空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

髪染め問題(メモ)

2017-11-09 16:31:00 | Weblog


livedoor <女子高生・黒染め強要訴訟>学校は地毛が茶色いだけでなぜ生徒を “排除” したのか 2017年11月7日 19時0分 週刊女性PRIME

矛盾する教頭の話
 本誌が同高校の高橋雅彦教頭に取材すると、「学校では染髪や脱色については禁止していますが、本来の色を否定して黒くしろというルールは示していません。本来の色で生活してほしいと考えています」と言い切る


 これ、(裁判で)言質とれたら、

「地毛が茶色い、赤っぽい生徒もいます。みんな真っ黒だったらそれは明らかに染めさせているじゃないですか」

 に反論できないのと違うか。

「A子さんは中学のころも髪を黒く染めていた、地毛は茶色でも1回でも黒染めをしたら黒染めを続ける、それがうちの学校のルール

 このローカルルールを、”皆が従っている合理的な慣例である”と主張するものだろうが、髪染め染料の代金の負担と健康の負担を要求するのは、どこまで許容されるか。その上で、「母子家庭だから茶髪にしてる」と暴言を吐き」などを繰り返していたなら、セーフになる道を探すのはかなり難しそう。

 個人の人権は、公益のために一定程度制限されてしかるべきだ、というのが社会通念・現実の運用ではある。さてこの場合、どこまで押し通せるものか。

 …私なら、頭皮の不調が出たという訴えがあったところで、(うるさい人たちを黙らせるために)医者の所見を書いてもらったうえで地毛証明の申告をさせて通すよう上申するかな。保身のために、この上申はccで幾つかのところにまわす。



 時に、”学校の先生たちは世間知らずで”というお話、あれは納得できるところがある。端的に一例を挙げれば、”取引先の横暴”に悩まされることが少ないのだ、おそらく(”上司の横暴”はこっちにもあるし、それなりに色濃い)。上に引いた例から見て、”取引先”=親御さんに対しては、生徒とその将来という人質をとっていて、親御さんの横暴と言うのはそうそう悪化しない・できないように構造ができてる。この話題の場合はこじれたわけだが。

 換言すれば、自己(の組織)に対する”外の権力”の有無だ。
 そうした外の権力への恐れによって、我々はセルフチェックしたりするのだ、おそらく。

 では我々はどうかというと、論文書いて、査読などで批評される。それでチェックされるので、自我の肥大化はそこそこ抑えられる可能性が常に開かれる。

 ということで、論文を書かなくなったら終わりよねーとかいうことを我々は言ったりするわけだ。

…大学教授は厳しいテニュアの審査を切り抜けたという自負から、「自分は能力のある特別な人間だ」と思い込みがちだ。しかし学会での論文発表の場や学術誌への投稿論文への同僚評価などで批判されることによって、このような自尊心は打ち砕かれ自分の能力を思い知ることになる。
 だから研究の持続は大学教授が傲慢になるのを防ぐ抑止力でもある。しかし「枯れ木」教授は批判にさらされることがないので勘違いをしたままである
」(アキ・ロバーツ/竹内洋『アメリカの大学の裏側』、p.87)

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