"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“孔子はハローワークだった”

2011-11-26 05:07:07 | 日記

致知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。

(転載開始)
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    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

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世界三大聖人の一人である孔子は、
どのような人生を歩んだのでしょうか。

月刊『致知』最新号では、「孔子の歩いた道」をテーマに、
多数の著作のある中国文学者・守屋洋氏と
独自の漢文授業を行ってきた佐久協氏が対談され、
不遇の人生を送った孔子の生涯が反響を呼んでいます。


本日から3回にわたり、
その中から仕事や人生に役立つ孔子の生き方の
エッセンスをご紹介します。

参考にされてみてください!


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 今日の言葉【特別版1】2011年11月23日(水)
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<孔子はハローワークだった>


【佐久】

(孔子は)門弟三千人ともいわれていましたね。
 実際に三千人いたかどうかは分かりませんが、
 名前は相当通っていたでしょう。
 
 意外といえば意外ですが、孔子はそこで、
 いまのハローワークみたいな活動を一所懸命やっていました。

 自分の思想に基づいて人を育て、
 その就職斡旋を通じて自分の思想を広めていこうと。
 それができるという自信があったのでしょう。
 有名な、

「逝く者はかくのごときか。昼夜を舎めず」

 という言葉は、最晩年の嘆きというのが一般的な解釈ですが、
 そういう嘆きは孔子に相応しくない。

 すべては川の流れのように滔々と
 未来に向けて受け継がれてゆくものだ、
 と未来への希望を述べたものという解釈もあります。

 私もここには、そんな肯定的な気持ちが含まれていると思います。


【守屋】

 そういう孔子の生き方から、何を学ぶべきか。
 いまの私の心に響くのがこの晩年の言葉です。

「その人となりや、憤(いきどお)りを発して食を忘れ、
 楽しみて以って憂いを忘れ、
 老いの将(まさ)に至らんとするを知らざるのみ」
 
 気持ちが盛り上がってくると食事も忘れてしまうと。
 孔子のやる気、ものごとに取り組む姿勢を表しています。
 孔子は晩年までそういう姿勢を持ち続けていたということですね。
 
 それから、楽しみて以って憂いを忘れと。
 これはどっちかというと中国流で、楽しみなくして何の人生ぞやと。
 孔子には酒や音楽も楽しみでした。
 しかし一番の楽しみはやはり、
 弟子を育てる楽しみだったでしょうね。

 ・・・明日につづく


●対談「孔子の歩いた道」
     守屋洋(中国文学者)&佐久協(作家、元高校教師)

⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201112_pickup.html#pick1



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★好評★ 初めての孔子・論語 特集号!
 日々の心の糧となる名言が満載です。

  月刊『致知』最新12月号・特集テーマ「孔子の人間学」
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http://www.chichi.co.jp/monthly/201112_index.html

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(転載以上)


孔子が素晴らしいと思うのは、孔子は、日常の生活、仕事をきちんとこなして行かれたということです。

決して人里離れて隠遁生活をしていたわけではありません。


“いまのハローワークみたいな活動を一所懸命やっていました。”


社会とのかかわりを持つ、というよりもむしろ、積極的にその中に入っていったということは、このエピソードからもわかりますね。


そして、その人生は決して順風満風と言えるものではありませんでした。

むしろ悪戦苦闘の連続だったと言えるでしょう。


しかし、そのような経験を重ねる中から、実際に使える真理を見つけ、それを練り上げて行ったところが素晴らしいと思うのです。

だからこそ、「論語」に書かれていることは、時を越えてもびくともせず、私たちの心に訴えかけ、人生の基軸となり続けるのだと思います。