かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

ひきがえるの呟き

2011-03-21 | 随想

 今日は朝から雨。こんな日はいつもいそいそとパーソナル・チアーの沈み込み、本を読んだりうたた寝をするのだが、今日はそんな気にならない。福島の原子力発電所が心配で、ついついテレビの前にいき、ニュースを探してチャンネルを回すことになる。そこでだが、最近の民放は観ているとだんだん気が変になることに気づいた。これは私だけのことだろうか。 

 少し混んだ電車の中、妊娠中の大きなお腹が映し出され、「こころは誰にも見えないが、心遣いは誰にも見える」とナレーションが入り席を譲るシーンとなる。続いて老婆が階段を登るシーンとなって、「思いは誰にも見えないが、思いやりは誰にでも見える」というようなナレーション。例のACとかが提供しているコマーシャルが、洪水のように流されている。続けて2回繰り返されることも稀ではない。この10日間、あまりテレビを観ない私だが、何百回も見せられた気がする。そして最近では、これが始まると何だか気が変になる。「お前は、心遣いも思いやりも足りないよ。もっと優しい心を持ちなさい」と注意され、謝っても謝っても、同じ注意が続いているからだ。変になった頭の奥で「うるさい!」という声がする。そしてついに番組制作者に「お前たちこそ、視聴者への思いやりも心遣いもないではないか」と叫んでいる。まさに「上から目線」でなければこんな番組はできない。大震災以後、民放各社が置かれている経営環境についての概要は理解できる。しかし、それにしても酷い。「いっしょにあそぼ」というと「あそぼ」という、から始まる金子みすずさんの素敵な詩も、こんなに粗末に扱われては汚れてしまう。金子さんも「もう止めて!」といっている気がする。「公共広告機構」とか云っていたスポンサーもよく分からない。最近は「会員社の支援によって活動している」とかなんとか書いてあるが、これもよく分からない。 

 善意・良心・サービス・進歩というオブラートの中に、手段を選ばない利潤という毒が隠されていないか。大震災に見舞われた「円」は、ちょっと前までは安くなるのが、経済というものだったが、今日では最高値で推移している。これでは瀕死の病人の血を吸い取るようなものではないか。この陰にウォール街の投資ファンドの影が見え隠れしている。日銀もやがて瀕死の痛手を負うだろう。こんな時だからこそ安っぽい「上から目線」は止めて欲しいのだ。

 

 

 お口直しに「サクランボ」をどうぞ。といってもこれは「サクランボの花」です。数年前、盆栽仕立ての実のついたサクランボの木を買ってしばらく玄関脇に置いていたが、枯れそうになって庭の隅に下ろしたもの。大きくなって今年はたくさん花が咲きました。ついでに、満開の八重紅梅を2階の窓から撮りました。 

  


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