"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“ブータン国王、国会での演説全文”

2011-11-23 04:15:15 | 日記
来日されたワンチェク国王が11月 17日に国会でスピーチをされました。その全文を下記より転載させて頂きます。
 
(転載開始)
天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。
衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。
皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。
それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。
これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。
ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。
ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。
3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。
私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。
そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。
皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。
ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。
両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。
2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。
私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。
すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。
日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。
これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。
それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。
皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。
他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。
文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。
すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。
このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。
そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。
この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。
さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。
ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。
私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。
その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。
卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。
偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。
日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。
ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。
日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。
ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。
ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。
手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。
ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。
そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。
我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。
小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。
それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。
我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。
ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。
日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。
それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。
私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。
改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。
「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」
ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。
ありがとうございました。
 
(転載終了)
 
 
感動的なスピーチですね。
 
日本、ブータン、それぞれの国民への思いに満ち溢れています。
 
 
福島を訪問された時の子供たちへの言葉も素晴しかったですね。
 
 
皆さんは龍を見たことがありますか?

私はあります。

皆さんそれぞれの中に龍はいます。
龍は『経験』を食べて大きくなります。
年をおう
ごとに龍は大きくなるのです。

皆さん、自分の中の龍を
大切にしてください。”
 
 
ブータンについては、この日記でも過去、何度か紹介させて頂きました。
 
 
今の国王のお父様の時に、「グロス・ナショナル・ハピネス(GNH国民総幸福量)」という指標を発表されたのですね。
 
そしてその考え方は今では国民の間に根づき、浸透しています。
 
 
国王や王妃もそうですし、写真で見るブータンの方々の顔つきや雰囲気、日本人ととても似ていますよね。
 
なにかとても懐かしい感じもします。
 
 
ブータンの国旗には、龍の姿が描かれています。
 
西の龍の国、ブータン、東の龍の国、日本。
 
 
私は、今回ワンチェク国王が来日され、このような素晴らしい言葉を残して行かれたことには大きな意味があると思っています。
 
そして、その意味がわかる時がきっと来ると思っています。
 
 
国王は、今回ご結婚されたばかりの王妃と来日されました。
 
国王がまだ17歳だったとき、王妃になる女性ジツェン・ペマさんは当時7歳でした。
 
その幼い一般人の少女が、国王に「大きくなったら結婚してください」とお願いし、国王は「大きくなっても覚えていたらね」と返事をされたそうです。
 
14年の歳月を経て、国王31歳、王妃21歳で、見事にその約束を果たされたわけですね

“神仏に頼らないということ”

2011-11-23 04:05:06 | 日記

致知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。

(転載開始)
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    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

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 今日の言葉  2011年11月22日(火)
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【神仏に頼りすぎない】

鬼(き)神(しん)を敬(けい)して、
之(こ)れを遠(とお)ざく。(論語・雍也第六)


<解説>

鬼神というのは日本で言うなら神仏である。

神仏をありがたがるのはいいけれども、
無闇に近づいてはいけない、と言っている。

それで思い出すのは宮本武蔵である。
武蔵が吉岡一門との決闘を前に、
通りかかった神社で武運を祈ろうとする。
そこでハタと気がついて、神は尊ぶべし、
頼る気は起こしてはいけないと思い直す場面があった。

また、私の母はなんでも神前で祈る人を軽蔑していた。
母の観察によれば、そういう人たちは縁起かつぎでよくない。
普通の人は盆と正月と命日だけ行けばいい、というのである。

私の観察では、日本人であまりにも
教会に熱心に通う人は付き合いにくいタイプが多いようだ。

本当に立派な信者もいるけれども、多くは偽善的になりやすい。
日本人のセンスから言うと、多くても週一回か、
あるいはクリスマスなどの大きな祝日に行けばいいのでは、
という感じがするのである。

『四書五経 一日一言』渡部昇一・著より(致知出版社刊)



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(転載以上)


渡部昇一さん、なかなか厳しいことを言われていますが、やはり真実を衝いている面もあると思います。


武蔵が、吉岡一門との決闘を前に武運を祈ろうとする気持ち、よくわかるような気がします。

しかし、そこでぐっと踏みとどまって、


“神は尊ぶべし、
頼る気は起こしてはいけないと思い直す”


武蔵のそうした姿勢にこそ、神様は味方されるのかも知れませんね。


“習い方がうまい人とは”

2011-11-23 03:58:57 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/11/22】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知(ちち)』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   2009年8月号の『致知』に掲載され、
   大きな反響を呼んだ元読売ジャイアンツ・荒川博コーチと
   王貞治氏による初の師弟対談。
   
   本日はその記事の中から、
   お二人が初めて出会われた時の
   印象的なエピソードをご紹介します。

 
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      「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人」
       
       
            荒川博(日本ティーボール協会副会長) 
        
            『致知』2009年8月号
             対談「世界の王」はこうしてつくられた」より
      
http://www.chichi.co.jp/monthly/200908_pickup.html#pick3


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【王氏:思えば僕が中学二年の時、草野球の試合に出ていたのを
    目に留めていただいたのが、荒川さんとの初めての出会いでしたね】

そう、忘れもしないね。
昭和二十九年十一月二十三日の、午後二時頃だ。

当時二十四歳だった私は毎日オリオンズ
(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手だったけれど、
その頃のプロ野球には秋季練習なんてなかったから、
暇を持て余して近所の隅田公園へ出掛けていった。

そしたらそこに凄いピッチャーがいたんだ。


ところがその子は左で投げているにもかかわらず、
打つ時になると、なぜか右で打つんだよ。

で、初めは黙って見てたんだよね。
一打席目三塁ゴロ、二打席目ショートフライ。

それで三回目の打席に立った時にね。


「ちょっと待って、坊や。君は何で右で打ってるの?
  本当は左利きなんだろう?
  次の打席は左で打ってごらん」
  
 
と声を掛けたら、


「はい」


って素直に言ったんだよ。

これがすべてのきっかけだな。

普通、それまで左で打ったこともない子が、
試合中にいきなりそんなことを言われたら、


「できない」


って言うのが当たり前だよ。

ところが次の打席で左ボックスに入ったその坊やは、
いきなり二塁打をかっ飛ばした。


右中間真っ二つ、ビックリするくらいのいい当たり。
私はその時に、あ、この子を、
母校の早稲田実業に入れようと思った。
そうすれば絶対に甲子園で全国制覇ができるって。

それで試合が終わるまで待って、早実に入るよう勧めたんだ。


私はともかくも早実へすっ飛んでいって
こういう選手を見つけたから、二年後には
何が何でも入れてくれと頼み込んだ。

ところが翌週に少年の家に行くと、
お父さんからけんもほろろに断られてしまった。


「うちの子には野球なんかやらせない。
 両国高校へやって東大に行かせるんだ」
 

って。いや、これは頭がいいんだなと思ったね。


でも私はそこで諦めなかった。
人生には「もし」ということがある。
もし落っこちた時はどうすんだ、と。

そこで近所の知り合いのオヤジに


「もしあそこの家の子が受験に落ちた時には、
 俺のところへ知らせてくれ」
 
 
と頼んでおいた。そしたら結果的に志望校を落ちて、
早実へ入ることになったんだな。


しかし、それにしてもあの時、
左で打てと言われて


「はい」


って答えた素直さね。

これが王の一番のいいところであって、
それが今日の成功をもたらしたんだよ。
この「はい」が。


だから私はいつも



「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人だ」



と言うんだよ。これがもう第一条件なんだよね。
王はその後も、私に口答えしたことは一回もない。

(転載以上)
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当時、荒川コーチは24歳、王貞治さんは14歳。

たまたま出掛けていった隅田公園で、荒川さんが当時まだ中学生だった王さんを見かける確率は一体どれほどのものでしょうか。

「世界の王」誕生の瞬間とも言える出会いに感動します。


“「ちょっと待って、坊や。君は何で右で打ってるの?
  本当は左利きなんだろう?
  次の打席は左で打ってごらん」
  
 と声を掛けたら、

「はい」”


今まで右で打っていたのに、見知らぬ人に言われて「はい」と言っていきなり左に変えることが出来る人は、やはり本当に少ないのでしょう。


“これが王の一番のいいところであって、
それが今日の成功をもたらしたんだよ。
この「はい」が。”


荒川さんが、中学生の王さんに出会った時に見抜いたのは、野球の才能だけではなかったのですね。

才能よりも、むしろ“習う素直さ”の方が大切だと考えられたのでしょう。

この「はい」が、“今日の成功をもたらしたんだよ”とおっしゃっているのですから。


素直に「はい」と言った王さんと、そこまでの眼力で王さんのことを見抜いた荒川さん、

教えられるものと、教えるものとの運命的な出会いに感動します。