「反発の声」というのは、どの程度あったのだろう。これがダメなら、福島県民以外の人が福島の人に寄り添うのは、難しくなるのではないだろうか。 -- ヤノベケンジ氏の「サン・チャイルド」、福島市に展示し物議 「不快な思いさせた」と謝罪 https://t.co/qIdpyvBTYp
— KON (@eyevigor) 2018年8月10日
いえ、寄り添えばいいんじゃないですかね。ままどおるを買うとか、大七を買うとか、国権を呑むとか、三春駒をためしてみるとか。なんか千葉氏の相馬氏御当主が揮毫した御本陣とか。いまだに旧藩主家が大事に親しく思われてるのすげえな。
まあともかく、普段は呑まない酒を、「ああこれは福島の酒か。よし、試してやろうじゃないか」と買うこと自体、ひいきであって、それは寄り添うということなのと違うかな。
美味けりゃ継続するし。
呼んでもないのにやってきて、「さあ! かわいそうなお前たちに寄り添ってやろう!」と宣言し、かつ「その寄り添いの形態と言うのはこのようなものだ。さあ、かわいそうなフクシマ県民よ、共に反ゲンパツの声を高らかにあげようではないか!」とか。
「寄り添い」と称する反原発活動家を拒絶したら、途端に激しく攻撃されるという地獄を散々味わってきた人達に対して、その言葉を発して恥じない厚顔さに驚いた。
— 誠福丸 (@smaru_org) 2018年8月17日
それ、「寄り添い」じゃなくて「都合よく利用したい」だけだとバレてるよ。
物凄く迷惑だからやめようね。 https://t.co/Nq0N51E9kp
「寄り添う」って言葉に対し胡散臭い…って感じる様になってしまったけれど、それは「寄り添う」という時に、「寄り添いたい」と思ってる側が、その「寄り添う対象」の人がどう受け取るかということよりも、自分が「寄り添っていると思ってやっていること」を優先する事が多いからかもしれないなぁ…。
— Toko Shiiki/椎木透子 (@tokophotoko) 2018年8月19日
なお、沖縄と比較すると面白いだろう。
沖縄の反基地活動・政治勢力は、わりと有力な地元企業グループがバックになっている。グループ会社の社員さんはまあ浮世の義理もあるし、社長さんとおなじような投票行動をとるかもしれない。そこのスーパーには支持者が通いつめもするだろう。なにはともあれ、地元に密着しているわけだ。
さて、福島で反ゲンパツを唸る人々はどうだろう。福島まで遠征して、当然のように大七で酒盛りをするだろうか。土産物はままどおるとエキソンパイだろうか。福島の果物の消費具合はいかがだろうか。
…いや、この手のひとたちは福島どころか、東日本産のものをまるっと避けようとするではないか。
ということで、反ゲンパツのひとたちは福島では地付きの勢力にはなれないだろうなあと思っている。というか、そもそも彼らは碌々来やしないか。
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