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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

有益な批判は有益であるというだけのこと

2018-07-18 13:24:44 | Weblog



 そりゃおめえ、循環論法っぽいが「有益な批判をされることに意味を感じろよ!」「ありがたい批判はありがたく思うものだろ!」だろうに。建設的・生産的なもの、そうした方向付けを持つものが有意味なものだという、非常に単純な理屈だ。なお『オレ様のありがたいお話を低級なお前はありがたく拝聴しろ』という人はそこそこいるが、当たり外れは大きいというか、もっぱら外れが主張してくるというか。

 単なる罵倒や単なる悪口やただの中傷は批判とは言わん。

 尤も、それを言う側にすれば、罵倒・中傷・悪口を言うことで当人の憂さは多少晴らされる訳で、その点、その当人にとっては多少生産的行為といえるだろう。この点は正当に認めるべきだ。その人以外にとって生産的かどうかはまた別の話だが。

 つぅことで、割といい確率で「よそでやれ」というのが正直な感想でもあり、実際的な助言でもある。

 どーせあれだろ? 「おめーむいてねーよ」とか「やめちまえへたくそ」とか、そのてーどだろ? つまり確実に視聴者(候補)のひとりなりふたりなりが離反した・失われたわけで、その点にかけては客観的な事実なわけだ。

 しかしその手のひとが主張しがちな、『自分の感覚は一般多数と同様であり、自分の見解は多数派たるべきものであり、自分はそんな一般的見地から一般的事実を述べている』というのがどれほど一般的かというのは、割といい確率で疑い得るものだなというのは、日常の経験である。

 …個人的には僕は実証主義的というか、事実と解釈と感想とを別個に扱う傾向があるんだが、そうでも無い人たちは多数いてなあ。自分の感想が、そのまま世間に通じる一般的事実と思う向きも居てだなあ。
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