ノートから掘り起こしたメモをアップロードしておく。
そろそろ私の目の前の寿司は止まるらしい。止まっていいのだろう。いや、なんなら年収500万ぷらぷらのころだって、年一回、世話になった伯母上を連れて高級寿司屋に連れて行って接待したものだったが。
それはともかく、今日のメモの掘り出しは教育環境について。
まず、我々はかなり「一般教養」の講義を削って・けちってきたわけである。
と。このように思われもする。
読ませない、というのとは違うのだろう。制度的には保証してあるが、現実としては分断されている、とか、そんなあたりになるのだろう―地域差の問題を指摘することが出来る。
―という。私の出身地の、そうした文化の薄さというのは相当なものだと思う。本屋さんがつぶれて行っているしなあ…。
そして。そうした地域では、そりゃまあお勉強自体がなかなか進まず、「いい大学」に行くことも少なくなる道理である。
そーよねー(うちの図書「室」を想起しつつ)。
年収が 800 万を超えるあたりから寿司が止まって見え、年収が 80 万を下回るあたりから水道が止まって見えるというのを Twitter で見たが、月の残業が 80 時間を超えるあたりから時間も止まるらしい。
— くっくっkura (@PG_kura) 2017年11月25日
そろそろ私の目の前の寿司は止まるらしい。止まっていいのだろう。いや、なんなら年収500万ぷらぷらのころだって、年一回、世話になった伯母上を連れて高級寿司屋に連れて行って接待したものだったが。
それはともかく、今日のメモの掘り出しは教育環境について。
まず、我々はかなり「一般教養」の講義を削って・けちってきたわけである。
人文系の教育を丁寧にやることを軽視してきたツケが、本務校あたりだと如実に出てきているように思う。学生がバカになってるということはないのだが、優秀な学生が、考えるときの参照先を知らず、表現する方法を知らないのだ。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年12月2日
と。このように思われもする。
人類が著しく進歩したのは文字が発明されたからで、近代社会を迎えたのは書物が大量生産されるようになったから、という単純な事実が忘れられがちのようだ。だからこそ敢えて一般の人に本は読ませないというなら話は別だが。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年12月2日
読ませない、というのとは違うのだろう。制度的には保証してあるが、現実としては分断されている、とか、そんなあたりになるのだろう―地域差の問題を指摘することが出来る。
これ「欲しい情報が手に届く場所に必ずある」という前提がないと成立しない話でね、九州の一般家庭から私立中ルートで脱北したほりえもんは「わかって言ってる」よね。 https://t.co/7SsptWBVzc
— dada (@yuuraku) 2017年12月4日
―という。私の出身地の、そうした文化の薄さというのは相当なものだと思う。本屋さんがつぶれて行っているしなあ…。
そして。そうした地域では、そりゃまあお勉強自体がなかなか進まず、「いい大学」に行くことも少なくなる道理である。
大学もそんなところがあって、仮に講義系授業の内容そのものは「大学のランク」に関係なく同じにすることができても、それ以外のところ、たとえば図書館、同級生、その大学の伝統・文化、キャンパス外の環境はかなりどうにもならないよな…
— fa_censor (@fa_censor) 2017年12月3日
そーよねー(うちの図書「室」を想起しつつ)。
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