空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

男女差別とその教育と意識についての寓話的記事そのほか

2019-03-25 12:19:27 | ノート

 この素敵な質問を見たあと

 を見ると、なるほどなあと納得してしまうが、「おお、そういえば女性記者というと有名人が、東京新聞にいたよな」と思い起こすと―これ、個人の資質に帰せられるべきところが結構あるなあ、と思い返さざるを得ない。

 あるいは、従来ははっきりと男社会であったとして、その男社会で形成された理屈―取材相手を場合によっては理不尽に詰問して動揺を誘い問題発言を引き出すべきだ、などという―を身につけた「男性記者」こそが出世してきたのだ、と作文できるか。つまり東京新聞の某女性記者は、この意味で断然「男性記者」なのであり、それゆえに男社会である現在において”出世”しえた。

 ところが、そういう意味では「男性」ではなかったような人たちは、あるいは何かしら足りずに格下げされたひとたちは「男子の本懐」たるような天下国家を論じるような場面に行くことができず、芸能方面のような「女々しい」ところに配置され、ある者は適応できずアイドルを詰問し、ある者は適応して機知を発揮できた、と。

朝鮮日報 韓国語で「キムチ女」は嫌悪表現、では「キムチ男」は? 2019/03/24 05:01

最終的に月給を多く受け取ったチームが勝つようになっているが、途中駒が「出産」に止まると、女性役の児童だけが月給を3分の2に減らされる。また、駒が「昇進カード」に止まると、男性役の児童は無条件で昇進して月給を2倍も受け取るようになり、女性役の児童は昇進に失敗して月給は据え置かれるといった設定」のボードゲームなんぞつくって「これを使ってね!」なんてのでは、「女性が経験する不平等を分かりやすく伝えるのが目的だが、こうしたやり方ではかえって子どもたちの心の中に「現実社会で女性が成功することができないのは、単に女性だから」という二分法を植え付けてしまいかねない」のは宜しくない。

また、「男性は多数であるため、嫌悪の対象ではない」といった内容も論議を呼ぶ恐れがある。女性、身体の不自由な人、少数民族など、少数をけなす発言だけが嫌悪発言で、男性のような多数をけなす発言は嫌悪発言ではないというのだ。こうした理由から、男性が女性をさげすむ「キムチ女」は嫌悪表現であり、女性が男性をさげすむ「キムチ男」は嫌悪表現ではないと説明されている

 ものっそいどきっぱりした「ホンネ」である…。twitterアイランドでは時折見かける見解だが、堂々と公的な印刷物に正統派として位置づけるにはあまりにアレだ。

 まあそのんあステレオタイプだけで切っていくと、あまり健全な現実認識ができなくなりそうでなあ、という例:


 新井紀子氏については:

 こんな評も見たことであり、この評が実情に沿うものかどうかはさておいて、自分についてもこうした微細なセルフチェックについて気をつけたいところ。

 こんな風なほのぼの笑いでいければいいんですけどね:
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