空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

歴史教育:「大化の改新」なんてものっそ現代的だろう、とか

2019-03-26 11:14:04 | ノート
 とりあえず



 自戒として置いておこう。




 それぞれピンボケしているというところか。歴史学的には木村先生が正統。
 しかし中高の歴史の授業についての愚痴の文脈では木村先生の指摘は微妙にずれるかと思われる。中高の歴史の授業の内容は、現代社会の理解に奉仕する属性があろう。というか、現代人が現代人という制約付きで歴史を叙述すると、どうしても現代の見地から過去の諸事実を整理することになる。
 ―Willy OES氏の言いたいところはこの点の指導の有無、ということだろうか。

 何れにせよ「「歴史が好きなので歴史やってます」という人にカリキュラム作らせると似た感じになるんだろう」には、歴史好きには反論したい気持ちで一杯になるのではなかろうか。ここには、”歴史好きな人間は、現代的な問題など眼中になく、過去に起こった事実・事件をただひたすら細かく覚えることが喜びなのだ、そしてそれを他者にも押し付けてくる”という類の予断がありそうではある。

 しかしその日本史の古代部分なんて、まさしく現代に生きる知識といわざるを得ない。

 いやまあ、個々の天皇の略歴だとか古代貴族の名前とか、とりあえず話をするためにそこそこ知ってもらわないといけないだろう要素はあるが、いわゆる「大化の改新」前後なんてのは、まさしく、きわめて現代的ではないか、と。

 ―というのは、歴史研究者としての態度ではないだろう。
 歴史の大学院でやる話でもない。
 しかし、おそらく、非文系・学部1-2年の一般教養概論講義や―中学で一応の前提知識を教えられたあとの高校の歴史の授業では付言するのが好まれる・好ましいのではなかろうか。
 一応、比較だとか比喩だとかという限定を付しつつも、現代的な事件についても理解がしやすくなる・深まる、なんて効用もあることだろうし:



 もうちょっと若いひとにウケそうなネタとしては:


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