かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

愛国惚け老人の嘆き①~⑤

2015-05-17 | 気ままなる日々の記録

①昨日まで、もう梅雨かと思わせるぐずついたお天気で車いすのオソマツ君は大好きな散歩もままならず、車いすでテスクに向かって本を読んでいるとすぐに腰が痛くなって困った。やむなく、ベッドに横になってテレビをつけることになる。午前中のテレビなど見たことがなかったが、なんだかガッカリした。あまりにも、内容が無く、全体が下品の一言だったからだ。

 ちょっと昔までは、テレビに映るからというだけで、服装を整え、言葉使いも丁寧にし、全体が上品だったと思う。ところが、昨今のテレビは、部屋の中で奇妙な帽子を冠り、奇抜な服装をして目立とうとする輩が、下品な言葉を使い何の芸も身についていない芸人が、何かと云えばすぐに、台本を丸めた紙の棒で相方を叩き下品な言葉で相方をののしり、痴話喧嘩をして見せる。こんなものをよく、放映するなあとテレビ局のスタッフにも呆れるしかない。

 それに、料理を食べる映像の多いこと。だが、その食べ方が下品である。箸の持ち方さえも怪しげなタレントとかが顔を皿に近づけて痩せ犬のように食べている。この連中に食べ方を教える演出家はいないのかといぶかしく思える。テレビが子どもたちに与える影響は大きい。紳士淑女の立ち居振る舞いを見せてくれないと日本はいよいよ劣化するばかりだ。視聴率競争に一喜一憂していると聞くが、国民文化に責任を持つという観点を見失わないようにしてもらいたい。

 国民としての抵抗は、くだらない番組のテレビはすぐに消すということと、その番組のスポンサーの製品は買わないという最後の抵抗をして、惻隠の情豊かな上品な日本文化を護ろうではないか!《①終わり)

②オソマツ君は縁あって、アメリカに1か月ほど滞在したことがある。そのうち約半分が西海岸のサンフランシスコ市で、残りの半分が中西部のアイオワ州のデモイン市だった。これからお話しする事件は、サンフランシスコで経験した事件です。

 市内の繁華街を歩いているとある大きな本屋さんの前で、黒人青年がボコボコに殴られ道に倒れていた。殴ったのはこの本屋の店員たちで、白人や、中南米の茶色人種のようだった。道に倒れていた黒人は口から少し血を出していたが、むずっとさえも動かない。通行人も除けて覗き込みながら通るのだが誰も救急車をを呼ばないし、110番通報もしない。オソマツ君たちも公衆電話で通報しようにも電話番号も分からないし、状況を正しく言う英語力もないので、すごすごとホテルに帰り、早速添乗員や通訳の人に見てきた話した。すると、何と二人ともスゴスゴ帰ってきたことが正解だという。何故ならそんな事件の目撃者になると、ものすごい、調書をとられ、サインを求められ、裁判にでもなると裁判所に呼び出され大変な事になる。第一、予定の日に帰国できるかさえ分からなくなる、というのだ。通行人もそれを知っているから通報しないのだろう、ということだった。アメリカが抱える人種差別問題は根が深い。今までの白人の横暴が地層のように積みあがっていて、根深い対立になっている。その意味でアメリカは決して日本が憧れる社会ではない。それなのに、近頃アメリカ一辺倒のような言動が政府サイドから流されているのが心配だ。もっと伝統のあるヨーロッパ諸国を注目したいものだ。(②終わり)

③もう一つアメリカのお話で恐縮です。オソマツ君の上司のお嬢さんがアウト・オブ・デトロイトに住んでおられるということで、上司を乗せてレンタカーでデトロイトに入ったことがあります。

 デトロイトは自動車産業の街で、御嬢さんのご主人がトヨタが買収した、部品加工工場に技術指導のため出向されていたとかで、トヨタがケンタッキー州に造ったトヨタ車生産工場に部品を納入する工場がデトロイトにあったというわけでした。

 デトロイトの町は入っただけで異様でした。道を一つ隔てただけで極貧の黒人街が続き、道路には、アルコール中毒者が溢れ、道は生ゴミで汚れ異様でした。片側6車線ぐらいの広い道の交差点で、信号が赤になると道路から松葉杖の黒人が停車した車の助手席側の窓を叩き、手を広げておねだりをします。その時助手席に乗っている人は窓を少し開けて、1ドル紙幣か25セント・コインを2~3枚出して手渡さなければなりません。それをしないと、突然松葉杖で、車のボンネットを叩いたりします。1階の赤信号中に数台の車から募金を集めているようですが、問題は信号が青に変わった瞬間です。止まっていた車が一斉に動き出し、その間を縫って、松葉杖の男は道路を渡り切ろうとします。正に命がけで、大きなトラックが、黒人を見つけて急ブレーキをかけたたり、急ハンドルをきったりします。

しかし、松葉杖の黒人はそうして集めたお金で家族を養い子どもを育てていると云います。

もしここで、松葉杖の黒人がトラックに撥ねられて亡くなったりすると、交差点でボーっとしていた黒人たちが一斉に目撃者の証人になってトラック側に「前方不注意」があったように、証言すると云います。彼らは裁判になって、少しの日当を貰って証人になること大歓迎で、希望者が殺到する始末。

 目撃証言が多くてトラック側は絶対に勝てない裁判になるといいます。死者の家に損害賠償金が降りると、黒人たちは、その家にお手当を請求するといいます。

 いずれにしても、アメリカ社会は大変です。決して世界のリーダーになる資格もありませんし、最近では、経済力もあまりありません。

 アメリカが介入した戦争で戦後何とかうまくいったのは日本が最後で、その後は、グチャグチャにして引き上げた戦争ばかりです。(③終わり)

④ここにいて、気になることは病室で騒ぐ子どもを注意しない親がおおいことである。同じように、

廊下を走る子ども、エレベーターを乗り降りして遊ぶ子供を注意しない親が多くなったことである。マナーを教えようとしている親は完全に少数派である。どこで、ボタンのかけ違いが始まったのかよくわからないが、もしかしたら、幼稚園教育かもしれない。自由伸び伸び教育礼賛が横行し子どもたちが中学や高校生になったとき初めて社会から白い目で見られていることに気付きいやな思いをすることになる。自由のびのびは子供たちのためにならない。と知るべきである。場の雰囲気に気づかず大声で話す子ども、ドアーを開けて閉めない子や興味本位で失礼な行いをする子供も多い。昔のように怖いお爺さんが地域にいなくなったという、老人側の責任もあるかもしれない。《④終わり》

⑤もう数十年前になるがNHKのアナウンサーで朗読の達人松平何某と云う人が松尾芭蕉の「奥の細道」の現代語訳を朗々と読み上げたCDが売り出されたことがあった。オソマツ君はそれをいそいそと買い込み、音楽を聴くように何度も聞いていた頃があった。その一節に「人は何と言っても正しい道に励み義を護るべきだ。そうすれば名声が後から付いてくる」というような一節があったと思う。そのCDにはパンフレットも付いていて、原文と訳文が載っていた。ここでいう義とは「義を見てせざるは、勇なきなり」の義である。これを聞いて、我が国の江戸時代は何とレベルの高い社会であったことかと感動したことを覚えている。徳川家康と云う人は、世界に誇れる大政治家であったと思われます。寺子屋教育による識字率の高さ、「論語」を中心とする道徳教育の徹底。大型土木工事による水田田畑の整備、参勤交代による、経済の活性化、全国の大名が子ども時代江戸で過ごしていたので、大名が集まって会議ができたという。そうでなかったら、少し離れた国の大名はそれぞれ、方言が強くて会話が成立しなかったという。全国の大名の後継者を人質として江戸に残させたというと、残酷なイメージになるが、その裏に、凡人が気づかない効用が隠されていた訳だ。その江戸の良さをすべてゴミ箱に捨てさせたのがアメリカの占領政策で、その尻馬に乗ったのが我が国の左翼だった。江戸時代は過酷な年貢に追われて農民は一揆ばかりしていたという、歴史観であった。北朝鮮による拉致疑惑だ持ち上がった時「社会主義の国がそんなことをするはずがんない」と豪語した党首のいた政党もそうだった。我が国の教育界は未だに、「道徳教育について、冷静に話し合える状況にない。松尾芭蕉さんに恥ずかしい状況だ。教職員組合は道徳を「どー(とく)解くか」ばかり議論しているというジョークが今なお健在である。オソマツの限りだ。《⑤おわり)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿