらい)
たまたま新婚旅行に18日も日本に来られた若いご夫婦があちこち案内して
下さりとても良い印象があります。
町の中心にから 白いトロッコのような観光乗り物に乗りますと
ゴトゴトと、ローマ時代の城壁に入ったりして旧市街を周りましたが
説明はスペイン語ばかりで何も分かりませんでした。

17年前にバラドールを4つ尋ねた時の帰りの飛行機で、パラドールめぐりを
している人に会い、「レオン」を推薦されやっと訪れた旅でした。





スペインの旅(2) 海岸めぐり 海外旅行

2011-10-25 19:51:31 | 海外旅行

      北西部のレストランのある漁村
 サンチャゴから バスツアーで「北西部の海岸めぐり」に参加してみました。
これは街中のインフォメーションに寄った時、聞いて予約しました。 
朝の9時出発で、大きなバスに14人ほど(スペイン2人、ドイツ、ブラジル、
フィリッピン、ポーランド、フランス、日本)の観光客でした。

窓からの景色は、以前マドリッドからバスで南のアンダルシアに行った時は
砂漠の様な不毛の風景でしたが、スペインの北部は樹木が多く一面に畑の所
もあって日本と変わりないような風景です。
能登半島めぐりの様なツアーで、海岸の漁村なども回ります。

まず海岸沿いの丘で見渡す限りの風力発電の機械が回っている処に止まり
「スペインの電力の20%は風力から作られている」と説明します。
「何処の国の機械ですか?」と聞くと「そんな事に興味がありますか?」
と不思議そうに逆に尋ねられましたが、
夫は「スエーデン辺りかな」と言って居りました。
(所が、今グーグルで見ますと、スペインはドイツに次いで風力発電機の
 世界第2の製造、運営国とのことです。)

昔、領主の居た小さな村には、ローマ時代のメガネ橋が架かっていて、
水車も残ってい、大きな屋敷が見えこんな片田舎に何とも素敵な処でした。
寒村でも家は日本の別荘の様な感じに見えます。

その他小さな町々に寄ると、街の中心にある魔よけの像についての
面白い解説など聞いたり、大きな相当見事な滝を見に行ったりします。
(雨が多い所なので滝や水力発電のありました)

岬の先の町では、はるばるサンチャゴへの巡礼を目指しながらここで
息絶えた人たちの記念碑がありました。
その地名「フィステラ」は地の果ての意味で記念スタンプを押しました。
(沢山お土産屋がありますが買う人は少なく、スタンプは押します)
イギリスの南西の「ランズエンド(国の果て)」には陶芸で有名な
バーナードリーチの陶房があり、賑やかな海岸の町でした。

海辺のレストランでの昼食の時は、矢張りアジア人はアジア人ですね。
パエリアが美味しい店と紹介された時に、フィリッピンの学者夫妻と私共は
「そこそこ、パエリアが良い!」といっぺんに賛成して一緒に頂き、
「ここは海辺だから特に美味しい、美味しい」と自画自賛して喜びました。
ムール貝山盛り、サラダ、いつものサングリア(毎日暑い日々でした)
アイスクリーム。昼食は1:30~3:00でゆっくりです。
他の人は「パスタ料理が美味しかったのよ」等言っていました。

後半も幾つか寄りましたが、皆シエスタの時間でした。
いずれにしても余り凄い事も無いのですが、バスツアーは気楽なので
ぶらぶらついて回りました。
朝9時~夕方6時 バス料金1人40€=4000円程です。
(サンチャゴまで130日歩いたポーランド夫妻の話はこのバスで聞きました)。



スペインの旅 (1) サンチャゴ 海外旅行

2011-10-23 20:42:50 | 海外旅行
         お料理がおいしかったパラドールのレストラン
   (8;30 に夕食に行ったら9;00からと言われ時の写真)

スペインの北部にあるサンチャゴ・コンポステーラには大聖堂が有り、
ここはエルサレム、ヴァチカンと共にキリスト教の3大巡礼地です。
どうして聖地になったかと言うと,9世紀にキリストの12使徒の内の一人
ヤコブの墓がこの地に発見された言われ、その上に聖堂が建てられ、
現在のは16世紀頃からの建物だそうです。(世界遺産)

各国からこの大聖堂までお遍路さんが歩いて来ます。ポーランド人の夫婦が
1日に平均21k歩いて130日かって着いたと言っていました。
其処には日本人も若い人やシニアの人達も沢山歩いていたそうですが、
「彼等は英語を話さない」と言うのが印象的だったようです。

北スペインは雨が多く寒い処だと言われますが、このごろの異常気象で
夏のように熱い日々でした。
大聖堂の前にも横の階段を上がった所にも大きな広場が在り
沢山のテーブルが出ていて、人々は賑やかにおしゃべりしたり
ゆっくり本を読んだりしています。
私共夫婦は氷の入ったサングリアを飲みながら、お揃いのオレンジの
スカーフを付けているヨーロッパからのシニアのグループや観光客を
のんびり眺めたりしていました。

大聖堂の横にサンチャゴのパラドールが有り其処が私共の宿です。
ここはヨーロッパ各国から来るお遍路さんの最後の目的地なので、
昔は病気になったりする人も多かったと思われ、
その宿はかつて病院兼 宿泊施設だった建物です。

15世紀に建造された建物には古いタピストリーや彫刻のある立派な家具が
置かれたロビーや、本を読んだりゆっくりする色々な部屋もあります。
私共の部屋は中央に噴水のある石造りの回廊を通り、
次にお庭に囲まれた回廊を通りました。
古い建物でも木彫の扉を開けるとバスルーム等は広くとてもモダンな
デザインになっていました。

パラドールとはスペインで1928年に始まった半官半民のホテルです。
歴史と建築好きな私共は3回ほどスペインを訪れた時に
下記のパラドールを宿にしました。
バルセローナの山の上にある9世紀からのカルドナの古城、
トレドの貴族の邸宅を模した建物(トレドの全景が眺められる)、
11世紀の城壁に囲まれたアビラのアルバス邸、
17世紀の修道院のチンチョンなど 素敵な処に泊まりましたが、
グラナダでは残念ながら泊まらず食事をしただけでした。
(グラダナはマドリッドから1週間くらい各国の人達と  
 アンダルシアを回ったツアーで訪れましたので)

かねがねレオンのパラドールが素晴らしいと言われ、
今度そばのサンチャゴと2ケ所のパラドールを選びました。
スペイン全土でグラナダ、サンチャゴ、レオンの3ケ所のみが
5星の宿になっています。

サンチャゴの宿の一番良かったのは食事ではないかと思います。
写真の様なアーチ型の石造りの食堂でオードブルからデザートまで
丁寧なお料理は1つ1つ美味しく素晴らしいものでした。
純白のナプキンは特大の麻の刺繍入り、お皿も特注の上等の品でした。

世界遺産になっている旧市街町は小さく、歩いて一回りしても
1時間程かと思います。
その中に沢山レストランやパブやお土産屋等がひしめいていています。
昼食を2度この町でとりましたが、海の傍なので魚貝類が
美味しい所なのですが、何しろ注文すると蛸、海老、ムール貝等
お皿に山盛りに出るので、食傷気味になりました。

又食べ物の話ばかりですが、私共はその大聖堂も、美術館も
一応しっかり見物しましたよ!





シリア・レバノン・ヨルダン旅行

2011-03-23 18:14:24 | 海外旅行
中近東旅行のバスの中で3月11日の大地震のニュースを、
添乗員の人から聞きました。
その時は、それほどの大事とは誰も分からなかったのですが、
部屋に入ってホテルのテレビを見ると、アルジャジーラをはじめ
西、仏、独、等の各国と共にBBCやCNN等の 英語放送も総て
日本の津波、原発事故のニュースばかりでした。

山のような黒い津波に、家々はおもちゃの様に押し流され、
火事は赤々と炎を上げ、大惨事を伝え続けました。
しかしテレビの英語では詳しい事は分からずただただ 
日本はどうなる事かと心配しました。
次の日バスの中で、若い女性が言い出して、日本が元気になる様にと
「上を向いて歩こう」を皆で歌い、惨状を思い皆皆涙しました。

私共の旅はシリア、ヨルダン、レバノンを2週間ほどで廻る団体旅行でした。
津波のニュースは丁度シリアで聞きましたが、
自宅に朝から夜中まで何度携帯を掛けても通じず、
日本がどんなに混乱して通じないのかと思いましたら、シリアの国境を越えて、
ヨルダンに入った途端に皆の携帯が通じました。
(シリアは名にし負う秘密警察国家だからでしょうか?)

夫から私の携帯に、皆無事でショウルームの九谷焼の飾り皿の1枚も
割れなかったと知らせがあり、親戚からの沢山のmailを転送して来ましたので、
子どもたちや親戚の様子が分かり安心しました。
それに付けても、東京辺りでの11日の帰宅は20k歩いた・・
会社で寝袋で寝た・・水道が止まって水を買いに行く・・
JRはいつ開通するか分らない・・
家の引き出しが全部開いて泥棒が入ったようだ・・等などと
それぞれに大変だった様で、
まさしく非常時の様子を伝えていました。

帰国して、新聞で詳しく読んでいますが死者、行方不明は2万人を超えた
様ですし、原発も次第に大変な事になって行くのではないかと心配です。
家族や家を失っておられる方々の悲嘆は如何ばかりでしょう!

この様な事態に拘わらず、歴史好きの私共姉妹は旅して居りました・・・
2万枚の楔形文書が出たユーフラテス沿いの、マリ遺跡は、BC3000から、
「目には目を」で有名はハンムラビ王に滅ぼされる(BC1759)まで
北メソポタミア最大の都市国家の跡だったのをを始め、
古代史からの様々な時代の豊富な史跡を尋ねました。

(楔形文字は、まず1834年にイギリス士官ヘンリー・ローリンソンによって、
 BC5世紀の磨崖碑文が古代ペルシャ語、バビロニア語、エラム語で
 同一文が書かれているのから解読したということです。
 エジブトのロセッタの石と同じ様ですね)

一番印象深かったのは、ヨルダンのぺトラでした。
紀元前後の隊商遺跡ですが、それらが如何に富んでいたかも知らされます。
100もm高さの細い峡谷の薄暗い道を1500mくらい歩くと、
突然陽の光を浴びてバラ色に輝く「エル・カズネ(宝物殿)」が現れました。

私は始めてのロバに乗ると、急な400段もの石段をロバが駆け上がり
「エド・デイル」と言う巨大な神殿(?)に達しましたが、
「ロバに上手に乗った賞状」を贈呈したいと、ロバ主が言ったと
添乗員から知らされました。
これらのベトウインの英語はユーモアもあって上手なので
かれらは、良い商売が出来るのでしょう。

このぺトラ遺跡では終日11キロ歩きましたが、妹は400段の階段も歩いて
40分くらいで登り老いたる姉妹は元気なDNAに恵まれた事を感謝しました。

死海は思いがけずエーゲ海の様な鮮やかなブルー色で美しく、
30%の塩水なので妹と2人で手をつないでVサインをして浮きました。
腕でも何処でも、陽に乾くとべっとり塩がふいて居て、あわてて洗い流しました。

旅行社の扱う、団体旅行は殆んど初めての経験でしたが、
早朝から夕方まで沢山の史跡を訪ね、美しい5つ星ホテルも
ゆっくりする暇は余りありませんでした。

折角ダマスカス、アンマン等5000年も6000年も続いている都市にも、
2泊しているのですが、ぶらぶら街を楽しむ暇も無かったのが残念でした。
(後で分かったのですが、私共が選んだ旅行社は盛沢山訪れるのが
 特徴の処だったようです。)

でも旅行カバンも運ばずに5つ星ホテルに泊まり、
添乗員の詳しい説明を聞きながら、どんどん何処でも連れて行って貰うのは
楽して、素晴らしい経験でした。

スペイン人や、フランス人など外国の人々に逢うと、
「日本の家族は大丈夫か」と聞かれ日本は優れた民族だから、強い国だから
立ち直るだろうと慰められました。
この旅でアメリカ人と話す機会はありませんでした。
アメリカ人はアラブでは少なかったのかも知れません。

飛行機で隣の席のサウジアラビアの若者とは少しも言葉が通じないのですが、
日本人と分かると涙を流すゼスチュアをして悲しみを表すのでした。

食事はお豆や、ナスやピーナツ等をペースト状にし薄いパンに付ける
ベトウインのオードブルに、羊や牛肉とご飯の料理等で美味しいのですが、
いつも同じ様なのが難でした。
13日間に3食づつの食事ですので、都会では素敵な料理店があるですから
中華とかイタリア料理なども加えたら喜ばれると思いました。
素敵な場所での美味しい食事は旅行社の大きな魅力となるでしょう。

朝はインターナショナルなブッフエで、それは果物もケーキも何でも良かったです。
最後は食事の話で終わりました。
(帰ってすぐになりますが、明日から孫娘に会いに米国に夫婦で参ります、
こんなに外国旅行が続くのは私共には異常な事です)

蛇足ながら・・・
シリアでは前アサド大統領が30年にわたる秘密警察による独裁を続け、
亡き今は、英国にいた息子が政権を継承していますが、
現地の添乗員たちは若い大統領は善政をひいて皆に好かれていると言っていましたし
日本人の添乗員もそのように強調していました。

ユーフラテス河から巨大なダムを造り砂漠を広い農地に変えているのも見え、
経済状態も良いという事でした。
しかし今日3月23日の新聞によると、民主化を求める数千人のデモが起きて
発砲で死者も出ていると書かれていました。
前大統領は清貧な暮しだったと言われますが、30年の独裁を継承したのは
やはり無理があったのではないでしょうか。
現地の人の話を聞いても分らないものだと思いました。


オーストラリア(7) バロン川でのラフテイング

2010-03-13 15:55:00 | 海外旅行
      写真家が岩の上でシャッターチャンスを待って撮ったもの

今日でケアンズも最終日です。
昨日は高波でラフティングがキャンセルになってしまいましたが、
今日は何とか出来るようです。
ホテルに出張している旅行会社の中年の女性に問い合わせているのですが、
彼女も「今日は大丈夫です!」と張り切っていました。
着る物を聞きますと「上にセイフテイジャケットを着るので、
楽なテイシャツを着るくらいでそのままで良いでしょう」との事。

カナダのカナナスキス川の清流でのラフテイングが楽しかったので、
此処でも申し込みました。
ところが山の方での大雨のせいで濁流うづまくバロン川でした。

リーダーは綱を腰に付けていて、本当に何人もの流さた人を助けたそうで、
私達も流される練習をボートのロープに捕まり、彼の冗談を楽しみながら、
泥川で練習しました。川の中も温かいのです。

でもコーチ達と凄い急流の岩の間をゴムボートで潜り抜け時には、
ボートも人も半分水浸しになり、コーチの体が50cは飛び上がって、
彼もびっくりしていました。
私達はロープに捕まりしゃがむので大丈夫です。

急流は幾つかの段差の時に出来るので、普通に漕ぐ時はリーダーが
何処から来たのとか聞き、彼らの子供の話とか極く親しい感じで
何か愉快に話し合います。

此処でもひと組のボートは日本人の男子学生と日本人リーダーでした。
彼等は説明にも練習にも笑いも少ないようでした。
最後にバスを降りる時も、ちょっと頭を下げて行きましたが、
他のグループの人達はわいわい賑やかに挨拶しあいます。
(日本人のリーダーも愉快に出来たら良いのにと思いました)

私達はとても楽しかったのでコーチに、「アッシュありがとう」
と言っただけでしたが、バスのバスの皆が笑顔でそれぞれに大声で
挨拶を言われ、愉快な思い出になりました。
彼が始めに名前を言う時「“風とともに去りぬ”のアッシュレと同じ名で、
もっとナイスガイ」と言いましたので、覚えているのです。

こちらの人は大袈裟なので、帰ってホテルの入り口にいる旅行会社の女性に
私達のラフティングの写真を見せましたら、驚いてホテル他の人達にも
見せ回って居ました。
彼女はそんなに水に濡れる思わなかったようで、テイシャツ以外は
私共は普通の服装にしたので、びしょびしょになり、余分に持参した
夫の半ズボンを借りて帰って来たのです。
カナダは氷河からの水が冷たいのでスエットスーツを着ました。

ラフティングの写真をご覧になったイギリスからの夫婦が、
その夜話しかけてこられ、私共は「どなたでもなされますよ」と申しましたら
腰掛けていたご主人が「足が悪くて」と言われました。
次の朝、泳ぐようにして歩いておられる方がそのご主人で、
私共もお気の毒で正視出来ませんでした。

日本の旅行会社が推奨している素敵なレストランに行きました。
若いハネムーンナーや日本人がほとんどでした。
ケアンズは、ハネムーンにも普通の旅行にも良い所と思います。
ハワイを知らないのですが、ケアンズには」沢山の日本人観光客が来ていて
ホテルにもお店にも日本人の従業員がいます。
夜も安全で食べ物も美味しいし、此処は小さな美しい町でした。
これが最後のオーストラリアでした。


オーストラリア(6)) グレートバリアリーフへ 

2010-03-09 22:06:33 | 海外旅行
              初めてのシュノーケルを使って
ケアンズ(3)
毎日晴天で暑い!
今日は 波も静かなそうで、待望のグレートバリアリーフ(珊瑚礁の海) 
に出ました。これも昨夜予約したツアーです。
ホテルからバスが波止場まで乗せて来ます。25m位の白い綺麗な帆前船に
100人ほどの陽気な乗客を乗せ出帆しました。

乗客の内20人ほども日本人で、すぐ親しくなって話しましたが、
格安航空券ではヒルトンに3泊しても15万円との事、本当に格安ですね。
ご夫婦は「秘密にして来ているので陽に焼けたら困る」との事でこの暑い海で
盛んに日焼け止めを塗っていました。

シュノーケルをする人はくらげ防止にウエットスーツを着て水中眼鏡、
足ひれなどを甲板で選び、ミコマスケイに行くのです。
此処は珊瑚礁の島ですが時にはすっかり波をかぶってしまうような所が「ケイ」と
言うそうです。

船から小さなボートに乗り換えて、真っ白い珊瑚礁で出来た100m位?の
ミコマスケイに着きました。野鳥の保護区で人の足元にまで野鳥が
うじゃうじゃいるのに驚きました。
私達は沢山の鳥に見向きもせず、初めてのシュノーケルを試みました。

シュノーケルの使い方を船で詳しく習いましたが、なかなか上手くいかないのですが、
塩水を飲んだりしながら、何とかコツが分かって
100mほど先の大きな珊瑚礁辺りで、顔だけ海中に入れて色とりどりの魚達を
見れるやうになりました。テレビで見るような海中です。

船で知り合った子供連れのケアンズの男性が「 亀がいるよ」、
と5mほど手を引いて泳いで見せて下さいました。底の珊瑚礁の上で、
じっとして私を見ていた亀はひらりと上に向って泳ぎました。
彼のお蔭で亀を見れましたが、見た人は少なかったそうです。

シュノーケルで、見飽きなかったのですが、船に戻ってブッフエになりました。
この船はブッフエでいつも優勝しているそうで 泳いだあとは一層美味しく
頂きました。
シュノーケルとダイビングをする以外の人は、食べたり
甲板に寝ころんだりのんびりしています。
船ではケーキやコーヒーの他にシャンパンなども出ました。

その後、半潜水艦に乗りました。沢山の窓から海中の深い所の魚を見るのです。
シュノーケルでは見られない種類の大きな魚等を沢山見ました。
意外に面白かったのは窓に寄って来て踊るようなるクラゲでした。

帰ってひと寝してから遅い夕食に出ました。
毎日 洋風料理なので中華料理に行く途中ベトナム料理があり、
素敵な店ではなかったのですが、美味しそうでそれにしました。
ヴェトナムの麺、ホーやお肉、野菜等、アジアの料理は汁気が多く
たっぷりとした感じで満足しました。
私共は張り出した外のテーブルに居りましたら、
お正月なので金色の派手な獅子舞が来て、店中を踊りまわり、
私共のすぐ傍の道では もの凄い爆竹を鳴らしますし、思わず耳をふさぎました。


オーストラリア(5)  キュランダ観光

2010-03-09 18:27:23 | 海外旅行
                   熱帯雨林の中の滝        

12日(金) お世話になったDさんに送って頂いて、ケアンズの海岸沿いのホテルに入りました。海岸に沿って並木が続いていて、部屋はから目の前に穏やかな海が眺められました。この美しいホテルに4日間自由に過すことになります。

昨日のうちに世界自然遺産の「キュランダへの観光」を申し込んでありましたので、8時頃ホテルを回ってお客を集めるバスが来ました。このツアーは、バスを降りる所、ケーブルカーに乗る所、アーミーダックに乗る所などの要所、要所に案内人が居て、それぞれのスケジュールをみて、「何時にあの汽車に乗って下さい」とか教えるやり方でした、始めはその要領が分からなかったので何度も聞き返しました。

私共は世界最古という熱帯雨林の中をケーブルカーに乗って途中で降りては、写真のように幾つかの滝など見ながらのキュランダの町に着きました。此処では「蝶のサンクチュアリ」などもあり、(入りませんでしたが)、有名な蝶で羽が青く光って見える美しいユリシスも見ました。

山の中の小さな町、キュランダが今では、ケアンズから誰でも行く観光地になっていて、此処では沢山の日本人を見ました。色とりどりの品物を売っている店があり、私共も結構あちこち見て、夜の食事に行く時の裾までのドレスをお安いので買いました(その日の夕食には着て出ましたが、その後着るかどうか分からないと言う物です)
食事をして、陸軍が開発した アーミーダックという 水陸両用の車に10人位で乗り 山の急斜面を登って樹木や鳥や虫の説明を聞いたり、車はそのまま川に入って其処に生息している珍しい動物など見ました。

帰りは内装が木製で出来ているアンテークな汽車に乗って帰り、ホテルまではバスで送って貰いました。今までは、車で案内して頂いたので、今日は暑いせいかすっかり疲れました。

 オーストラリア(4)   暑い!ケアンズ

2010-03-07 22:24:46 | 海外旅行
                       熱帯植物園で見た花
ケアンズ  その1
9日(火)シドニーから飛行機で4時間(?)ほどで北のリゾート・ケアンズに
夕方着きました。
(オーストラリアの南は寒い南極なので、北の方が暑くなるようです。)
ケアンズは晴天で空港に着くとカッとした日差しと蒸し暑さで(32~35度ほど)、
大変な所に着いたという感じでした。
ロータリーアンのDさんが車で迎えて下さり 着いたお宅は山の中腹でした。
「迎えに来て下さって申し訳ない」と言いますと、
「退職していて暇なので心配ないよ」と答えられ、ユーモアのある穏やかな方です。

高台からお庭や木々を見下ろす広いテラス(ヴェランダ?)には、
しっかりしたコンクリートの張り出した天井に大きな扇風機が回っていて
風通しが良く気持の良い場所になっていました。
ここでは蒸し暑さも感じられなく、早速お茶を頂いたりし、
食事をするのも何時もこのテラスで何とも素敵な場所でした。

Dさんは園芸で成功した人物で今は仕事を息子さんに譲っています。
16年前に建てた大きな家なのですが、何と言っても農家の生活で、
私共は初めての農家ステイに少し戸惑いました。

次の日は近くにおられる 日本人を招きパーティーをなさるそうで、
その夜は夫妻を何処か食事にお招きしたいと申し出て、
美しい海岸沿いのシーフードレストランに参りました。
夫妻は遠慮して メインデッシュだけで良いとか言われるところ等日本人と似ています。
結局ワインも沢山飲んで楽しい食事になりました。
私共は大変お世話になりますので、いつも一回はこちらでご馳走しているのです。

10日(水)今日は 夫人は朝からパーティーの用意で大張きりです。
「手伝いましょうか」と言いますと、「自分だけで大丈夫」といわれ、
都会と違って沢山お料理するのも慣れた方ではないかと思いました。

Dさんが車で、熱帯雨林のモスマンという川に連れて行って下さいました。
其処の川辺でピクニックをしているアポリジニに初めて会いました。
陽気な人たちで日本を知っているとか色色話かけてきましたが、
その陽気さのように今は幸せになっていて欲しいと思いました。

ずっと海岸沿いの美しい景色を眺めながらのドライブで、
途中エレガントな パームコームやポートダグラスの町でお茶を飲んだり
食事をしたりしましたが、素敵なリゾートでした。
私共の加賀市山代温泉も観光地ですが、まず町が美しくなって欲しいものです。 

夜のパーティーはご子息夫妻と、その隣に住んでいる日本人ご夫婦が来られました。
日本人の方は15年前に、世界のあちこちを探して、
結局ケアンズが一番気に入られ大きなお家を買って住んでいる方です。
こちらに暮らしている40人位の日本人とは付き合わず、
近所のオーストラリアの人達と親しくされていて、
Dさんのご子息夫妻のようなブルーカラーの人達が一番安心できて、
気持の良い人達だと言われました。
日本社会の嫌な面を知り尽くしているのかも知れません。

外国でその土地の方々と親しく生活するのは素晴らしい事ですね。
でも私共も久し振りの日本の方とお目にかかれ話は尽きませんでした。
日本に帰られる時には私共の町にも来られます様にと申しました。

Dさんは「15年居ても彼の 英語は・・・」とにっこりして首を振りますが、
という彼の英語は生粋のオーストラリア英語で,私共が習う英語とは随分違います。

夕食は果物とエビのオードブルの後、ご飯と辛くないカレーのようなものと、
ゼリーとクリームのオードブルでした。
でも一家の昔からの写真を見せて頂いたり、皆遅くまで楽しく過ごしました。
こちらではパーテイは人々と会って話しを楽しむ事が良く分かりました。

11日(木)今日はバロン湖や熱帯植物園にもおつれて頂きました。
その帰りにスーパーでお豆腐や野菜などを買い、夕食にお豆腐料理を二種作りました。
野菜の沢山入って色も綺麗な「炒り豆腐」といつもの「八宝菜のお豆腐入り」ですが
茹でた野菜が色色ありましたので、ブルーチーズを入れた美味しいサラダもしました。
夫人がよくそれらを見て覚えられたと思います。
お豆腐料理と、沢山の野菜をこれからもお料理されると体にも良いと思いました。
昨日の日本の方が言っていましたが、此処では野菜を本当に少ししか食べないそうで、
私共の食事にも少しのサラダが付くくらいでした。
この3日間でDさんご夫妻のお宅に泊めて頂くのも終わりです。


 オーストラリア(3)  やっと晴れたシドニー

2010-03-06 22:57:09 | 海外旅行
                      フェリーから眺めるオペラハウス

7日(日)B氏宅に3日泊めて頂いた昨夜は、深夜になってポタリ ポタリと怪しい音がし
( シャーロックホームズでしたら、天井から斑の紐が下りて来る所でしたが)
何かと思えば なんと ベッドカバーに 雨が落ちる音でした。
激しい雨で、屋根から4か所も 雨漏りがして沢山重ねていた彼のシャツが全部
びしょびしょななったそうです。
朝食後、18世紀頃の入植当時の建物が残っているシドニーの旧中心街
ロックス辺りを説明して頂きながらホテルに車で送って頂きました。
何から何までお世話になって感謝でお分かれしました。

世界遺産のオペラハウスを見る。
街中のホテルでゆっくり一休みしてから、夕方オペラハウスに車で行き、
4時からの日本人の解説員の説明を聞きました。
オーストラリアの象徴のようなオペラハウスは、コンペで一番安く出来るので
選ばれたそうですが、いざ建てると始めの170倍とかの凄い建設費がかかって、
デンマークの建築家ウオッツマンと市当局が険悪な間柄になって、
エリザベス女王ご臨席の落成式にもウオッツマンは参加せず、
その後も一度も見に来なかったそうです。
白く輝いて見えるのは二種類のタイルで輝くように作ってあるそうです。

オペラとコンサートでは音響などに違いが有るので、
この建物は二棟から出来ている事など、
詳しく説明してくださり案内料は一人1,500円位でした。
残念ながら今日、あすは催しはなく、建物の見物だけです。

その後サーキュラーやロックス辺り、沢山の観光客の間をぶらぶらして
お店を見たりし、夕食は 当てにしていたレストランに行くと
日曜日で休みだったので、あちこちタクシーで探し オペラハウスを望む
「ウォーターフロント」でシーフードやステーキにしました。
当地風の赤身だけの上等のステーキは結構味があって美味しい物でした。
いつも食べる所には苦労しますね!

シドニーのハーバー巡り
8日(月)今朝はやっと現れた青空です。ロータリーのDご夫妻が
ホテルに迎えに来て下さり、70キロ離れた海岸にあるご自分の別荘に
お連れ下さる予定でしたが 夫が風邪ぎみなのでシドニー市内を車で周って頂きました。
優しいご夫妻は私とほぼ同じ年でご主人は公認会計士の方でした。

この町は沢山の入り江で出来ている都市で、入り江の断崖絶壁を望む高台には
煙突の付いた古い立派な家が立ち並ぶところをドライブするのは気持ちの良いものでした。
港で軽い昼食を頂いた後で、フェリーで 港を横切る途中に白いオペラハウスが
見事に輝いて見えました。

ホテルに送っていただく途中でカラスミが有るかも知れないと言う
デパートの食品館で下ろして頂きましたが、一腹が3000円もする(日本価格に近い)
のでやめました。
急に、カラスミを買いたいと言う日本人に穏やかなDご夫妻も驚いた事でしょう。
良い方々にお会いして今日も幸せな日でした。
夫の風邪も大したことがありませんでした。