『三丁目の夕日』シリーズを3部作とすれば、今回封切られた『三丁目の夕日’64』は完結編でしょう。
「鈴木オート」に集団就職で上京した六ちゃん(堀北 真希)は結婚、見えない指輪を後生大事にしていたヒロミ(小雪)にも茶川家の主婦らしい貫禄が出てきた。エレキに熱中する鈴木オート社長(堤 真一)の息子・一平(小清水 一輝)は反抗期を向かえた様子。
さて、昭和33年から始まった『三丁目の夕日』シリーズ。
プロレス中継では力道山の空手チョップに熱狂し、大人も子供もフラフープの流行に乗りフラダンスに浮かれ、立教大学野球部から長島 茂雄、阪神入りを噂されていた早稲田実業の王 貞治が巨人へ入団しON時代の緞帳が吊り下げられ、12月23日には東京タワーの完工式を迎えた昭和33年は、そんな年でした。
翌年の4月10日、皇太子殿下(今上天皇)と正田 美智子(皇后)さんはご結婚なされ、テレビはそのパレードを生中継し、各局は朝の6時から深夜12時まで、特別番組を組んだ。
6月25日の巨人、阪神戦では、王がホームランをかっ飛ばし、長島が宿敵村山 実からサヨナラホームランを放ち、天覧試合に花を添えた年でもあります。
「元気印さんが北海道立の工業高校を卒業した昭和34年4月、三人の仲間と墨田区の町工場に就職で上京しましたね。三丁目の住民に共感を覚えるのは、当然でしょう」
久し振りに聴く、ボケ封じ観音様の声。
他方、全6部からなる映画『人間の条件』(原作:五味川純平 監督・脚本:小林正樹 脚本:松山善三 出演:仲代達也 新玉美千代 他)の第1、2部が1月15日、第3,4部が11月20日、昭和35年1月28日に第5,6部が封切られてからも、この9時間半にも及ぶ全編を一挙に上映するオールナイトを観る愉しみは、無くなってしまった。あの頃を懐かしむのは、元気印だけなのでしょうか・・・。
『三丁目の夕日’64』のプログラムによれば、三丁目のセットは、昭和39年の町並みをイメージして建て、時代設定は東京オリンピックが開催された昭和39年になっている。つまり、三丁目の住民は6年の歳月を過ごしている訳です。
茶川 竜之介(吉岡 秀隆)と古行 淳之介(須賀 健太)との関係も、淳之介が小説家として自立する道を選択するので、育ての親子関係は作家としてのライバルへ発展します。
淳之介が自立する過程では、竜之介の父・林太郎(米倉 斉加年)に息子を勘当したエピソードを語らせ、彼が選択した道は浮き沈みが激しく、ドン底の境遇に陥っても作家の矜持を失わずに前進せねばならない物書きの宿命を暗示するのです。
お人よしで苦労ばかり背負い込む竜之介の背中を観て育った淳之介は、必ず、芥川賞の候補に挙がる作品を書き上げるでしょう。三丁目の住人達は、その日を今かいまかと見守っている筈です。
芥川賞受賞を保障するが、それには資金が要る、と称する詐欺にまんまと騙される茶川 竜之介。
それとも知らず、受賞させるためになけなしの預金を提供する鈴木オート社長を筆頭にした三丁目住民らの思いやり。
その半面、住民の繋がりを訴えるのに「絆」をキーワードにしなければならないほど、共同社会、換言すれば地域社会で生きるための人徳が荒廃している平成の世に、三丁目の住民らの思いやりは、珍しい光景になりました。
「淳之介が竜之介を凌ぐ作家になる。二人の繋がりに感動していますね、元気印さん」
ボケ封じ観音様の読心力は、相変わらず鋭い。
「友達と生の母を訪ねた淳之介に、母は義父を通じて逢う事を拒否する。しょんぼり帰ってきた淳之介を叱りつける竜之介の親心、実父に引き取られて行った直後、淳之介が机上に残した置手紙を読み、彼が乗った乗用車を必死に追いかける竜之介。実父と別れて引き返してきた淳之介との出会いに涙したのでしょう」
これでは、映画も安心して観ていられない。観音さまの見立ては図星だから・・・。
なにはともあれ、ミッチーブームを巻き起こした皇太子殿下と美智子さまのご成婚から31年を経た昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され、皇太子明仁親王が即位されました。激動の昭和が幕を閉じ、時代は平成に移行して24年目を迎えました。
そして、明治、大正、昭和、平成の年号が1868、1912、1926、1989の如く表記される風潮が強まり、昭和の香と共に平成の芳香を味わいたくても、西暦表記の年号ではそれも叶いません。
極端な場合は、本能寺の変1582年と西暦表記がなされ、ナレーションで天正10年と年号を説明してから後は西暦で通す、歴史解説書でも西暦だけを表記しているものが多くなったように感じています。年号を西暦で表すのは、天皇制に対するアレルギーがあるからとも言われています。
また、学校の行事、例えば、卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱は礼儀とされた昭和の慣習も、法律でそれらを定めなければ執り行わない現在、それも明日を担うべき日本人を育成する義務教育現場では裁判沙汰になり、最高裁判所で判決が下されたばかり。
反日の世相が強い今の日本では、『三丁目の夕日』が描いている昭和30年代になっても日本人が共有していた徳目に新鮮な驚きがあるのでしょう。
ところで、東日本大震災が起きてからほぼ1年を経過しました。
その間、大震災関連書籍の発刊やメデイア報道は、膨大な件数に及んでいますし、現在も様ざまな切り口で採り上げられています。
余りにも恐れ多いこととは思いますが、平成23年3月16日に発表された天皇陛下のお言葉の後半部分を、本稿に引用させて頂ききます。
『今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています』
このお言葉には、三丁目の住民が共有する日本人の徳目を端的に示唆されていると、元気印は痛感しております。
『夕日の三丁目』シリーズで感動するのは、
『海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多い』
『被災者のこれからの苦難日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います』
天皇陛下は、三丁目の住民らが共有している「人として習得しなければならない常識」をこの簡潔・明瞭なお言葉に込めておられる。
「へそ曲がりの元気印さんは、どこへ行ったのですか?」
昭和30年代を1955年代と表記されて、その時代の雰囲気を思い起こせない元気印ですが、多様な価値観に馴染めない、追いつかないなどと、時代おくれの愚痴話を語っても、よる歳に負けてはシニアの価値が無くなってしまう。
「そうあってこそ、へそ曲がりの元気印さん。独断と偏見かも知れませんよ」
「それで良か、観音さま」
「鈴木オート」に集団就職で上京した六ちゃん(堀北 真希)は結婚、見えない指輪を後生大事にしていたヒロミ(小雪)にも茶川家の主婦らしい貫禄が出てきた。エレキに熱中する鈴木オート社長(堤 真一)の息子・一平(小清水 一輝)は反抗期を向かえた様子。
さて、昭和33年から始まった『三丁目の夕日』シリーズ。
プロレス中継では力道山の空手チョップに熱狂し、大人も子供もフラフープの流行に乗りフラダンスに浮かれ、立教大学野球部から長島 茂雄、阪神入りを噂されていた早稲田実業の王 貞治が巨人へ入団しON時代の緞帳が吊り下げられ、12月23日には東京タワーの完工式を迎えた昭和33年は、そんな年でした。
翌年の4月10日、皇太子殿下(今上天皇)と正田 美智子(皇后)さんはご結婚なされ、テレビはそのパレードを生中継し、各局は朝の6時から深夜12時まで、特別番組を組んだ。
6月25日の巨人、阪神戦では、王がホームランをかっ飛ばし、長島が宿敵村山 実からサヨナラホームランを放ち、天覧試合に花を添えた年でもあります。
「元気印さんが北海道立の工業高校を卒業した昭和34年4月、三人の仲間と墨田区の町工場に就職で上京しましたね。三丁目の住民に共感を覚えるのは、当然でしょう」
久し振りに聴く、ボケ封じ観音様の声。
他方、全6部からなる映画『人間の条件』(原作:五味川純平 監督・脚本:小林正樹 脚本:松山善三 出演:仲代達也 新玉美千代 他)の第1、2部が1月15日、第3,4部が11月20日、昭和35年1月28日に第5,6部が封切られてからも、この9時間半にも及ぶ全編を一挙に上映するオールナイトを観る愉しみは、無くなってしまった。あの頃を懐かしむのは、元気印だけなのでしょうか・・・。
『三丁目の夕日’64』のプログラムによれば、三丁目のセットは、昭和39年の町並みをイメージして建て、時代設定は東京オリンピックが開催された昭和39年になっている。つまり、三丁目の住民は6年の歳月を過ごしている訳です。
茶川 竜之介(吉岡 秀隆)と古行 淳之介(須賀 健太)との関係も、淳之介が小説家として自立する道を選択するので、育ての親子関係は作家としてのライバルへ発展します。
淳之介が自立する過程では、竜之介の父・林太郎(米倉 斉加年)に息子を勘当したエピソードを語らせ、彼が選択した道は浮き沈みが激しく、ドン底の境遇に陥っても作家の矜持を失わずに前進せねばならない物書きの宿命を暗示するのです。
お人よしで苦労ばかり背負い込む竜之介の背中を観て育った淳之介は、必ず、芥川賞の候補に挙がる作品を書き上げるでしょう。三丁目の住人達は、その日を今かいまかと見守っている筈です。
芥川賞受賞を保障するが、それには資金が要る、と称する詐欺にまんまと騙される茶川 竜之介。
それとも知らず、受賞させるためになけなしの預金を提供する鈴木オート社長を筆頭にした三丁目住民らの思いやり。
その半面、住民の繋がりを訴えるのに「絆」をキーワードにしなければならないほど、共同社会、換言すれば地域社会で生きるための人徳が荒廃している平成の世に、三丁目の住民らの思いやりは、珍しい光景になりました。
「淳之介が竜之介を凌ぐ作家になる。二人の繋がりに感動していますね、元気印さん」
ボケ封じ観音様の読心力は、相変わらず鋭い。
「友達と生の母を訪ねた淳之介に、母は義父を通じて逢う事を拒否する。しょんぼり帰ってきた淳之介を叱りつける竜之介の親心、実父に引き取られて行った直後、淳之介が机上に残した置手紙を読み、彼が乗った乗用車を必死に追いかける竜之介。実父と別れて引き返してきた淳之介との出会いに涙したのでしょう」
これでは、映画も安心して観ていられない。観音さまの見立ては図星だから・・・。
なにはともあれ、ミッチーブームを巻き起こした皇太子殿下と美智子さまのご成婚から31年を経た昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され、皇太子明仁親王が即位されました。激動の昭和が幕を閉じ、時代は平成に移行して24年目を迎えました。
そして、明治、大正、昭和、平成の年号が1868、1912、1926、1989の如く表記される風潮が強まり、昭和の香と共に平成の芳香を味わいたくても、西暦表記の年号ではそれも叶いません。
極端な場合は、本能寺の変1582年と西暦表記がなされ、ナレーションで天正10年と年号を説明してから後は西暦で通す、歴史解説書でも西暦だけを表記しているものが多くなったように感じています。年号を西暦で表すのは、天皇制に対するアレルギーがあるからとも言われています。
また、学校の行事、例えば、卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱は礼儀とされた昭和の慣習も、法律でそれらを定めなければ執り行わない現在、それも明日を担うべき日本人を育成する義務教育現場では裁判沙汰になり、最高裁判所で判決が下されたばかり。
反日の世相が強い今の日本では、『三丁目の夕日』が描いている昭和30年代になっても日本人が共有していた徳目に新鮮な驚きがあるのでしょう。
ところで、東日本大震災が起きてからほぼ1年を経過しました。
その間、大震災関連書籍の発刊やメデイア報道は、膨大な件数に及んでいますし、現在も様ざまな切り口で採り上げられています。
余りにも恐れ多いこととは思いますが、平成23年3月16日に発表された天皇陛下のお言葉の後半部分を、本稿に引用させて頂ききます。
『今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています』
このお言葉には、三丁目の住民が共有する日本人の徳目を端的に示唆されていると、元気印は痛感しております。
『夕日の三丁目』シリーズで感動するのは、
『海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多い』
『被災者のこれからの苦難日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います』
天皇陛下は、三丁目の住民らが共有している「人として習得しなければならない常識」をこの簡潔・明瞭なお言葉に込めておられる。
「へそ曲がりの元気印さんは、どこへ行ったのですか?」
昭和30年代を1955年代と表記されて、その時代の雰囲気を思い起こせない元気印ですが、多様な価値観に馴染めない、追いつかないなどと、時代おくれの愚痴話を語っても、よる歳に負けてはシニアの価値が無くなってしまう。
「そうあってこそ、へそ曲がりの元気印さん。独断と偏見かも知れませんよ」
「それで良か、観音さま」
心がなければ、自分もない。滅私奉公の世界である。
個人は、世間で決められたことを行っているので、作法・法律が重要になっている。
人々は、自分の恣意 (本音) を作法・規則 (建前) の中にしのばせて実行する。
そして、作法・法律の名のもとに自己の行為を正当化している。
我が国においては、作法・法律は個人の理想を実現するための手段とは考えられていない。
理想・意思の実現がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) の実現がある。恣意は得体の知れないものである。
意思には文章・文脈があり、恣意には文章・文脈がない。
意思 (will) のない社会は、あたかも子供の社会のようである。
心から「悪い」と思うことを「悪い」と発言することは難しい。
それには根拠がないからである。日本語には、'あるべき姿' を盛り込むための構文 (未来時制) が欠如しているからである。
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_a8c2.html
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/